心と体

ラマダン 2

 特に小中学生だった子どもたちにとって、断食を実践するた
めには日本が好意的な環境だとはとても言えなかった。
逆に偏見や疎外を生んでいたに違いない。
 当時小学校4年生の息子の場合、担任の先生に説明して理解
を得、給食をスキップさせてもらった。その間息子は図書室で
過ごしたと言う。でも何でも右に倣えを刷り込まれてきた日本
の民衆意識からは奇異で不思議な行動だったのだと思う。
 給食で言えば、イスラムの規範のひとつである豚肉の禁忌と
いうこともそうした要素の一つだ。私は給食メニューが出た時
点でチェックしておき、先生に伝えて豚肉を使った食べ物を省
いて食べさせてもらえるように頼んでいた。
 私はそれらをどれだけ厳格に守るかということよりも、規範
に則って暮らしを律するという事の意味を理解し、それを守ろ
うとする意志を育んで欲しかったから実践は本人に任せていた。
どの程度実践されていたかは知らないし、知るつもりもない。
また先生がどのように子どもに分かるように説明したのか知ら
ないし、他の子どもたちがどう受け止めたかも分からない。
多くを語ってきていない息子の心の内外で、それがどう波及し
たのかも知らない。
 直接にはラマダンとは結びつかないかもしれないが、息子は
度々他の子どもと喧嘩したり、不機嫌になって帰って来る日が
あった。そうした出来事と、ラマダンに象徴される異文化や宗
教、人の生き方の多様性に対する日本の対応性の未熟さは、か
なり濃くリンクしているに違いない。
 妻が日本を去って以来、私の暮らしの中でイスラム的規範を
守ることがおざなりになっていって今に至る。
イスラムは禁忌に縛られているとか、何ごとも厳しく強要する
厳格で激しい宗教ではないかと思われているかもしれない。
詳しいことは宗教学者に任せるとして、私の知る限りで一般的
なイスラム(おしなべて宗教はみんなそうではないか?)の原
理は自己との対峙と世界との調和だと思っている。
そして生き方や行動を律するのは自分自身であって、その自分
を磨く精神活動が宗教行為だろうと考える。
 私は5つの柱を盲目的に守ることのできない、かなりいい加
減なムスレムだが、果たして自分を律することができているだ
ろうか?
半月が反射する光を眺めながら自問していた。

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ラマダン 1

 数日前の夜、外に出てみると月が見えた。晴天の夜空の真ん
中に、きれいな半円形の月が明るくホワリと上がっていた。
そして、そういえばラマダンのちょうど中間なのだということ
に気付いた。
 ラマダンというのはイスラム暦(太陰暦)9月の呼び名で、
日本式に「長月」と呼ぶようなものだ。この月はイスラムの
5つの柱(信仰のために守るべき規範。信仰の告白「シャハー
ダ」1日5回の礼拝「サラート」ラマダン月に行う断食「サウ
ム」貧しい者への喜捨「ザカート」メッカ巡礼「ハッジ」の5
つの行いのこと)のひとつ断食を行うことになっている。
新月から新月の間の1か月間続けられる。
誤解している人が多いようだが、ラマダンという語が断食を
意味しているのではない。
 元妻がイスラム教徒だったので、結婚前に私も改宗した。
ナイロビのスンニ派モスクでイマム(宗教的指導者のような者。
イスラムには職業としての神職者は居ない)の唱える言葉
「アッラーの他に神はなく、ムハンマドはアッラーの使途であ
る」をアラビア語で3回繰り返し復唱した後、イスラム名を与
えられて信徒の仲間入りをした。
 まあそんな訳で、以後はアフリカでも日本でも私の家族は
イスラムの行動規範に則った日常生活を基本としたので、たま
の礼拝(礼拝には必ず告白を伴う)と年に1回の断食は出来る
だけ行っていた。とりわけ断食は元妻が腕を振るって料理をす
るので訪問客も多く、ナイロビに居る限りは殆ど行っていた。
 断食なのに料理の腕を振るうと言うとアレッと思う方が多い
だろう。断食をするのは日の出の2時間前から日没までのこと
で、その間は水は勿論タバコも口にしない。しかし日没後は先
ずジュースやコーヒー、紅茶などの飲み物と軽食を口にする。
その後で夕方の礼拝を済ませると改めてきっちりと夕食を摂る
ことになるのだ。この夕食をフィトルと呼んで、一日の断食達
成の喜びを共有するために、本来は旅人や通行人とかも呼び込
んで歓迎することになっている。 
今では見ず知らずの人をフィトルに誘うことは殆ど無いが、親
族とか友人、ご近所などが訪ねあって食事をすることはよくあ
ることだ。訪問者の多かった我が家では、各種の飲み物や軽食
に始まって炊き込みご飯や肉料理にデザートまで、家族分の3
倍ほどの量を毎日準備していたものだ。
 昼間に断食していたからといってバカ食いできはしない。
ラマダンの意義は体調を整え、自然や他の生物に感謝し、欲望
のコントロールを意識するなかで、生活パターンを整えて心と
体をリセットすることにある、と私は理解している。
家族が揃っていた頃は、日本でも可能な限り実践を心掛けたけ
れど、なかなか理解され難いことではあった。

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脳がフリーズ 2

 それは日中に起きた。一緒にソファに腰をおろして話をして
いたら、妻が突然顔を斜め上に向け、天井を睨むような目つき
で「キキキキ」と吃るような声を発し始めた。
はじめは何かふざけているのかと思った。直前まで普通に話を
していたのが、ほんの数秒のうちに発症したのだからビックリ
しないわけにはいかない。歯を食いしばって体を硬直させるの
で、そのままソファに横たわらせて声を掛けながら落ち着くの
を待った。計った訳ではないので実際にどのくらいの時間続い
たのか分からないが、長かったような短かったような時間が、
たぶん10分ほど経過して回復した。
意識を取り戻した妻に聞くと、ほんとうにプツンと意識が途切
れるのだと言う。体の緊張が和らいでいくと眠りから覚めたよ
うに、私はどこに居たのだろう?という感じで意識が戻った。
その間の記憶も感覚も完全に欠落していたが、発作前の状況の
記憶は残っていた。そしてとても疲れるらしかった。
夢を見ていた感覚も無く、臨死体験などとは全く違うらしい。
 投薬を続けるうちに発作の間隔は3か月、4か月、7か月と少
しずつ伸びてゆき、アメリカでの最初の発症から約1年7か月
を最後に症状は止まった。その後妻はアメリカに移って、すで
に投薬を止めて10年以上になる。発作はそれ以後出ていない。
 あれは何だったんだろうか? 
 深い部分の精神状態を示すサインだったんではないか。異文
化にフィットしないこと、そのストレスが脳のフリーズとなっ
て現れたのかもしれない、と考えることもある。
妻は最終的に日本に馴染まず、こんな国には居続けたくないと
出て行った。
 最初にアメリカで発症したのは、日本へ移動する途中という
宙ぶらりん状態がピークに達した頃だった。間もなくまた全く
違う文化である日本に行くということで、何らかのストレスが
溜まっていたのかも知れないし、もしかするとそのままアメリ
カに暮らし続けたかったのかもしれない。
 呼び寄せる前に訪ねた時に見たミネソタの田舎町の暮らしは
基本的な生活環境としてはナイロビ大差がなかった。親族の多
くが移住したあの町での暮らしの方がだろうし、まだ偏見や差
別が存在するとはいえ、世界中からの移民によって作られた多
民族国家のほうが自分の居場所を見付け易いに違いない。
だから彼女は日本は嫌いだと言い続け、最終的に自分から選ん
でアメリカに移住したのだが、あのまま日本に暮らし続けてい
たとするなら、また発作が再発したかも知れないとも思う。
 今はMacとMSのWindowsを使い分けているが、何かの拍子
にどちらも稀にフリーズする。そんな時ふと元妻の発作のこと
を思い出す。今日もフリーズせずに過ごせただろうか。

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脳がフリーズ 1

 アフリカから日本に戻って来る前、妻の親族が移り暮していた
アメリカに妻子を暫く預けたことがある。(本当は前妻だけど
面倒なので妻と記す)
そして日本の住まいを確保していよいよ呼び寄せようとする直前
妻が癲癇のような発作をおこして倒れたという知らせが来た。
調理中に台所で突然倒れ、意識を失ったまま救急車で運ばれて入
院した。当時の妻には、生まれて以来そうしたことが起ったこと
はない。担当医に聞くと、調べたが原因は不明だという。
 癲癇は『種々の病因によってもたらされる慢性の脳疾患であり
大脳ニューロンの過剰な放電から由来する反復の発作(てんかん
発作)を主徴とし、それに変異に富んだ臨床ならびに検査所見の
表出が伴う』(wikipediaから、WHOの定義による…とのこと)
原因は脳の損傷や神経の異常とされているが、多種多様な誘因が
があるとされていて、根本的な原因を特定するのは難しいらしい。
ただ言える事は、脳内サーキットの故障でシステムがフリーズし
た状態だということだ。
これはPCがこれほど普及し、自分でも多少使える今だからこそ
理解出来ることで、20年前の自分にすんなりと分かったかどう
か疑問だ。コンピュータは当初、電子計算機とか電子頭脳とか
呼ばれていたことを考えれば、脳の緻密な回路の科学的な働き
を模したものだということに改めて思い至る。
 パソコンを扱うようになった頃、私の周辺では何故か熱心な
Macintosh愛用者が多くて、最初に手に入れたのはMacだった。
今はそうではないし、扱い方が不馴れだったこともあるだろう
が当時のMacはしょっちゅうフリーズしていた。
脳がフリーズした状態の人間の意識というものはどうなってい
るのだろう?その間の意識がトンで、記憶もないのだろうか?
物音は聞こえるのだろうか?…
 妻が日本に暮らすようになって半年ほど後、私が出張で不在
中に発作が再発した。
病院の専門医を訪ねMRIなどを含む様々な検査をしても、原因
は特に判らなかった。そして投薬治療と定期検診が始まった。
発作は1.5〜2か月に一度の頻度で繰り返し起きるようになった
が、いつも私の不在中の出来事で、それがどんな様子なのか目
にした事は無かった。
そんなとき、発作を目の前にした。

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