旅行・地域

侮るなかれ 城下町

  熊本市街に行った用事のついでに古町と呼ばれる辺り

を散策してみた。

 熊本は戦時中には市内も市外も空襲を受けたと母親に

聞いていたが、意外に江戸の屋敷町の面影を留める町屋

が残っていたりする。

Photo   といっても炎天下である。それでもなかなかに風情の

ある一角があるものだ。そしてそんな町屋が洋食屋とか

料亭、洋品店などとして再生している。果たしてどれ程

の集客があるのか、商売として成り立っているのかは分

からないが、もしうまくいっているなら嬉しい。

Purity Photo_2

 でもやはり歴史ある城下町は底力があるようだ。町屋

再生のアイディアと、それを実行する余力はあるようで、

あれらが観光の呼び水のひとつであれば力強いのではな

いだろうか。

 九州新幹線が全線開通して、熊本も観光面で勢いづこ

うと画策していたらしいが、もうひとつのようだ。

JR熊本駅周辺もなんだか閑散としていて、改築された

駅舎も新しいだけで貧相な田舎の駅という感じで集客の

魅力は無い。改装された熊本城の敷地に出来た飲食と地

元物産が売り物の観光施設も、もうひとつ集客には結び

ついていないらしい。

 どうも熊本の人はPR下手のようだ。街歩きの参考に

なるようなものがあるかと市役所に寄ってみたら、「城

下町散策町図」というリーフレットがあった。

Photo_3

勿体ないなあ、もっとちゃんとした物を作ってPR戦略

を立て、他のメディアも使ってPRしていけばいいのに。

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岩の教会

St_g1  エチオピアの三大聖地のひとつラリベラ。岩山を彫っ

て造られた教会群で知られていて、ユネスコ世界文化遺

産に登録されている。12の教会群が3つのグループに分

かれていて、それぞれの教会がひとつの大きな岩山を彫

り削って造られている。

たとえば第一教会群には6つもの教会があって、これら

を形作る岩山は巨大で、どうしてこれがひとつの岩だと

いうことが分かったのか不思議だ。まわりは土の山で、

800年前、教会を彫り始めるときに地表に出ていたの

は岩の一部分だけだったはず。一体どうやってあんな巨

大な一枚岩がそこにあることを確信していたのか?

地元の人に聞いてみると皆同じ答を返す。神のお告げで

あったという。

St_g2 でも、そんな神話や説話のようなことでもなければあり

得ないことは確かで、世界にはそんな奇跡のような事が

いくつもあるものだ。

 聖人の日、ミサに向かう町の人たちが暗いうちから歩

いて教会に向かう。何時間も何時間も祈りを捧げる。

何百年もの人々の祈りが岩の教会を磨き続けている。

人には祈りが必要な時がある。

St_mary

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エチオピア日記 5

P  ハフトム君のことを考えてみる。
アクスム観光の拠点に石碑公園という場所がある。一枚岩
で造られた古代の石碑群が林立していて、この地を訪れる
観光客は必ず足を運ぶ名所の一つ。ユネスコが認定した世
界遺産の要素のひとつだ。
ハフトム君は近郊の農村出身。中学校の学業半ばにして路
上の物売りに転じた17歳の青年で、その石碑公園の入り口
を根城に商売をしている。観光客を乗せたバスが到着する
と一斉に群がり、手にした十字架や石細工などの民芸品を
売りつける。その若者を、カメラの三脚係として雇うこと
にした。重い三脚を担いでいつもカメラマンの傍に持ち運
び、必要な時には指示する場所に立てたり閉じた りする。
また予備バッテリーやらビデオテープやらの入ったリュッ
クサックを背負っていて、これも交換の必要に応じて入れ
替えの手助けをするのが彼の役目だ。他にも機材の多い今
回の取材では、他にも車から撮影現場までの荷物運びを含
めて人が必要だった。たいした知識は必要ではないので、
こちらが何をしたいかカンを働か せて機敏に動く若者がい
ると助かるのだ。
ハフトムは片言ながら英語をしゃべったし、観光客からの
聞き覚えでイタリア語さえできた。同じような路上の物売
り達と競合して商売をしてきただけに、なかなか利発で要
領が良く、カメラマンから気に入られてかなり重宝した。
そのハフトムの日当は日本円換算で1日750円だった。
エチオピア観光のハイシーズンとはいえ、物売りの仕事
ではコンスタントにそれだけの利益を上げることはでき
ないだろう。しかし大勢の観光客の姿を目にした彼は、
我々との仕事を始めて数日後に賃上げを要求してきた。
今のシーズンは物売りの方が実入りが良いから、後半の
数日は拘束料としてさらに一日あたり2千円を上乗せして
くれなければ辞めたい、というのだった。彼の仕事ぶりに
満足していたし、同じように気が利く助手がすぐに見つか
るとは思えない。彼にとっては破格の要求でも日本人の感
覚では安いものだと、スタッフは要求を呑んで彼の思惑通
りとなった。
これに気を良くした彼は、さらに次の撮影地(数百キロ離
れた別の世界遺産)にも連れて行ってくれとまで申し出た。
さすがにこれは諸般の事情があって却下したが、このよう
に売り込み、主張し、チャンスを広 げようと画策するなど、
なかなかにしたたかな17歳なのだった。
先の司祭やハフトム君の生き方を振り返って、改めて日本
を含めて、国民の民度というものについてを考えてみる。
Photo

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エチオピア日記 4

Photo  現地ガイドの説明によるとエチオピア正教の司祭は妻帯
が許されていて、宗教に律する暮らしに身を置きながらも
農業や商売などを営んで一般的な社会生活を送っている。
タボットを担ぐ大役を担うのは、何十人もいる司祭のなか
から年ごとに選ばれた人物で、いつも決まった人ではない。
選ばれた司祭は祭りの2日前から精進潔斎して身を浄める。
顔の利く現地のエージェントを通して事前にアプローチし、
取材を受けてもらえる事になっていた。
 こうした撮影取材には謝礼がつきものだ。申し込む方も
受ける方も当然のように考える。特に昨今のアフリカ諸国
では、市場の物売りを撮影するような場合でも金銭的な対
価の合意を事前に得ておくように気をつけなければトラブ
ルが発生する。例えばケニアのナイロビあたりでは市内の
目抜き通りで道行く人に簡単なインタビューをしようとし
ても、人によっては数十ドル払わなければ嫌だと断られて
しまうようなケースもあるのだ。
ところが、厳格な宗教者であるアクスムの司祭たちには謝
礼を当てにするような人は少ない。その司祭もそうした人
物で、取材経験など無い純朴な人だった。そしてその純朴
さと厳格な宗教心が逆に撮影にとっては困難を招くことも
ある。
祭り前の日常風景から撮影をしたいというディレクターの
意向があって、前日に司祭の家に行った。家族で寛いでい
る様子が撮りたいとか、あれをしてくれこれができないか
と要求するし、撮影上の都合で同じ事を何度も繰り返して
やってもらう…などなどがあった。撮影がどんなことかも
分からず、そんな注文に応えなければならないなどとは想
像もしていなかった司祭が、徐々に困惑し始めていくのが
私には分かった。それでも何とかその場を取り繕いながら
撮影は進み、そして祭りも無事に済んだ最後に、ディレク
ターは司祭の感想を一言聴きたがった。
ここにきて司祭の堪忍袋の緒が切れた。祭り前夜から3日
間断食をし、眠る事無くタボットの傍で祈りを捧げていた
ので、一刻も早く家に帰って休みたかったのだろう。
「もうあの人たちの顔を見たくない」と、協力を拒否して
しまったのだった。宗教者として、自分達の伝統を紹介す
るためにありのままを撮るのだとは納得していたが、番組
の構成上の都合に振り回されることは理解を越えていたに
違いない。謝礼目当ての協力ならば料金を釣り上げること
にすれば話は簡単だ。ところが彼は好意で協力してくれて
いただけなので、以後の接触を一切閉ざしてしまった。
自尊心を持った毅然とした生き方だと思う。
撮影者は別に悪い事をしたわけではない。番組の完成度を
高めるために最善を尽くそうとしただけだ。しかし、ふた
つの価値観が重なることはない。
もう一人、アクスムで出会った若者のことを思い出す。

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エチオピア日記 3

 エチオピアが建国されたのは紀元前とされている。あの
シバの女王の時代のことだ。その勢力はアラビア半島にま
で及んでいて、当時、王朝の首都だったのがアクスムだ。
 エチオピアでは今も強く信じられている伝説がある。
エルサレムを訪れた女王シバはイスラエルのソロモン王と
の間の子を身籠った。それがメネリク1世だ。メネリクが
エチオピアへと旅立つ時、密かに持ち出されたのが神との
契約が記された「アーク」だった。それは以後数百年にわ
たってエチオピア北西部のタナ湖畔の修道院に秘匿された
が、4世紀に当時の王がキリスト教を国教としたときに首
都アクスムへと持って来られたという。
説明は省くが、興味のある人はエチオピア正教について調
べてみると面白いはずだ。 
Photo  さて、以前話題になった「神の刻印」という本がある。
日本でもテレビ番組になったりしてベストセラーとなった
「神々の指紋」で一躍有名になったエコノミスト誌の元・
東アフリカ特派員グラハム・ハンコックが著したものだ。
この本ではモーセの十戒を刻んだ石板と、それを納めた箱
「アーク」の存在を求めてエチオピアを訪ねた様子が描か
れている。
アークはエチオピアではタボットと呼ばれ実物は門外不出。
しかし全国のエチオピア正教の教会には信仰の基盤として、
教会の奥の聖域にその複製が必ず安置されている。それは
年に一度、ティムカットの時にだけ大衆の前に持ち出され、
司祭たちの行列とともに町を練り歩く。
Photo_2 …ということで、この祭りを軸に、世界遺産であるアクス
ムの紹介をするのだが、今回はこのタボットを担ぐ司祭に
スポットを当てようというのだった。

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エチオピア日記 2

Dubai  久しぶりのエミレーツ航空だ。3年程前にケニアへ行っ
た時には2カ月の間に2往復するのに使った。当時は関空発
着だったので、羽田から提携しているANA便に乗るように
なっていて、そんな便利の良さと何よりも機材やサービス
の良さとアフリカや中東方面への接続が多い(勿論ヨーロ
ッパ各地にも飛んでいるが、ヨーロッパに行く人はあまり
利用しない)ことなどで評判も人気もよい航空会社で、今
は成田発着になっている。ドバイ空港はとても広くて到着
機からはバスでターミナルまで送られるが、そのバスで
ターミナルビルまで15分程もかかる。
今回はエミレーツの乗り継ぎ便が満席でドバイからがエチ
オピア航空になったために、朝5時に着いて夕方5時の出発
まで12時間もあった。この機会にドバイの街まで出てみる
かと思い、トランジットビザを貰おうと広い空港内を探し
てみた。ところがアラブ世界特有なのか非常に不親切で、
掲示など何も無いし案内所の女性係員がまるでぶっきらぼ
うに「アッチに行け」と顎をしゃくるばかり。どこに行っ
てもそんな感じだったり係員が居ないなどでくたびれてし
まい、結局空港内で時間をやり過ごすことにした。
労働者やサービス業などはアジアやアフリカからの出稼ぎ
に任せてしまっているし、エミレーツ航空のHPなどから伺
える表向きとは違って、政府としては観光などに力を入れ
ていない事がよくわかる。外国人労働者に対応するビザの
カウンターには長蛇の列が出来ていた。
Addis  さて一年ぶりのアディスアベバは相変わらずの建築ラッ
シュ。前回のホテルは新しくてなかなか良かったが、今回
は別の新しいホテルで、同じく空港からもほど近い。最近
はそんなホテルがどんどん増えているのだ。
古都アクスムへの空路は満席。エチオピアは12月から3月
くらいは乾季だしクリスマスからニューイヤー、そしてテ
ィムカットと続く祭りなどで観光のハイシーズンだ。特に
飛行機やホテルはどこも満席・満室で予約を取るのが大変
だった。去年世話になった優秀な現地エージェントが頑張
ってくれたので何とか確保できたようなものだ。
さてさて、同じ祭りを2年連続で見ることができるなんて
なかなか無い機会だ。去年は下見無しの一発勝負だった。
昔2度ほど訪ねたことのあったアクスムではあるが、祭り
自体は初体験だっただけに現地ガイドからの情報を頼りに
何とか切り抜けたが、今回は最新の知識がある。私にコー
ディネートの依頼が来たのは、そのためだ。ただ、今回は
祭りの重要な任務をこなす司祭を追うという目論みがあっ
て、前日から色々と急がしいアレンジが必要なのだった。

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エチオピア日記 1

Photo_2 昨年の1月、エチオピアの世界遺産をテレビ番組で取材した。
ちょうど一年後の今年、北部の古都アクスムで、同じエチオ
ピア正教の例大祭であるティムカット(アムハラ語でTimkat、
キリストの降誕とヨルダン川での洗礼を記念する祭り。欧米
ではEpiphany=顕現祭=キリストの降誕が公示された事を
記念する日)をからめた世界遺産の取材にコーディネーター
として行くことになった。
話が舞い込んだのは年末もあと一週間ほどになってから。
TBSの「The世界遺産」でアクスムのティムカットを撮影
したいが、エチオピア政府の撮影許可が間に合うか?そして
もし間に合うようならば、1年前に取材した経験のある私に
同行して欲しいということだった。
ティムカットは毎年、西暦の1月19日に催されるエチオピア
正教の祭りで、エチオピア全土で行われる。
Photo_3 アフリカ諸国では通常、政府の撮影許可を申請してから取得
するまで1カ月ほど掛る。ただしそれにはやり方が幾つかあっ
て、国や撮影対象にも依るが、短期間で取得することが可能
な場合もある。
昨年の場合も取材の話は11月に持ち込まれたが、実際に場
所が確定してGOが出たのは年末が押し迫ってからのこと
だった。実質的な申請は年明けに提出して1月16日には許可
が出ていたので、同じ現地エージェントを使えば間に合う
ことは分かっていた。ただ、私の事情もあって、1月中頃か
ら2月初旬までを拘束されるとなるとクリアーすべき課題が
あったけれど、それもなんとか調整できた。
ということで昨年より2日早い1月14日、ドバイ乗り換えの
エミレーツ航空で成田を発った。

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アルジェリア撮影紀行 2 

 彼女はアルジェリアの日刊紙の記者だという。そして情報省か
らの撮影取材許可の条件として同行を義務付けられた随行員だ。
つまり私達がアルジェリア政府にとって不都合な取材をしない
ように監視をするために任命された人物だ。
政府派遣ということはただの記者ではないということで、そうし
た人物の常として我々にとってはあまり歓迎出来る者ではない。
というのも、そうした人は往々にして色々と撮影対象や方法につ
いて規制をするようなことを平気で行うし、場合によっては非常
に高圧的に振舞うようなこともある。
 何しろ私もコーディネーターも初めてのアルジェリアなので勝
手が分からない。ところが先に乗り込んで空港で迎えてくれてい
たコーディネーターによると、この女性は意外と影響力が強いら
しくしかも非常に協力的だという。果たしてそれは、到着翌日に
始まった撮影で証明された。
 ちなみにアルジェリアは外務省の渡航情報によると、首都の周
辺を除くと「渡航の是非を検討」や「渡航を延期」という地域と
されている。日本の報道機関では無視されているが、マグレブ地
域でのアルカイーダ系テロ組織の温床となっていて、しばしば事
件が起きているのだ。主要道路のあちこちには制服警官が立ち、
パトカーが巡回しているし、私服もウヨウヨいるらしい。
 私達の取材はいわゆる観光地ばかりなのだが、そんな場所にも
警官が居て必ず撮影許可を見たり説明を求める。しかも現場まで
一緒について来るし、撮影中も公安や治安維持など部署が違うら
しい他の警官が次々にやって来る。それらへコーディネーターが
一人で対応していたら撮影は進まない。それを一手に引き受けて
撮影の邪魔にならないようにしていたのが同行した女性だった。
お目付役というよりはコーディネーター補佐のようなもので、
そんなことをしてくれた人は初めてだった。
本人は明かさないが、彼女自身が裏では警察関係の役職を持って
いるらしいということだった。面向きは新聞記者で裏の顔は秘密
警察!?そうしたことは考えられる。ただそんな人物が協力的な
ことは珍しい。

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アルジェリア撮影紀行 1

P1020245  空港に着いた。こじんまりとした空港で、多分この数年の内に
建てられたと思われる新しい建物だった。パスポートにはビザが
あるので、撮影機材の通関以外は入国に関しての問題は無いだろ
うと思っていたが、まずそこでもたついた。
ビザのページを開いてスタンプを押そうとしていた係員が、たど
たどしい英語でhave a nice dayと言おうとした時「ん?ジャー
ナリスト!?」と眉を曲げた。取材のためのビザだから、そのよ
うに書かれている。テレビ番組の撮影だと言うと、ちょっと待て
…ということになった。
よくあることだ。撮影取材に関しては政府のお目付役が同行する
ということも、以前はよくあった。ただ、現今の「民主化」され
たアフリカ諸国にあっては、言論・表現の自由を保証するという
名目のために、そうした監視体制は無くなっている国が多い。
はたしてアルジェリアはそうではなかった。撮影許可が出る条件
のひとつに政府関係者の同行が義務づけられていることも分かっ
ていたが、それがどんな人物かはギリギリまで不明で、事前には
分かっていなかった。
 空港でコーディネーターと一緒に私達を待っていたのは妙齢の
女性だった。どう見ても20代だ。果たしてこの女の子が、しかも
男尊女卑が伝統のアラブ世界であるアルジェリアで、彼女がどの
ように役割を果たすのか?
ところがこの女の子が意外な働きを、しかも私達の味方としての
活躍をするとは思いもしないことだった。

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アルジェ 1

P1020565  アルジェリアへ行ったのは初めてだった。というか、北部アフ
リカが初めてだった。
途中、乗り換えのカイロで一泊したのでエジプトを垣間見ること
もできた。うーん、あそこはアフリカなのだろうか?夜中に着い
て、昼前に急ぎ足で博物館を覗いただけだから、よく分からない。
ケニア生まれ育ちのパキスタン系の知人の言葉では、エジプトは
アフリカだった…とのこと。まあとにかく歴史だけは感じられた。
 さてアルジェリアだが、エジプト在住のコーディネーターによ
ると、気が短く、北部アフリカのアラブ圏諸国では嫌われ気味な
のだという。そして社会主義でもないのに非常に官僚的で、警察
権力の強い監視国家だと聞いていた。
別の機会に書くが、確かに警察ばかりウヨウヨしていたが、私に
はそれほど悪い印象はない。少なくとも首都のアルジェに関して
言えば、地中海に面していることもあって、まるでフランスの港
街のようだ。ということで、まずはアルジェの写真を。

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