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2013年1月

アルジェリア人質事件に思う

靴磨きジョセフは一時中断し、この時勢的な
出来事について言っておきたいことがある。

 アルジェリアには4年前に行った。その経緯
の一部については前に書いたが、警察国家であ
ること、旧宗主国であるフランスへのスタンス
と対イスラム過激派への対応に頑なな部分があ
る特異な国ではある。また北アフリカのアラブ
圏各国の国民からは非常に頑固で付き合いづら
い国民性を持った国だと疎んじられているよう
な部分もあることを知った。
 さてそんな国には石油と天然ガス資源が豊富
だ。私が行った時にジェミラの遺跡で撮影して
いると中年の日本人男性二人を見かけた。話し
てみると彼らは道路建設の技術者で、休日を利
用して世界遺産を見に来たのだという。
 私たちにさえ警察車両が前後を挟んでの移動
が義務付けられているとはいえ、アルジェリア
北部の比較的安全な地域だったからそうした自
由行動もとれたのだろう。単身赴任で派遣され
ている彼らの休日の過ごしかたとしては精いっ
ぱいの贅沢な時間だったのかもしれない。
 それで実は私が言いたいのはそんなアルジェ
リアの事情とは関係なく報道のあり方の問題に
ついてなのだ。物申したい幾つかの点がある中
で、とりあえずひとつだけ。
 今回もそうだし、国内外で起きた悲惨な事故
や事件で、犠牲者を過大に修飾して紹介すると
いう、あの報道姿勢のことだ。
 犠牲者○さんXX歳がどのような人物であっ
たかを学生時代の写真などまで引っ張り出して
述べたて、旧友、親族、場合によっては家族を
も引っ張り出してカメラの前でコメントを吐か
せるという、あの行為の事だ。
 悼むという思いの欠片も無いあんな報道に何
の意味があるというのか?犠牲者を伝説化する
ことで同情を過大化させ加害者へのバッシング
を肥大化するという陳腐な情報操作でしかない。

そんなことをやっている暇があったら他に取
材するネタも報道するべき対象も山とある。
 しかも、近年やたらと取り沙汰される個人情
報保護の観点から言っても、故人の情報をあの
ように広く知らしめるべきではない。

私も数年前まで足の先を突っ込んでいた世界
だし、かつては民放の夕方の報道系情報番組に
制作スタッフとして参加していたことがある。
その頃もテレビ番組制作の大勢があまりに思慮
の足りない慣例と手法のまま、放送時間を埋め
るという流れ作業に追われていたことを恥じる
思いがある。
これは放送メディアだけでなく新聞や雑誌にも
総じて言えることなのだ。

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靴磨きジョセフ 3

 10分ほどでジョセフが靴を磨き終わり、次は
さて値段の交渉だ。幾らだい?と訊くと、何と
200シリングと吹っ掛けてきた。おいおいそれ
は幾らなんでもボリ過ぎだろう。当時、役所で
働く下級官吏の月給から換算すると一日分の給
料に匹敵する。大笑いすると、奴も悪びれる事
なく一緒になって笑っている。ちょっと口に出
してみただけなのだ。アフリカ人ならではの対
応のし方ではある。
 相場は一回510シリングであることは調べ
がついているのだが、ちょっと奮発してこう切

りだした。―よし、じゃあ今日は50シリング
払ってあげるから後3回はタダでやってくれ―

 こうしてそれから街へ出る度にジョセフの前
に立って話をするようになった。サンダル履き
のことが多かったので靴を磨いて貰うような事
はあまり無かったが、もとよりスワヒリ語の実
践レッスン料のつもりだ。
 そうこうして馴染みになったところで、いよ
いよお宅訪問をやってみることにした。
 ジョセフが暮らすキべラという地区は職を求
めて地方から出てきた人達が出身地や部族ごと
に寄り集まって暮らすスラムの典型で、周囲数
キロのなかに不法建築のバラックが立ち並ぶ。

当時既に数万人の人口を抱えていたが、今では
数十万と言う単位に膨れあがっている。
 広大なキべラのなかで、教えられたキアンダ
と呼ばれる一画を目指した。

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靴磨きジョセフ 2

 キクユ族というのはケニアの中央部、高原地
帯を中心に農耕民として勢力を伸ばし、現在は
国政や商業をリードする人達だ。ケニアの人々
の間ではキクユ商人は吝嗇の代名詞のような扱
い方をされることが多く、商売のためなら法に
背いたり少々荒っぽいやり方でも手段を選ばな
い…と思われている。そうした例は後々耳にし
目にすることになるのだが、とにかく商売人と
して成功している人達の多くがこのキクユの人
達であることは間違いない。
 
さて、タクシーに乗る場合などでもこうした

取引ではまず料金交渉しておくのが通例であり
肝要だということは判っていたが、その時私は
敢て事前に料金交渉をしないまま成り行きに任
せてみる事にした。
 その時履いていたのは赤茶けた土埃にまみれ
たビニール皮革の白いスニーカーだった。まず
は水に濡らしたボロ布で埃を拭いながら「これ
は日本製かね。造りが違うねぇ。ほら、ちょっ

と拭っただけでピカピカだ。」ときた。
 次に「これはね、柔らかくする薬」と、何や
ら薄青い液体の入った小瓶を取り出して降りか
け、その後でワックスを塗って拭きあげていっ
た。所要時間は10分位。その間彼は喋ること
止めることはなく、私の目的であるスワヒリ

会話の練習にはもってこいだった。
 話の中で、彼がナイロビ近郊のキアムブとい
う村の農家出身であること、今はナイロビ最大
級のスラムを擁するキベラ地区に部屋を借りて
妹と同じ村から出てきた妹の友達の女性と3
で暮らしているということが分かった。
 キベラならば私が寮生活を送る地区からさほ
ど遠くは無い。何度か靴を磨いてもらって馴染
みになれば訪ねることも出来ると期待した。

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靴磨きジョセフ 1(アフリカ回顧譚)

 ナイロビに暮らし始めた当初のこと。街と
人に慣れるため、スワヒリ語学校の授業が終
わった午後は毎日あちこち歩くことを日課に
していた。
 
街の中心を走るケニヤッタ大通りのスタン
ダード銀行前の歩道に、何人かの靴磨きが並
んで座って客待ちしている一画があった。
街中でもなければ舗装もままならず、少し歩
き回れば足元は埃まみれになる土地柄だ。い
つもスニーカー履きで靴磨きが必要な革靴な
ど履いて歩くことはなかったが、見ていると
ビニール靴でもスニーカーでもお構いなしに
客に声をかけ、土埃や汚れを拭き取り磨いて
いた。
 そんなわけで、そこを通りかかる度に私に
も声が掛る。ジーンズにTシャツ姿の若造で
ある私でも、外国人である限り小金を持って
いると目論まれ、ケニア人相手よりも料金を
吹っ掛けることができると算段したのだ。
私の方も彼らの暮らしにちょっと興味があっ

たので、或る日の午後、ちょっと厳ついけれ
ど愛嬌のある笑顔の靴磨きの前に埃にまみれ
たスニーカーを突き出してみた。
 ジョセフ・カマウ、28歳という。私よりほ
んの少し年上だが、もう30代半ばくらいには
見える。名前と言葉遣いからケニヤで一番の
口をもつキクユ族であると判った。

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