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アフリカ54番目の国

  数十年どころで驚くことじゃない。ダメ管が今更言わ

なくても福島原発被害の回復は数百年単位のものになる。

そんなことはチェルノブイリやスリーマイルの例から推

察すれば事故当初から明らかなのだ。改めて新事実の如

く取り上げているマスコミは全くトボケている。

  そうと判っていながらこれまでもそうした事実を追求

してこなかったのは商業主義マスコミ流の隠ぺい体質だ

と言えるだろう。識者や学者と言われる輩は、そんな判

り切った事などに敢て言及してこなかったのか?

 そしてアフリカに南スーダン共和国が誕生した。

  北との境界線地帯に埋蔵されていると言われる大きな

石油問題や、関連するダルフール問題などを抱え、その

行く末は決して明るくはない。生まれながらに難病を持

って産まれた新生児のようなものだ。

 その南スーダンに、衛星写真からもはっきりと見る事

のできる大地の傷があることを知っている人は少ない。

中断されたジョン・グレイ運河だ。

 ジョン・グレイ運河計画は巾60m深さ6mの運河を全

350kmにわたって掘ることを目指して1978年に着工され

た。ナイル川周辺に拡がる平原は雨季には日本全土

面積にも匹敵する大湿原となる。それはサッド(SUDD

アラビア語で「障害(物)」などの意)と呼ばれ、マ

リアなどの疾病の温床、道路などインフラ整備への

障壁、ひいては一帯の近代化を阻害するものとされた。

  一方で下流への水量流入を著しく妨げる(湿原に流

て蒸発する水量は膨大)として、エジプトからも長

年のプレッシャーを受けていた。

  そして運河建設の最大の目的は、石油を筆頭とする、

眠れる自然資源の収奪への足がかり作りなのだった。

 欧米資本が介入して巨大な土壌掘削機を導入して始

ったこの計画を着工後2/3で中断に持ち込んだのが、

南部スーダンの自立を目指したSPLA(スーダン人民解

放軍)の活動だった。

 1992年、私はあるテレビ番組の仕事で、当時はまだ

内戦状態が続いていた南部スーダン潜入を手伝った事

がある。

  ナイロビにあったSPLAの母体である政治組織SPLM

(スーダン人民解放運動)の事務所に何度も足を運ん

だ。住宅街の一軒家を借りた事務所は鋭い目つきの男

たちに守られていたが、対応する人達は皆知的で明晰

な紳士だった。

 あれからもう20年近く、ようやく独立への歩みが

結実しようとしている。

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