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実年齢と内面年齢

  あるとき、ふとしたきっかけで手にした本の著者の作

を次々に読んでみたくなることがある。

 田口ランディのときは、市立図書館の廃棄処理本の中

にあった「コンセント」を見つけて持ち帰ったのがきっ

かけだった。なにか気になる作家ではあったけれど、何

故か読む機会を逸していたのだが、「コンセント」にビ

ンビン響くものがあって全部読んでみようと思った。

でも田口の小説はどれもがつまりは「コンセント」に流

れる主題の変奏のようだと言う気がして全部を読む気が

なくなり、主にエッセイとか紀行を読み漁った。

  処女作だという「忘れないよ!ヴェトナム」とか「ひ

かりのあめふるしま 屋久島」が特に良かった。

 上原 隆も、ふと入ったBook offで目にした文庫版

「喜びは悲しみのあとに」を手にして数ページ読んでみ

て、なにやら琴線に触れるものがあった。

 タイトルは何やら埃っぽくて、いつ頃書かれたものだ

ろう?と訝しかったが、そこいらに幾らでも目にするよ

うな人達の、思わぬ生き方をサラリと掘り下げる語り口

と視点に惹かれた。

 私と共通するような物の味方と、興味のありかたに共

鳴したらしい。幾つくらいの人かと思ったら姉の世代で、

映像制作会社に勤める傍ら執筆活動をしているという。

 そうかそうか、という感じでいよいよ親近感が湧いて、

他の著作を探した。

 著者紹介によると日本のボブ・グリーンと称されてい

て、その手法をルポルタージュ・コラムというそうだ。

…ということを初めて知った。なるほど!

 で、その上原の「雨の日と月曜日は」(単行本では

「1ミリでも変えられるものなら」)に、“年齢”とい

うタイトルのコラムがあって、自分の内面の年齢が子ど

も時代のままだったり、話している年若い相手と同じよ

うな感覚だったりする、というようなことを書いている。

 昨日、久しぶりに息子と親子らしい会話を交わす機会

があった。そういえば26歳の息子と対面しながらも、

父親であるという感覚と自分も同じ年代だった、あの時

代に遡って喋っているような感じがした。

 最近は仕事をする場面では同年代との接触は少なく、

どうしても年下の人達のなかに入ることが多く、そん

なときもまた、同じような感覚で対しているつもりな

のだが、あるときガラスに映った自分をハッと見つけ

るように、実年齢とのギャップにギクリとしてしまう

事があるものだ。

 そして昨夜、息子は私を若いよと言ったが、それが

見た目のことなのか会話の内容とか内面の事を指して

いるのかを聞くのを忘れて、いやいや他人はそうは見

てないようだぜ、と自嘲してしまったのだった。

  今度息子と会ったら、私の若さについてもう少し突

っ込んで聞いてみなければ。

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