映画・テレビ

海洋天堂

 中国の映画はあまり見ないが、現代劇でテーマが世界

のどこにも通じるものだということ。ジェット・リーが

脚本に惚れ込んでノーギャラで参加し好演しているとい

うことで見てみた。

  若くして妻を亡くした水族館で働く父親と自閉症の息

子の話だ。父親は末期の肝臓癌に罹り余命短い。成人し

た息子は一人で生活する能力が無い。身寄りも無い息子

に、自分が居なくなるまでに生きてゆく術を身に付けさ

せようと八方手を尽くす父親だが…

  非常にオーソドックスでケレン味のない映画だ。アク

ションで名を馳せたジェット・リーも、実は演技派らし

く、抑えた表情で淡々と父親を演じている。自閉症児の

息子役も難しい役柄をサラリとこなし、脇役も達者な人

選でしっかり固められている。出てくるのは良い人ばか

りで、誰もがこうなるだろうなと思う通りにストーリー

が展開する。

 こういうのを一服の清涼と言うのだろう。何もツッコ

ミを入れることなく話を受け入れてしまえばいい。

 今、政治や社会の流れを見ると一言なにか言っておき

たくなることだらけで、そういえばこんなに素直に話の

世界に身を浸すことは少ない。

 監督は元テレビの教育番組を手掛けてきたという女性

ディレクターで、チェン・カイコー監督の「北京バイオ

リン」などの他に幾つもの脚本を担当しているそうだ。

  撮影はウォン・カーワイ監督作を数多く手がけてきた

オーストラリア出身のクリストファー・ドイル。さらに

音楽は日本の久石 譲。舞台は青島で、なんだか中国臭

さがしないなあと思っていたら制作は香港のインディ系

制作会社なのだった。

 映画館の近日上映作は「ワンヴォイス―ハワイの心を

歌にのせて」「黄色い星の子供たち」未来を生きる君た

ちへ」「エンディングノート」などが続いている。

 世界が今何を探しているのか?ひとつの方向性に思い

至る。

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久々の映画

  熊本市の繁華街の端に「電気館」なる映画館がある。

今は無き浅草電気館(19031976)に遅れること8年、

1911(明治49)年に創業した100年を超える老舗館だ。

今は5階建てのビルに改築されていて、120席程の広さ

の小さなホールを3つ持つミニ・シネコンとして名画中

心をプログラムして頑張っている。

 こちらに来て、もうミニシアター系の映画館で上映さ

れるような映画は見ることができないのだろうと諦めて

いたが、そんな映画館があったとは意外だった。

  セミフ・カプランオール監督のトルコ映画「蜂蜜」を

見たかったけど、一日の差で見逃してしまった。

  そこで「ビューティフル」を見た。「21グラム」や

「バベル」で知られるイニャリトゥ監督の新作だ。

同時進行する群像の生がクロスして産まれるドラマ…

というイニャリトゥ作の構造は変わらない。そして底

に流れるのは或る種のヤルセナサだろうか。

  バルセロナの不法移民たちが暮らす裏町を舞台にし

たとても現在的な映画で、私には沁みる映画だった…

という以上には感想は敢て書かないでおく。

  さてそれは土曜日で、初回上映1140分からの観

67人しか居なかった。出た時に次の回を待って

たのは少し多くて10人程度。100年の歴史を支える

は少なすぎる動員だ。でも地方のコアな映画ファン

とっては、あんな映画館が無ければ行き場所が無い

いうことになる。

 同館の秋のラインナップは「ナチス 偽りの楽園」

「クロエ」「あぜ道のダンディ」「ショパン 愛と悲

しみの旋律」「メアリー&マックス」「赤い靴 デジ

タル リマスター エディション」…などとなっている。

  今、文化はファンだけでは支えきれないのだろうが、

日本の政治は文化を養護するスタンスからは程遠い。

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My Name is Khan

 レンタルDVD店の棚を見ていたら気になるタイトルが

目に入った。

”My Name is Khan”インド映画だ。といっても20世紀

Fox配給で、一部を除いてアメリカで撮影されている。

メインキャストとプロデューサーや監督以下殆どはイン

ド人スタッフ。イギリス人監督によるアカデミー賞受賞

映画”Slumdog Millionaire”とはまた違う。

Bollywoodと呼ばれるインドの映画産業の質の高さは良

く知られている。アフリカ在住当時から随分インド映画

を見て来たが、商業映画にもかなり優れたものがある。

ジャケットに記されたあらすじには、インド生まれの

イスラム教徒で自閉症(アスペルガー症候群)の男が弟

を頼ってアメリカへ移住したが、911以後の社会変化

のなかで様々な苦難と遭遇するというもの。

主演はShah Rukh Khan。本国で絶大な人気を誇る演技派

だ。

終盤にはインド映画っぽい荒唐無稽さがあるが、ひとつ

のファンタジーとして十分に見る者を打つ。丁寧に撮ら

れている映像は美しく、脚本もよく練られている。

今のこの国の状況にちょっと鬱屈気味の自分には、いい

気分転換になったのでした。

 *予告編は以下で

http://www.imdb.com/rg/VIDEO_PLAY/LINK//video/imdb/vi2049377305/

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七人の侍から

ビデオ棚の隅に「七人の侍」を見つけた。雨の一日

あまりすることも無いので久しぶりに見てみた。

クロサワ映画はやっぱり昔のものがいい。その頂点

「七人の侍」だと思う。カラー作品になって以後

は「どですかでん」「デルス・ウザーラ」までで

「影武者」以後は画作りに囚われすぎた我儘な大御

所の自己満足でかないと私は思う。                                

まあ評価のことはさておいて、「七人の侍」はなん

だか現代に通じるような話だと気づく。                          

街には仕える場のない浪人たちが職を求めてウロウ

ロし、いくら働いても貧しさから抜け出せない農民

たち。

そうした下層民を狙い撃ちで略奪を重ねる野盗は、

貧困ビジネスで暗躍する詐欺団のようなものではな

いか。で、米の飯と義をもって野武士の略奪から村

を守ったのは下層社会に身をやつしながらも「道」

を通したサムライで、野盗と化した野武士たちもま

た階層社会からの落ちこぼれだ。

結局、奪い合うのも助け合うのも同じ階層の中での

出来事なのだが、それを恥とか美徳とかのような話

にしてしまう奴がちょくちょく居る。

とにかくあれほど素晴らしいストーリーテラーだっ

クロサワは、晩年に近ずくにつれてどうしてあん

なに面白くなくなってしまったのだろう。

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悪人

 敢て震災について触れないでおこう。テレビはどのチャンネル
も震災報道ばかりで、そろそろ世界の他の事象に目を向けても
いいんじゃないかと思う。
 昨年、賞を取った映画「悪人」がレンタル店に出ていたので
借りて来た。実はちょっと気になっていたけど、封切では見て
いなかったのだ。
主演の二人を含めて助演陣も押さえた演技が心地良いし、スタ
イルや小手先の技術を廃した演出と脚本がストレートに訴える。
アナログ人間である私には、とてもスンナリと入って来る。
近頃はあんまり邦画を見なくなっていたけど、最近の洋画、特
に米画の短いカットやシーンをどんどんつないでいくやり方に
は辟易していた。
で、内容的には新鮮さは無いし、特段なにかを訴えるものでも
ないけれど、うまく現代的なテーマをそつなくまとめている。
人と人が繋がるとはどういうことか、この不安定な日本(だけ
ではないけど)で私たちは何を頼りに生きてゆくべきなのだろ
うか、そんなことに改めて思いふける機会を与えてくれる。
妻夫木や深津ファンには、また一段と魅力を覚える一作なの
だろうと思う。

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NHKの陰謀

 「竜馬伝」が終わったら今度は「坂の上の雲」ときたか。
NHKという組織は恐い。愛と義の武将、直江兼続で友愛の鳩山
にエールを送ろうというメッセージを発信しようとしたのか、
それとも、茶化してもいいんだよ、でもやっぱり自民党だよね
…とでも伝えたかったのか?
民放に比べると強大な大衆操作力を持つのがNHKであるという
ことは、当のNHKがいちばん分かっている事だ。特にこの国の
人口比上、最も層の厚い高年齢層への影響力は群を抜く。
基本的にあの公共放送局は、長年の馴れ合いと政治的プレッシ
ャーのせいで、時の政権与党というよりも国民の意識上の与党
である自民党に顔を向けてきた。それは大同小異で民放各局に
も共通して言えることではある。
はっきり言って、政権交代時も今も、民主党を十全の信頼を持
って真の与党だと認めているマスコミは無いだろう。当初から
民主党政権が長続きするものではないということは、皆がうす
うす思ってきたことなのだ。
いずれにしても鳩君は豆鉄砲を食らって尻尾を巻いたが、その
後の大河ドラマに変革の使者、竜馬をNHKが持ってくるとは思
いもつかなかった。
「もっと真剣にやろうよ」と国民にハッパをかけようとしたの
だろうかとも考えられるが、「坂の上の雲」と続くと、何やら
キナ臭いのだ。
原作者である司馬遼太郎の意向や意志はさて置いて、NHKが視
聴者国民へ発しているものは決してニュートラルなものではな
い。逆に偏った国家意識やパワーゲームを誘発しそうな危険さ
えある。だいたい、坂本竜馬という人物についても、私は未だ
に彼がどのような貢献をしたのか分からない。どうして盲目的
な人気を集めているのかも分からない。
江戸時代から明治時代への移行が、日本にとって大変な大改革
だったということは理解出来るし、そこに幾多の人物の働きが
あったということも分かる。しかし、あの時期の歴史に学ぶ事
があるとするならば、一個人の貢献や業績を賛美することには
無いだろう。何かベクトルがずれている感が否めない。
 中国や北朝鮮の動きとかアメリカの混迷といった動きの中で、
また世界は「イクサ」でガラガラポンのリセットという流れに
向かいつつあるような気がしてならない。
そして、そんな世界の逼塞した雰囲気をうやむやにして、観念
上のヒーロー待望感を大衆の意識に刷り込むような役割を密か
に担っているのが「竜馬伝」〜「坂の上の雲」という流れでは
ないか…と思ってしまうのだ。

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未来を背負う子どもたち

 前稿からの関連で、映画「未来を写した子どもたち」の背景に
なっている身を売る女たちとそのこどもたちの生活環境について
アフリカの場合と比較して書いてみたい。
 私の知るアフリカ20か国の限りでは、娼窟みたいなものが集中
する特別な地区が形成されている例は無い…いや、思い出したら
あった。インド系が多いモーリシャスにインド系の女たちが集ま
った商売宿があったのだ。或いはインド文化にはそうしたものが
生まれる背景があるのかもしれない。
それは置いといて、アフリカの多くの国の町々で生活のために身
を売る女たちの姿を見ないことなはかった。皆それぞれに安い部
屋を借りて暮らしていて、それらは住宅街のアパートだったり貧
民街の長屋の一室だったりする。
昼間に職を持っている者もいれば専業の者も居るが、言わば自営
業者で、仲介して上がりをピンハネする者は私の知る限りでは前
述のモーリシャス以外には存在しない。
これはアフリカ人の精神性なのかと思うが、そうした女たちを集
めて組織的に利益をあげるということは彼らの倫理の上では発想
されないのだと思う。(また逸れるが、営利目的の幼児誘拐など
も無い。これもアフリカ人の倫理観だと思う)
アフリカで女が身を売るケースの殆どは一過性のもので、他に仕
事が無いとか夫が見つかるまでのツナギということが多い。
プロの娼婦として何年も続ける例が無くはないがごく限られる。
 さて、そうした女たちの子どもといえば、女が若い場合は故郷
の母親(子どものお祖母さん)に預けている場合が多い。子ども
が或る程度大きいとか暮らしに余裕がある場合などには、一緒に
暮らしていることもある。
シングルマザーが特別なことではないので、そんな親や子が蔑ま
れたりイジメられたりすることは無い。でもそんな母子は周辺に
幾らでもあるので特に保護されたり支援されることもない。
社会制度上も一般的な社会環境の上でもそのようになっている。
 彼女達の子どもたちは物心がつく頃になると、みんなそうした
母親の事情を知っている。そうした境遇に満足することはないが
そのことで僻んだりすることもない。高望みすることも卑下する
こともなく、確信の無い可能性だけを頼りに健気に生きる。
アフリカには生まれ落ちた境遇を天命のように受け入れる精神性
がある。一方で何か出来そうな事があれば無理かもしれなくても
やってみようという「ダメモト」精神というものもある。
人によってはそうした態度を楽天的と呼ぶが、それはあまりにも
言葉を短絡的に使っているのだと私は思っている。
 実生活上でインドの事はよく知らないが、東アフリカで体験し
たりインド映画からの知識からすると、或る部分でアフリカとも
共通する気質があるのではないか。それは「マアージブール」
という単語が表すもので、「仕方ない」というような意味だと解
釈している。
それは単純な「諦め」ではなくてアフリカの「諦観」と「ダメモ
ト」をない交ぜにしたような感情の筈だ。
とにかく、そうしたアフリカとインドという異なる精神風土のな
かで、社会階層を問わず、未来を背負う子どもたちを大切にしよ
うと働きかけている人たちがいる。
 同じような事は世界各地の途上国でも様々な形で展開されてい
るのに、日本の私たちは子どもをとりまく環境を政争や事業の対
象としか考えない人たちに委ねてしまっていると自戒する必要が
あるのではないか。
「未来を写した子どもたち」は、未来に目を向けなくなった日本
を見つめ返している。

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未来を写した子どもたち 1

 気になっていたドキュメンタリー映画「未来を写した子ども
たち」のDVDがレンタルされていたので見た。
インド、カルカッタ(今はコルカタとなっている)の娼窟地区
に生まれ育つ子どもたちが、イギリス人女性写真家が始めた写
真教室に通ううちに変化して行く。
きっかけは子どもたちに渡されたカメラ。気になる被写体を好
きなように写した写真が注目を集め、写真展開催や写真集出版
によって世界中から寄付金が募って行く。それは彼ら自身と、
同じ境遇に暮らす子どもたちのための教育基金として活かされ
てゆくことになる。
 私が記憶する限りでも、似たような試みは世界の幾つかの地
で試みられた筈だ。
どうしてこの例は成功したのだろう?と考えた。
子どもたちの撮った写真がいろんな意味でセンスに富んだもの
だということは言える。でもそれ以上に、地区の人たちが受け
入れたという環境が素晴らしいのではないか。
写真家は初め、娼窟の女たちを被写体にするために住み着いた
という。それまでに何年も掛かったらしいが、まずそんな写真
家を受け入れた地域社会がある。そして後に女たちよりもそこ
で育ちゆく子どもたちに着目したことも大きい。
これまでも娼婦を題材にしたドキュメント写真は数多いが、そ
れらは言わずもがなな訴求力しか伺えないものばかりだった。
それは鑑賞者から見て、同じように生活する一個人としての共
感は薄くならざるを得ない。
そこに暮らす子どもの表情や行動、親との関係を目にすること
は言葉で訴える以上に、その社会を写すということがよく分か
る。そして「希望」と「思い」が生み出すものの大きさと素晴
らしさに改めて気付かせられる。
 言いたい事はいくつもあるが、「魚の目」という魚住 昭の
ウェブマガジンに連載中の、山口二郎による「現代政治の深層
を読む」という文章の最新稿の一部を引用させてもらいたい。
《大きな目標というものは、非現実的で到達不可能に見えるも
のである。マーティン・ルーサー・キングやネルソン・マンデ
ラが黒人差別撤廃を叫んだ時、誰が達成可能な目標だと思った
だろう。ジャン・モネが1つのヨーロッパを唱えた時、誰が到
達可能な理想だと思っただろう。そして今、アメリカのオバマ
大統領が世界の人々の期待を集めているのも、核兵器のない世
界を目指すことという当面不可能な目標を掲げて、行動を始め
ようとしているからである。一見困難でも、高い理想に向かっ
て前進する政治家の姿に、人々はよりよい世の中を作ることが
できるかもしれないと勇気づけられるのである。まさに、一見
不可能でも、多くの人々がそこに向かって進みたいと思えるよ
うな目標を示すのが、思想の力である。》
 未来を写す想像力とは、そういうことなのではないだろうか。

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花と兵隊

 8月が近づくと戦争関連の話題が取り上げられるが、8日から
ロードショー上映が始まったドキュメンタリー映画「花と兵隊」
の試写会に行く機会があった。
日本映画学校を出た30代始めの監督が、師である今村昌平監督
がテレビ番組として制作した「未帰還兵を追って マレー編/
タイ編」を引き継いだような作品だ。
 終戦後も現地に留まって生活の場として生きてきた未帰還兵
たちは、高齢になった今どのように暮らし、思っているのかを
探って訪ね歩く。その手法は何も新しいことではないし、むし
ろあまりにオーソドックスで正攻法だ。その無骨さが作品を魅
力的にしている。
今時あのように正面からぶつかる姿勢は少ない。そしてそこに
救いを感じるのは私だけではないと思う。
 上映後の話で松林要樹監督は言った。「僕達は戦争を体験し
た事はありません。でもそれは戦争を知らないということじゃ
ないと思う。」
私も同感する。1979年生まれの監督は、20世紀から引き継い
で新たな局面に入っている現在の世界の戦争状況を様々なかた
ちで知らされている。そしてまた彼なりの思いで彼の祖父世代
の戦争を知ろうとしているわけだ。
シラケ気味に「戦争を知らない子どもたーちーさー」と歌った
長髪世代よりも遥かに戦争と向き合っている。
 戦後10年経って生まれ、長髪世代の一番末のほうに育った
私でさえ、子どもの頃には福岡の地方都市の駅前で傷痍軍人
たちの姿を目にした事を覚えている。
木綿の白い浴衣風のものを着て頭には兵隊帽を乗せ、或る者
は足や腕や視力を失っていて、仕事が出来ないので道行く人
からの施しで日を繋いでいた。それは当時の私には見るのが
恐いものだった。
映画を見た後で何故かそんな情景と思いが蘇った。
そうした情景は、内戦下ソマリアの、銃声鳴りやまない街で
取材の日々を過ごした体験以上に私の心に刻まれているのか
もしれない。
身近な者にさえあらためて戦争体験を聴いたことがなかった
私は、体験談を聴く前に父を失った。母に戦時中の話を聴い
たのはごく最近になってからのことだ。記憶がしっかりして
いて元気なうちに自分史を残しておくように勧めている。
戦争は誰にも深く陰をさすものなのだ。
松林監督にはこれからも、様々な「戦争を知る」作品群を期
待したい。

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セントアンナの奇跡

 この8月末で閉館になる新宿のテアトル・タイムズスクエアで
スパイク・リー監督の「セントアンナの奇跡」を見た。
まず閉館について。小さいけど見やすく、良い映画を上映して
いたので残念。そういえば最後にあそこで見たのは「WATARI
DORI」だった。集客は難しかったんだろうなあと思う。
通には魅力の作で或る程度評判も良い映画でも客は入らない。
一方では、フジテレビが仕掛けた織田裕二主演の「アマルフィ」
なんかには押し掛けているんだろうな。
閉館特別上映と銘打ってwebのファン投票上位10位プラス4の
14作を22日から連続上映するとのこと。幾つかは見に行こう。
 さて「セントアンナの奇跡」。スパイク・リーらしい導入に
引き込まれる。でも動き続けるカメラがちょっと煩わしい。
編集がうまいなあ、ダイアローグがいいなあと思いながらテン
ポ良いカッティングで第二次大戦下1944年のイタリアに飛ば
される。結構リアル感あふれる戦闘シーンから今度はファンタ
ジーへ、そしてまた戦闘があって現代へ戻り最後にまたファン
タジー的結末という、あの監督にしては随分マイルドな作だ。
 それでも、端々に昨今の世界状況を反映する言葉やシーンが
ちりばめられていて、直接的ではない方法でスパイク・リー監
督らしさが表現されていた。
オバマ大統領の誕生と変化するアメリカと関連づけて、どちら
かというと過激な監督も融和と共存を模索している。とチラシ
解説には書かれている。そういう部分もあるかもしれない。
 いずれにしてもファンタジーに包まれたスパイク・リーなら
ではのメッセージが詰まっている作だと思う。
それにしてもイタリアの子役はいいなあ。この作のアンジェ
ロ役が素晴らしい。そしてイタリア人もドイツ人もアメリカ人
も、総じてキャスティングが絶妙。

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