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2012年2月

コロンビアからのa song for Japan

  YouTubeで話題になったa song for Japan。いろんな

バージョンを拾っていたらコロンビアのものに目がとま

った。

 他のものがプロやセミプロ達による、私たちは寄り添

っていますよ…とアピールするための、いかにも社会活

動的パフォーマンスという感じがあって、どこか違和感

が否めないのだった。それはサルサ版などどこかのライ

ブ会場での演奏でも同じで、ところがこのコロンビアの

はちょっと違うのだ。

 多分町のアマチュア吹奏楽団だろう。とても下手だ。

場所は練習場らしい。手前に木琴が垣間見えるし座って

聴いている人達も団員のようで、其々自分の楽器を手に

していることがわかる。たまたまビデオカメラを持って

来た人が練習風景として撮ったものをアップしただけだ

と思う。音程もリズムもまるで合っていないし、練習に

しても下手過ぎる。それでも途中で止めたり反復するこ

ともなく通しでやっているのがいい。

 そしてこれがなんだか胸を打つ。音よ届け!という感

じで鳴っている気持ちが響く。

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思い出して欲しい 或るスピーチ

 もう忘れられてしまっている或るスピーチがある。

1992年、通称ECO92リオ・サミットと呼ばれた国連の

環境開発会議でのことだ。当時は世界中の新聞やテレビ

で広く報じられたかと思う。アフリカに暮らしていた私

CNNのニュースでその姿を見た覚えがある。

 12歳のカナダの少女セバーン・スズキは子どもの環境

団体を代表して世界各国からの代表達を前に演説した。

それがこの「世界を黙らせた5分間」だ。

*スピーチの訳と原文は以下のサイトでhttp://www.sloth.gr.jp/relation/kaiin/severn_riospeach.html

この優れて的を得たスピーチは会場の聴衆を聞き入らせる

に十分な説得力があるが、残念ながら彼女の提案を受けて

動いた政治家も企業も居なかったようだ。それはその後の

世界で何が起きたのかを振り返れば一目瞭然だろう。 

そして、今現在この日本で進行中の様々な出来事、政治や

企業が何をやっているのか、何をするべきなのかを考え行

動する指針として今一度よく聴き返して欲しいのだ。

 その後、セバーンはイエール大学でエコロジーと進化生

物学を学び、バンクーバーのヴィクトリア大学大学院へと

進んだ。今は環境問題研究・活動家としてテレビのプレゼ

ンターや著述に忙しいという。

 名前から分かるとおり彼女は日系の血をひく。父親の

デビッド・スズキはバンクーバーでクリーニング屋を営む

日系移民を両親に持ち、第二次大戦中は収容所生活を体験

した。カナダを代表する生物学者・環境活動家として国民

的知識人に数えられている。

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世界へのメッセージ

チャップリン「独裁者」からのスピーチを

使ったメッセージ映像

上記のオリジナル

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貧困女子について

  最近、新聞記事にとりあげられて一部で話題になって

いるテーマに若者の貧困がある。単身で暮らす2064

の女性の32%が「(相対的)貧困状態」にあるという。

国立 社会保障・人口問題研究所なる機関の研究者が最新

2006年度)のデータをもとに分析したらしい。

  これを受けてテレビのニュース番組で、その現状を探

ってみようと取材し、その年代層の男女の暮らしぶりを

紹介していた。しかしこの「貧困」というものは何を判

断基準にするべきなのか、考えてみると難しい。

 相対的貧困率というものの定義は、ごく大雑把に言え

ば統計上の税抜き年間所得の最高と最低の中間値の、さ

らに半分以下の所得の国民の割合だそうだ。家族構成や

年齢別人口比を加味して計算されるのだろうが、ウィキ

ペディアによると具体的には2006年の統計で127万円が

その判断値だという。

 テレビでは単純に税抜き月額手取りが13万円を基準に

街の若者にインタビューをしていたみたいだ。そして編

された画面で紹介されるのは皆、このラインを下回る

ような人たちで、確かに首都圏で生活する単身者がこの

収入で暮らすにはかなりの節制を必要とする筈だ。

 数人の友人とシェアする家の一室に住み、自転車で何

ロも駆け巡りながら1円でも安い食材を探す女性の姿を

介したりしていたが、番組では彼女はそれを自ら選び、

しろ楽しんでいる…と、健気にも新しい価値観を模索

しているような姿として印象付ける感じにまとめられて

いた。

 そしてそこには「貧困かどうかは気の持ちようや価値

置き方次第だ」「物質的・金銭的な豊潤が心の豊かさ

に繋がらない」というような論調を感じた。そんなこと

はよく言われてきているし、或る意味では同意する。

私も貧困のカテゴリーの一員で、物も金も少ない暮らし

の中でそれ程の不幸感無く過ごしてはいる。

 それでいいのか?と思う。個々人の生き方は其々が自

のやり方で追求すればいいけれど、そのための機会や

可能性はオープンで公平である必要がある。それが崩れ

てしまっているのが現在の世界であり日本の現状なのだ。

 貧困なのはこの社会で、それが現象として若者の暮ら

に反映している一端が「貧困女子」だろう。

 健気であることは停滞しか呼ばない。だから健気でな

かあってはいけないのだ。貧困社会に必要なのは停滞

の解消しかないではないか。この貧困世界にあって特に

貧困著しく、しかも対処の方途も目途も無いままに何の

用もなさない増税にだけ突っ走る政治体制に何の異も唱

えないニッポン国の民として貧困に甘んじてはいけない。

やるべきことは幾つもあるのだ。

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