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2013年4月

厄介な事件

 アメリカ、ボストンで爆破事件があって、
同市に暮らす娘が居る身としては一寸心配
している。というのも、娘は半分ソマリア
人の血を引くイスラム教徒であり移民だ。
マサチューセッツ大学で精神医学を学んで
いるが、その大学は銃撃戦の末に捕らえら
れた容疑者も籍を置くという。また、先月
結婚したのだが、婿はパキスタン出身の移
民で、こうした事情ではどうも偏見の目か
ら逃れ難そうなのだ。
 今日、face bookで娘のページを覗いた
ら、どうも職場で厭なことがあったらしい。
というのも、学業と並行して米空軍の仕事
をしていて、同僚に何か言われたみたいだ。
妙な疑いをかけられたら、かなり面倒なこ
とになる恐れがある。今年中には結婚の披
露パーティーでボストンに行く予定なのだ
が、困った事件を起してくれたものだ。
 また、マスコミが先走って容疑者たちの
背景を嗅ぎまわったり憶測を広めたりして
いるようだが自重して欲しいものだ。せめ
てもの救いは、捜査当局やアメリカ政府が
冷静に取り調べを進めているらしい事で、
発表にも随分気を使った対応をしている様
子が見てとれる。
 一人生き残った容疑者は重体だというが、
なんとか回復して全てを語ってくれること
を望む。

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靴磨きジョセフ 8

 だからもしその妹が誘いの様子を見せたら
どう対応しようかと考えたりなんかしていた
のだが、それは杞憂に過ぎなかった。
 ジョセフの妹は突然やってきた日本人の若者
に別に驚きもせず、チャイでもどうかと部屋の
隅にあった七輪に炭をくべて火をおこし湯を沸
かし始めた。ミルクたっぷり砂糖たっぷりの紅
茶は客をもてなすときに欠かせない。出してく
れたものは遠慮せず有難く頂くのも流儀だ。
 淹れてくれたチャイを飲みながら30分ほど世
間話をした。ジョセフは用があって実家に戻っ
ているのだという。ナイロビからバスで1時間
ほどで行けるからちょくちょく帰っているらし
い。ジャガイモとキャッサバなどの野菜類を植
えてある畑があって、ニワトリと数頭の牛を飼
っているという典型的な農家だが、自給だけで
現金収入になるような商品作物はない。だから
大の男が靴磨きで日銭を稼ぐために首都まで出
てくるのだ。

ジョセフも本当は工場での単純作業くらいに
はありつけるだろうと算段していたらしいが、
小学校(ケニアは8年制)を途中の6年でドロ
ップアウトしてしまっているから、簡単な肉体
労働でさえなかなか見つからない。国策で大学
の数を増やし学生数を増やしてきたが、ケニア
第一のナイロビ大学の卒業生でも、コネがなけ
れば就職が儘ならないケニアでは、小学校を修
了していない人が満足な職にありつけることは
難しい。
 私の元妻の係累にあたる若者は中等学校2
844制のケニアでは日本では高校1年に
あたる)でドロップアウトして車の整備工場の
下働きをやっていたが、経営者であるインド系
ケニア人の、人権を無視する態度に我慢ならず
辞めた。その後、私が口利きをして知人の会社
で企業間での事務書類を配達するメッセンジャ
ーの職を得て暫く働いたが、そこも上司との折
り合いが悪くなって我慢できずに辞めた。その
後どうしたかは知らない。
 似たような状況で、もっと学歴があっても職
が無く、結局は難民を装って国外に活路を見出
すしかないことになった若者たちが居る事を知
ったのはその何年も後のことだった。
 ケニア最大の人口構成を占め、数多くの大物
政治家や財界人を輩出している主要部族キクユ
族であるジョセフでも、近親に実力者が無けれ
ば立場は変わらないということを理解したのも、
ケニアの社会状況を知った後のことだった。
 何だか分からないままの茶飲み話が終わって、
ぬかるんでツルツル滑る斜面を登ってバス通り
に戻った。もう夕方で、数キロ離れた工場地帯
から徒歩で戻って来る労働者達の列が、車窓の
向こうで長い列を作って蟻のように歩いていた。

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