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2011年7月

児玉龍彦 怒りの訴え

2万以上のアクセスがあったYouTubeから

急に削除されてしまった動画です。

http://savechild.net/archives/6135.html

言論の圧殺が企図されたとしか思えない。

でもこれは呼ばれて行った国会内での発言なのだ。

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中村とうよう自殺死から思う

  突然のニュースだった。音楽評論家 中村とうようが

自宅マンションから飛び降り自殺したという。

  あの辛口なもの言いは私のブログの密かな手本でもあ

って、ミュージック・マガジンに掲載されているコラム

「とうようズ トーク」を毎号出る度に本屋で立ち読み

するのが楽しみだった。

 昔のコラムをまとめた本「地球のデコボコ」は、なか

なか読み応えがあったし、その言論は音楽の範疇を越え

て傾聴に値すると、私は思う。

  まあそれはそれとして、図書館に行って7月号のコラ

ムを読み返してみた。そこでは中村が唯一購読していた

という東京新聞の記事からの引用が多かったが、とうよ

う節は変わっていないようだった。いくらかトーンが低

いように感じるのは今になって思う事だ。まさか自殺を

図る人の文章には読めない。

  遺稿には何が書いてあるのか?8月号はもう書店に出て

いるだろう。

 思い返すと音楽関係者の自殺には不思議なものが多い。

2010年に今野雄二、2009年は加藤和彦がそれぞれ不可解

な自殺をした。今野の死を受けて、或る人はそれを“自

由業者の老後問題“という括りで捉えていた。

 中村は近年、貴重な音源を含めた膨大なコレクション

を武蔵野美大に寄贈したり、或る意味の身辺整理を済ま

たらしい。でも今野も加藤も含めて、いっぱしの表現

が“老後問題”で自死を選ぶとは考え難いのだ。

 彼らの絶望がどこにあったのか?

 とうよう爺、黙って逝くのはあんたらしくないぜ!

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誰を責める

  福島県周辺の東北地方から出荷された牛肉から放射性

物質が検出されたと騒いでいるが、そんなことはまさに

「想定内」のことではないか。

 既に様々な放射性物質が、数百キロ離れた地点の水道

水や農産物から検出されているのだし、広い範囲の土壌

汚染が進んでいることも判っている。

 事は日本だけでなく、もう世界中に或る程度の放散は

拡がっているのだ。飼料藁だけではなく色んなものに被

曝は起こっていて、大気や海を通して土壌も動植物も農

産物も海産物も、福島原発事故の影響を全く受けていな

い物など無いと言い切ってもいいだろう。

 食肉に限っても、心配ならば牛肉だけでなく鶏肉や豚

なども全て検査してみるといい。恐らく日本中がパニッ

クになる程の結果が出るのじゃないか?

 そんなことは分かっているからマスコミも誰も今敢て

そうしたことに言及しないのだ。

 畜産家を責めるつもりは無いが、藁を餌にすることに

ついて問題になるとは知らされていなかったと言うが、

少し考えれば危険性は想定できる筈だ。各地で空気や土

壌の汚染が問題視されているのだから、食肉生産業者の

良識として、全く危ないと思わなかったというのは嘘だ

ろう。少しでも不安があれば調査するよう働きかけるな

り問い合わせるなり、やり方はいくらでもある筈だ。

  なんだか被災者意識を先行させて、俺たちも苦境の中

で生活しなければならないのだ、皆一緒の被害者じゃな

いか!と開き直っているような感じもしてしまう。

 まあ、元を糺せば国と東電に直接の原因責任がある事

は間違いないが、その国や原発を遂行する電力会社を認

めてきたのは我々国民なのだ…という事実もある。

 さあ、誰を責める。今、何をする。

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標準家族

 地方紙が好きだ。新聞作りの気骨のようなものが感じ

られるからで、ずっと読んでいたのは東京新聞、今は

熊本日日新聞(略称クマニチ)を読んでいる。

 その日曜版の「くまにち論壇」に雨宮処凛が書いてい

た。あの、反貧困関連の論客だ。最新の国勢調査の結果

では、今もっとも多い世帯状況は一人暮らしだそうだ。

 考えてみればそれはそうだ。私の家族だって、自分と

息子、母、姉と皆一人暮らしだった。兄夫婦にはちゃん

とした仕事をしながらパラサイトを続ける娘がいる。

 この今、はたして標準家族という概念は成立可能なの

だろうか?雨宮は震災被害者の孤独死を口きりに、そう

した問いかけを展開している。

 そう言えば、母親と暮らすようになって身近な話題と

して耳にするのは、年金暮らしの年老いた母親と暮らす

無職の息子というパターンの二人暮らしが結構多いとい

うことで、何を隠そう私もその一例だ。男親は概して早

死にするし、一人残れば放っておかれていることが多い。

それが現実なのだ。

 雨宮は一人で生きてゆくことのできる社会制度を作る

ことを反貧困運動のテーマにしているようだが、それを

政治上の制度の問題にしてしまっていいのだろうか?

 1990年代に入る頃からアフリカではストリート・チル

ドレンの問題が取り沙汰されてきた。本来は親族や隣近

所ほかの地域社会が面倒を見るというセーフティネット

が機能していたアフリカでは、たとえ貧しくとも両親が

居なくなったりしても、路上に出るしかない子どもは居

なかった、と言われる。私が知る限りでも、それはまあ

事実ではある。少なくとも食べることと寝ることに関し

ては、全くの絶望はあり得なかっただろう。

 アフリカには元より制度としてのセーフティネットな

ど存在しない。よく言われるように、極端な資本主義の

浸透とアメリカ型グローバリゼーションなど、世界的な

社会変革の余波でアフリカの助け合い社会が崩壊してき

たのだと識者は分析する。

 一度壊れたものを復元するのは難しいことは判る。で

もそれを制度でカバーするしかないという考えもまた

そのうちに破綻するだろう。

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アフリカ54番目の国

  数十年どころで驚くことじゃない。ダメ管が今更言わ

なくても福島原発被害の回復は数百年単位のものになる。

そんなことはチェルノブイリやスリーマイルの例から推

察すれば事故当初から明らかなのだ。改めて新事実の如

く取り上げているマスコミは全くトボケている。

  そうと判っていながらこれまでもそうした事実を追求

してこなかったのは商業主義マスコミ流の隠ぺい体質だ

と言えるだろう。識者や学者と言われる輩は、そんな判

り切った事などに敢て言及してこなかったのか?

 そしてアフリカに南スーダン共和国が誕生した。

  北との境界線地帯に埋蔵されていると言われる大きな

石油問題や、関連するダルフール問題などを抱え、その

行く末は決して明るくはない。生まれながらに難病を持

って産まれた新生児のようなものだ。

 その南スーダンに、衛星写真からもはっきりと見る事

のできる大地の傷があることを知っている人は少ない。

中断されたジョン・グレイ運河だ。

 ジョン・グレイ運河計画は巾60m深さ6mの運河を全

350kmにわたって掘ることを目指して1978年に着工され

た。ナイル川周辺に拡がる平原は雨季には日本全土

面積にも匹敵する大湿原となる。それはサッド(SUDD

アラビア語で「障害(物)」などの意)と呼ばれ、マ

リアなどの疾病の温床、道路などインフラ整備への

障壁、ひいては一帯の近代化を阻害するものとされた。

  一方で下流への水量流入を著しく妨げる(湿原に流

て蒸発する水量は膨大)として、エジプトからも長

年のプレッシャーを受けていた。

  そして運河建設の最大の目的は、石油を筆頭とする、

眠れる自然資源の収奪への足がかり作りなのだった。

 欧米資本が介入して巨大な土壌掘削機を導入して始

ったこの計画を着工後2/3で中断に持ち込んだのが、

南部スーダンの自立を目指したSPLA(スーダン人民解

放軍)の活動だった。

 1992年、私はあるテレビ番組の仕事で、当時はまだ

内戦状態が続いていた南部スーダン潜入を手伝った事

がある。

  ナイロビにあったSPLAの母体である政治組織SPLM

(スーダン人民解放運動)の事務所に何度も足を運ん

だ。住宅街の一軒家を借りた事務所は鋭い目つきの男

たちに守られていたが、対応する人達は皆知的で明晰

な紳士だった。

 あれからもう20年近く、ようやく独立への歩みが

結実しようとしている。

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震災と文明

 久しぶりに的を得た骨のある論考を目にすることがで

きた。「震災と文明」と題する新聞のシリーズ企画だ。

4人の識者に、東日本大震災の被害と対応から見えてく

る事を語ってもらうというインタビュー記事が71

から4日まで掲載されていた。

4人の識者は社会学者の大澤真幸、人類学者の中沢新一、

民族学者の赤坂憲雄と哲学者の鷲田清一だ。

  残念ながら赤坂には新しい知見も何もなかったが、

3人はそれぞれ独自の考えを展開していた。

 とりわけ目を開かれたのは大澤と中沢だった。

大澤は今最もまっとうな考えを持った識者の一人で、

その知識と言説は示唆に富む。「ふしぎなキリスト教」

(橋爪大三郎との共著、講談社現代新書)もまた一読に

値する。

  この記事では、原発というものが如何に自然に反する

ものであり、人知が作りだしたデーモンであるかを述べ、

それを産みだしたのが資本主義であると説く。

  それはまさに、私がモヤモヤと感じていたことをはっ

きりと言葉にしてくれたものだった。原発のどこが一体

「クリーン・エネルギー」なのか?私には最初から納得

できなかったし、経済効率(しかし実際には全く経済的

ではない)神話とアメリカ主導の資本増殖戦略によって

推し進められたのだということははっきりしているのだ。

 そのうえで大澤はこれからの私たちに求められるもの

として、未来の他者(数十年、数百年、数千年後の末裔

たち)を念頭に置いた社会の可能性を問う。

  中沢は鉄腕アトムが胸に原子炉を持ち核エネルギーに

よって動くロボットであったことを思い出し、現代の原

発が核分裂の熱エネルギーだけを利用して湯を沸かすと

いう、ローテクの最たるものと結合された「トロイの木

馬」のようなものだと指摘する。

 そしてそうした技術利用の裏にあるのが「一神教」

であり、「破壊」力を持つ「過激」な神の思想であると

説く。(そういえば大澤は「ふしぎなキリスト教」で、

資本主義を助長させたキリスト教の思想について述べて

いるが、非常に説得力があった。)

  そして古代ギリシャが、インドやエジプトや日本の民

が信奉してきた八百万の神の世界には一神教の神が持つ

危険さを包み込むインターフェイスがあったという。

  中沢は、これからの日本がとるべき道は「地域主義」

を深めることであり、昔の日本人の生き方を再創造する

ことだと括り、年内にエネルギーと文明を考える研究所

を開き、日本文明の再生を目指す「党」を立ち上げるの

だと括っている。

 果たして「党」の活動がインターフェイスとなり得る

のか、どのような地域主義を如何に展開するのか興味が

ある。しかし私が一番気にいったのは最後に言いきった

「政治は嫌でしたが斜に構えてはいられません。」とい

う言葉だ。

 そうなのだ、いかに良い理念があり民衆が立ちあがっ

ても政治が悪ければ何も動かないし、反体制運動や地下

活動となってしまっては違うものになる。

 私には911と今回の大震災によって突きつけられた

ものは同じだと感じている。それは平たく言えば「文明

の在りかた」「文明の活かしかた」だ。

 今は、浅薄な大臣の言動にかき回されたり国会で馬鹿

な時間の浪費をしている時ではない。今日私たちが何を

するかによって、1000年後どころではない数年後の他者

(というか自分自身)の生活が違ったものになる、そん

な転換点にいるのだ。

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