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2011年3月

満月の夕

 あまり黙っているとフラストレーションが溜まるので

まず一言。

 いまだに駅周辺などでヒステリックに大震災被害者へ

の義捐金を呼び掛ける人たちがいる。芸能人やスポーツ

選手などのいわば公人ならいざ知らず、一般市民がなぜ

あんなにまでするのだろう? あれも買い溜めに通じる

パニック症候群の一例じゃないかと思える。

寄付したいのなら個人で振り込みが出来る団体はいくら

でもあるから、それぞれが自分でやればいい。誰かを巻

き込みたいならば親族や町内会などに声を掛けるくらい

にしておいて欲しい。

どんな団体で、どこにどのように義捐金を送ろうとして

いるのかも明示しないまま、見知らぬ人が道行く人を巻

き込もうとする押しつけがましさに辟易する。

 さて先週の日曜、川崎アートセンター前で義捐金を募

るチャリティーJAZZライブがあるということをネットで

知った。有名無名、およそ30名ほどのミュージシャンが

集まり、入れ替わり立ち替わり演奏するという。

久しぶりに生音を聞きたいばかりに、寄付をするついで

に聴いておこうか…というつもりで出て行った。

階段下の狭いスペースを舞台替わりに、そのまわりを150

人ほどの聴衆が取り囲んでいた。

夕方からの部の最後に小柄な女性シンガーがサックス奏

者三人をバックに日本語の唄を歌いだしたとき、身が震

えた。電気増幅を行わないというポリシーだったが、そ

の生声はよく通った。「海風」「焼け跡」「満月」など

の言葉が突き刺さるように立ち上がる。サックスの咆哮

が絡み合って唄を持ち上げてゆく。

途中でシンガーは小型の拡声器を手にした。何だサック

スの音に負けて増幅に逃げたのかと思っていたら、割れ

た声が呻きのようなものに変わった。高揚するサックス

の叫びに、忍び泣きのような声が滲んだ。

サックスと絡み合うためにエフェクトをかけるためだっ

たのだ。シンガーは酒井俊、曲は「満月の夕」だった。

USTREAM画像の53分あたりからに注目!

http://www.ustream.tv/recorded/13621558

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季節はめぐる

 ようやく天気が良くなったので近所を散策する。

でもまだ風は冷たい。九州の実家近くの農業高校の桜が

蕾を開き始めたらしいが、こちらでは梅の花が目立つよ

うになっている。

駅周辺には人出が多い。冬休みに入った生徒たちが暇を

つぶしにカラオケボックスで順番待ちをしている。声を

張り上げて募金を呼び掛けている若者やオバサマたちも

いる。スーパーマーケットには客の姿が少なくなってき

ているようだ。近くにある市民病院脇の花壇が、いつの

まにか彩り鮮やかな花々で賑わっている。

324 ごくありきたりな感想ではあるけれど、季節は確実に春

の気配を帯び始めているのだなあと感じる。

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クラブに行って

 息子がクラブのイベントにラップパフォーマンスで出

るということで久しぶりに足を運んでみた。

イベント開始は深夜過ぎなのでなるべく遅く来るように

と言われていたので11時過ぎに着くよう家を出た。

そういえば一時ナイロビのナイトクラブ(ディスコ風の

バー)に入り浸っていた頃、活況を呈する時間に合わせ

るためにそんな時間にお出かけしていた。そんな若かり

し時代のことを思い出す。

所は麻布十番。地下2階にある入り口は飾り気の無い

倉庫のようなドアで、中から重いビートが響いてくる。

天井が高くて暗い、水族館の水槽の底に紛れ込んだよう

な中にあまり多く無い人数の若者たちが蠢いている。

内層が現代的なだけで、昔のディスコとそれほど変わり

はない。とにかく音がでかい。DJが客を煽るのは昔な

がら。入った時のDJはレゲエ野郎で、流している曲は

良く知った昔の曲が多い。かつてのディスコとあまり変

わり映えしないようだ。

とりあえずカウンターでビールを立ち飲みをしていると

息子がきて友人やイベントMCやらを紹介してくれた。

キャップをあみだに被り腰パンのだぶついたジーンズ姿。

いわゆるヒップホップスタイルで、ちょいバッドボーイ

ズという見てくれ。しかしみんな優しい若者たちだ。

DJが変わりレゲエから打ち込みのビートを利かせた音

楽が続くようになり、1時を過ぎる頃になるといつの間

にかフロアは人で一杯になっていた。

 イベントが始まったのは2時前だった。歌い手や踊り

手、ラッパーなどが10組ほど入れ替わり立ち替わり出

てきてMCの音頭で盛り上がる。

ここ数年、息子はそうしたイベントにグループや個人で

時にはMCでも出ているらしい。実際にやっている姿を

見るのは初めてだった。はっきり言ってあまりパッとし

ない。アフリカ人とのハーフだという見た目のアドバン

テージに負けてるぜ。

 それはそれとして、クラブのイベントというのがどう

いうものなのか、やっと分かった。

交通費にも事欠くような懐具合でもイベントだと言って

は出かけてゆく息子に、ギャラとまではいかなくても

せめて交通費くらい出すように要求しろよ、と意見して

いたけれど、その世界の事を何も分かっていなかった。

制約なしに自分を表現したい…売り込みたいと、個人や

グループで活動している連中が発表できる場が、あんな

イベントというものだったのだ。

オーガナイザーであるMCは、実力のある人材発掘の力

を磨く。一般の客だけを当てにしていたのでは立ち行か

ないクラブ経営者は、そうしたイベントによって集客を

増やそうということだ。

正規の入場料を払って入る客は少ないのだそうで、ドリ

ンクの売り上げで何とかやっていこうというのが実情な

のだという。そのためには色々なタレントを集めて趣向

を凝らしたイベントを仕掛け続ける必要があるのだろう。

このご時世では、なるべく資金を抑えながらお互いの利

益になるようにやっているということなのだ。

 たまには夜中に出かけてみるものだ。社会勉強になる。

なんて思いながら始発電車を待って帰宅した。ひと眠り

して遅い昼食のために近所の回転寿司屋に行った。

まさかそこで、経験したことのない大地震が首都をも揺

るがせようとは思ってもいなかった。

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七人の侍から

ビデオ棚の隅に「七人の侍」を見つけた。雨の一日

あまりすることも無いので久しぶりに見てみた。

クロサワ映画はやっぱり昔のものがいい。その頂点

「七人の侍」だと思う。カラー作品になって以後

は「どですかでん」「デルス・ウザーラ」までで

「影武者」以後は画作りに囚われすぎた我儘な大御

所の自己満足でかないと私は思う。                                

まあ評価のことはさておいて、「七人の侍」はなん

だか現代に通じるような話だと気づく。                          

街には仕える場のない浪人たちが職を求めてウロウ

ロし、いくら働いても貧しさから抜け出せない農民

たち。

そうした下層民を狙い撃ちで略奪を重ねる野盗は、

貧困ビジネスで暗躍する詐欺団のようなものではな

いか。で、米の飯と義をもって野武士の略奪から村

を守ったのは下層社会に身をやつしながらも「道」

を通したサムライで、野盗と化した野武士たちもま

た階層社会からの落ちこぼれだ。

結局、奪い合うのも助け合うのも同じ階層の中での

出来事なのだが、それを恥とか美徳とかのような話

にしてしまう奴がちょくちょく居る。

とにかくあれほど素晴らしいストーリーテラーだっ

クロサワは、晩年に近ずくにつれてどうしてあん

なに面白くなくなってしまったのだろう。

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代々木公園で

  ちょっと用事があって代々木公園に行った。

ぽかぽかの好天だ。陽気に誘われて沢山の人がくつろい

でいた。電車もほぼ通常に近い運行になって、みんなよ

うやく外に出ようという気になったんだろう。

いつもの、安穏とした週末そのもので、そしていつも以

上に多くの人の姿があった。

遠くから風に乗って太鼓の音が聞こえる。重なり合った

ジェンベの響きだ。同世代の友人が、ほぼ毎週末をそこ

で過ごす。彼がそこに通うようになってもう数年になる。

場を求めて集まるようになった同好者たちが、いつの間

にか知り合って人脈をつくり、練習を兼ねたセッション

をやるようになったという。国籍、年代、性別を越えて

楽しく太鼓を叩きあう彼らの姿に、そぞろ歩く人たちが

足を止め、耳を傾けている。

ジェンベを叩く人のなかには、大船渡にいる両親と連絡

がとれないままの人もいる。

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岩の教会

St_g1  エチオピアの三大聖地のひとつラリベラ。岩山を彫っ

て造られた教会群で知られていて、ユネスコ世界文化遺

産に登録されている。12の教会群が3つのグループに分

かれていて、それぞれの教会がひとつの大きな岩山を彫

り削って造られている。

たとえば第一教会群には6つもの教会があって、これら

を形作る岩山は巨大で、どうしてこれがひとつの岩だと

いうことが分かったのか不思議だ。まわりは土の山で、

800年前、教会を彫り始めるときに地表に出ていたの

は岩の一部分だけだったはず。一体どうやってあんな巨

大な一枚岩がそこにあることを確信していたのか?

地元の人に聞いてみると皆同じ答を返す。神のお告げで

あったという。

St_g2 でも、そんな神話や説話のようなことでもなければあり

得ないことは確かで、世界にはそんな奇跡のような事が

いくつもあるものだ。

 聖人の日、ミサに向かう町の人たちが暗いうちから歩

いて教会に向かう。何時間も何時間も祈りを捧げる。

何百年もの人々の祈りが岩の教会を磨き続けている。

人には祈りが必要な時がある。

St_mary

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本を整理しながら

 先日の震災の影響で、本棚(ちゃんとした棚じゃなく
板を渡した上に積んであるだけのようなもの)から落っ
こちて散乱した本を整理することにした。
実は、最近ちょっと考えるところがあって、衣服やらも
含めて所持品を極力少なくしようと思っていた矢先でも
あったのだ。
2年ほど前にも一度、300冊ほどを処分した。そのときも
手にとって仕分けしているといろんな思いが湧いてくる。
学生時代から持ち続けていたものも、古本屋の店頭で
1冊100円のワゴンから選び出したものも、どの本にもそ
のときの自分や時代が刷り込まれているなあ…としみじ
みしてしまう。だからなかなか手放す気になれないのが
本というものだ。
 震災報道ばかりのテレビで、公共広告機構のCMが
繰り返されているなかに、文字・活字文化推進機構から
の「本を読もう」というメッセージが目を惹いた。積み上
げた本は、まさに「知層」だと思う。
誰かの家に行ってまず目が行くのは書棚でありCD棚だ
ったりするのも、そんなものから人物評定ができるから
であって、意外なタイトルや著者の名前を見つけて嬉し
くなったりガッカリしたりすることがある。
最近はネットからデータをダウンロードする書籍やCD
が増えてきて、書店やCD店の存続が危ぶまれていて、
実際に閉店や縮小を余儀なくされた例は知られている。
でも私は、書店(やっぱり本屋と呼びたい)が無くなる
ことはない、いや、あってはならないのだと強く思う。
 大学時代の親友に本の装丁家がいる。彼はパソコン
を使わない。あくまで手作業に拘って視覚と手触り、ペ
ージをめくってゆく感覚や質量などを大事にしている。
彼の装丁は一目で判る。書店に行くたびに書棚を眺め
ては、これはあいつの仕事だな、と抜き出して確かめる
のは本屋巡りの楽しみでもある。

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民主化と人の暮らし

 チュニジアから拡がっていったらしい北アフリカ、中

のアラブ圏の民衆蜂起。あれをもって「民主化」とい

う呼び方をしていいのかなあ…と思っている。確かに社

会変革を求める大衆運動だろうが、マスコミが喧伝して

いるような見方には疑問があるのだ。

私は1980年代初頭から1990年代中頃までアフリ

で生活した。そしてアメリカ主導の西欧先進国が「民

主化」を旗印に原理的資本主義を導入して社会構造の変

質を迫り、その結果どのような事が起こったのかを実地

に見てきた。それは『民主主義の枢軸』が寄ってたかっ

て強制したものだ。

 かつて『暗黒大陸』アフリカを『開拓』した急先鋒は

リスト教組織だったという事は歴史が証明している

が、20世紀の末期に急進的な『資本主義化』の手先とな

って圧力を掛けたのはWorld BankIMFだったことを知

っている人は多いだろうか?

しかもそれは先進国の経済を成長させるために企てられ

ものであって、途上国や後進国のためのものではなか

った。経済援助と制裁という、アメと鞭を巧みに操って

『西欧的基準の民主化』と『経済の自由化』を迫ったの

だ。

Structural Adjustment Program、一般的にSAPと呼ばれ

ものがそれで、負債ばかりを増大させるアフリカ各国

政府に対して国営事業の大規模な民営化を強要、人員整

理と機械化、IT化を推し進めた。そうした経済構造の改

革を行い、一党独裁から多党制への移行を促していこう

というものだったが、これにより公社体制で行われてい

た電気や通信・交通といったインフラの整備・保全と

給が民間企業に移されて多くの失業者を産み、貧富格差

の助長と治安の悪化を招いたのだった。

 独立後たかだか20数年を経たに過ぎない発展途上の

会は、未だ大衆の意識の上で民主化の土壌は暖まって

はいなかった。

しかもそこはアフリカという歴史的にも文明的にも西欧

界とは異なる社会、物質よりも精神の豊かさをこそ至

上のものとする風土が培われてきた世界だ。

資本と経済力がなければ幸福が成就しない物質至上の世

を作り上げ、貧しい者の憧れを煽り、そうした現代的

生活の基盤であるインフラを左右する経済制裁で脅しを

掛けた。

つまり経済援助と引き替えに多くのアフリカ各国が独立

来採ってきた一党独裁制を多党制に変え、『民主的』

政治体制への変更を余儀なくさせたというわけだ。

しかし一般大衆には『民主化』ということが何を意味す

か、はっきりとは分っていなかった。個人が勝手に主

義主張を声高に出来る自由、と単純に受け取っている者

は少なくなかった筈だ。

同じ事を考えるうえで、イラク情勢のニュースで忘れら

ない映像がある。解放を謳うアメリカの報道陣をよそ

に金品の略奪がエスカレートする中で、或るバグダッド

市民が叫んでいた。

"Is this  what American call freedom?"

それを見たラムズフェルドはアメリカ国防省の記者会見

で、ニヤつきながら「それも自由だろう。解放の喜びに

っているのさ」とうそぶき、誰もその言葉に食ってか

かる者は居なかった。

 民主政治の御本尊を自負するアメリカ本国にあって、

や民主制とは金力のある一部階層の声と意向を反映す

る政治体制以外の何もので もなくなってしまっている

ではないか。

独立以来のアフリカに独裁的政治体制を強いて来たのも

た、富の増殖だけを念頭に置いた植民地政策をとる

『西欧列強』だったということを考えなければならない。

その地域の民族状勢などを無視した国境によって区切ら

た国にとって、民族や文化を異にする民衆を統治する

には或る程度独裁的で強圧的な国家元首の存在無くして

はまとまりがつかないということもあったのだと、あの

世界に十数年暮らしてきた私は理解する。

アフリカの国々では一国で数十から百以上の部族を抱え

いる事は珍しくない。それぞれに言語も宗教も風俗習

慣も異なる人々の集団をとり纏めることは簡単なことで

はない。

かつての部族社会では近接する部族同志の交流のなかで

まりのついていた事柄が、大きな国家という単位を維

持するなかで利益を共有し安寧を継続させてゆくには、

どこかで誰かが我慢したり不遇に甘んじたりしなければ

ならないこともある。

そのことが自国内で搾取の構造を助長させてきたという

ともまた、ひとつの事実だ。そしてそれを可能にさせ

ていたのが一党独裁と全権を握る国家元首の存在だった

ということを、長年のアフリカ生活で私は実感できてい

た。

独裁を肯定するのではないが、その国の成り立ちや背景

考えると、たかがアメリカのスタンダードで割り切れ

るようなものではないということは歴然なのだ。

イラクがどのような情況にあったのかを考え、アメリカ

どういう態度をとったのかを振り返ると、何故に私が

アフリカを引き合いに出したのか理解出来ることと思う。

 そして昨今の北アフリカ、中東情勢だ。さすがにソマ

アやアフガニスタン、イラクで学習を積んだアメリカ

は、今は簡単にはリビアへ手を出しはしない。

エジプトやリビアからあまり離れていないエチオピアか

戻って、大震災下の日本で、そんなことを考えている。

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悪人

 敢て震災について触れないでおこう。テレビはどのチャンネル
も震災報道ばかりで、そろそろ世界の他の事象に目を向けても
いいんじゃないかと思う。
 昨年、賞を取った映画「悪人」がレンタル店に出ていたので
借りて来た。実はちょっと気になっていたけど、封切では見て
いなかったのだ。
主演の二人を含めて助演陣も押さえた演技が心地良いし、スタ
イルや小手先の技術を廃した演出と脚本がストレートに訴える。
アナログ人間である私には、とてもスンナリと入って来る。
近頃はあんまり邦画を見なくなっていたけど、最近の洋画、特
に米画の短いカットやシーンをどんどんつないでいくやり方に
は辟易していた。
で、内容的には新鮮さは無いし、特段なにかを訴えるものでも
ないけれど、うまく現代的なテーマをそつなくまとめている。
人と人が繋がるとはどういうことか、この不安定な日本(だけ
ではないけど)で私たちは何を頼りに生きてゆくべきなのだろ
うか、そんなことに改めて思いふける機会を与えてくれる。
妻夫木や深津ファンには、また一段と魅力を覚える一作なの
だろうと思う。

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大変革の兆し

 いつものことだが、アフリカに行くと元気がリチャージ
される。いわゆる物質や設備、生活基盤のインフラといっ
た面で比較すると日本とエチオピアには発達/未発達とい
う差があるとしか言えないわけだが、人々の表情や社会に
漂う「気」という観点ではベクトルがまるで 違う。
日本人は現状維持に甘んじているうちに判断能力も表現能
力も失くしてしまったようで、そこには未来に何かを託そ
うという意志が感じられない。
それが端的に顕われているのが出生率だろう。子孫を残そ
う増やそうという気持ちがなければ、現状を良くしたいと
いう思いが湧く筈が無い。エチオピアを含めアフリカに漲
る生気は、子どもたちの将来に託す希望そのものだと思う。
帰国して成田空港に降り立った時から、日本は覇気の乏し
い「気」に包まれてしまっているなあ…とつくづく感じた。
とにかく日本人の表情には生気がなく、なんともつまらな
さそうでしかない。個人単位での愚痴は言っても、意見と
して表出したり行動や運動とはならない。他力本願だ。
 丁度エチオピアにいた頃にエジプトで民衆蜂起が拡大し
ていった。ホテルのテレビで衛星放送のニュースを垣間見
て、あんな大衆蜂起の姿は東欧で社会主義が崩壊した頃以
来のような気がした。エチオピアの片隅で撮影にかまけて
いる間に、地球規模で大きな社会変革の波が広がり始めて
いると感じた。これは社会主義崩壊、9・11に続く国際社
会の大変革の過程なのだろう。

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エチオピア日記 5

P  ハフトム君のことを考えてみる。
アクスム観光の拠点に石碑公園という場所がある。一枚岩
で造られた古代の石碑群が林立していて、この地を訪れる
観光客は必ず足を運ぶ名所の一つ。ユネスコが認定した世
界遺産の要素のひとつだ。
ハフトム君は近郊の農村出身。中学校の学業半ばにして路
上の物売りに転じた17歳の青年で、その石碑公園の入り口
を根城に商売をしている。観光客を乗せたバスが到着する
と一斉に群がり、手にした十字架や石細工などの民芸品を
売りつける。その若者を、カメラの三脚係として雇うこと
にした。重い三脚を担いでいつもカメラマンの傍に持ち運
び、必要な時には指示する場所に立てたり閉じた りする。
また予備バッテリーやらビデオテープやらの入ったリュッ
クサックを背負っていて、これも交換の必要に応じて入れ
替えの手助けをするのが彼の役目だ。他にも機材の多い今
回の取材では、他にも車から撮影現場までの荷物運びを含
めて人が必要だった。たいした知識は必要ではないので、
こちらが何をしたいかカンを働か せて機敏に動く若者がい
ると助かるのだ。
ハフトムは片言ながら英語をしゃべったし、観光客からの
聞き覚えでイタリア語さえできた。同じような路上の物売
り達と競合して商売をしてきただけに、なかなか利発で要
領が良く、カメラマンから気に入られてかなり重宝した。
そのハフトムの日当は日本円換算で1日750円だった。
エチオピア観光のハイシーズンとはいえ、物売りの仕事
ではコンスタントにそれだけの利益を上げることはでき
ないだろう。しかし大勢の観光客の姿を目にした彼は、
我々との仕事を始めて数日後に賃上げを要求してきた。
今のシーズンは物売りの方が実入りが良いから、後半の
数日は拘束料としてさらに一日あたり2千円を上乗せして
くれなければ辞めたい、というのだった。彼の仕事ぶりに
満足していたし、同じように気が利く助手がすぐに見つか
るとは思えない。彼にとっては破格の要求でも日本人の感
覚では安いものだと、スタッフは要求を呑んで彼の思惑通
りとなった。
これに気を良くした彼は、さらに次の撮影地(数百キロ離
れた別の世界遺産)にも連れて行ってくれとまで申し出た。
さすがにこれは諸般の事情があって却下したが、このよう
に売り込み、主張し、チャンスを広 げようと画策するなど、
なかなかにしたたかな17歳なのだった。
先の司祭やハフトム君の生き方を振り返って、改めて日本
を含めて、国民の民度というものについてを考えてみる。
Photo

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エチオピア日記 4

Photo  現地ガイドの説明によるとエチオピア正教の司祭は妻帯
が許されていて、宗教に律する暮らしに身を置きながらも
農業や商売などを営んで一般的な社会生活を送っている。
タボットを担ぐ大役を担うのは、何十人もいる司祭のなか
から年ごとに選ばれた人物で、いつも決まった人ではない。
選ばれた司祭は祭りの2日前から精進潔斎して身を浄める。
顔の利く現地のエージェントを通して事前にアプローチし、
取材を受けてもらえる事になっていた。
 こうした撮影取材には謝礼がつきものだ。申し込む方も
受ける方も当然のように考える。特に昨今のアフリカ諸国
では、市場の物売りを撮影するような場合でも金銭的な対
価の合意を事前に得ておくように気をつけなければトラブ
ルが発生する。例えばケニアのナイロビあたりでは市内の
目抜き通りで道行く人に簡単なインタビューをしようとし
ても、人によっては数十ドル払わなければ嫌だと断られて
しまうようなケースもあるのだ。
ところが、厳格な宗教者であるアクスムの司祭たちには謝
礼を当てにするような人は少ない。その司祭もそうした人
物で、取材経験など無い純朴な人だった。そしてその純朴
さと厳格な宗教心が逆に撮影にとっては困難を招くことも
ある。
祭り前の日常風景から撮影をしたいというディレクターの
意向があって、前日に司祭の家に行った。家族で寛いでい
る様子が撮りたいとか、あれをしてくれこれができないか
と要求するし、撮影上の都合で同じ事を何度も繰り返して
やってもらう…などなどがあった。撮影がどんなことかも
分からず、そんな注文に応えなければならないなどとは想
像もしていなかった司祭が、徐々に困惑し始めていくのが
私には分かった。それでも何とかその場を取り繕いながら
撮影は進み、そして祭りも無事に済んだ最後に、ディレク
ターは司祭の感想を一言聴きたがった。
ここにきて司祭の堪忍袋の緒が切れた。祭り前夜から3日
間断食をし、眠る事無くタボットの傍で祈りを捧げていた
ので、一刻も早く家に帰って休みたかったのだろう。
「もうあの人たちの顔を見たくない」と、協力を拒否して
しまったのだった。宗教者として、自分達の伝統を紹介す
るためにありのままを撮るのだとは納得していたが、番組
の構成上の都合に振り回されることは理解を越えていたに
違いない。謝礼目当ての協力ならば料金を釣り上げること
にすれば話は簡単だ。ところが彼は好意で協力してくれて
いただけなので、以後の接触を一切閉ざしてしまった。
自尊心を持った毅然とした生き方だと思う。
撮影者は別に悪い事をしたわけではない。番組の完成度を
高めるために最善を尽くそうとしただけだ。しかし、ふた
つの価値観が重なることはない。
もう一人、アクスムで出会った若者のことを思い出す。

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