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物乞い現る

 立川駅近くの歩道に物乞いがいた。夕方、駅へ急ぐ人群れ
の脇でじっと動かない男。遠目にはホームレスがへたばって
いるのかと見えた。
猛暑日の連続記録を更新した日だ。この暑さのなか、薄手の
汚れたコートをしっかり着込み、頭からすっぽりと体を覆っ
てうずくまっていた。顔が見えないので年格好は分からない
が、体つきからは老年の様子が感じられない。
顔を隠しているのは恥じらいからなのだろうか?
 頭を垂れる男の足元にプラスチックのボウルが置いてある
が十円玉一つ入っていなかった。通行人は脇目で眺めながら
足早に通り過ぎてゆく。施しをするという行為においても、
その男と関わりを持ちたくは無いのだ。半径2メートルには
誰も近寄る素振りを見せない。
 かつてアフリカでは、町に出ると物乞いの姿を目にしない
ことは少なかった。ナイロビの下町。整然とビルの並ぶ通り
と植民地時代の面影が残る地区の境にある一角を根城にする
物乞いが居た。小児まひなのだろう両足が細く、湾曲してい
て、いつも歩道に直に座り込んでいた。しかも象皮病で膝か
ら下が肥大して細かくひび割れていた。顔は厳いおじさんだ
ったが、いつもにこやかに挨拶して明るいのだ。
見かける度に食パン半斤が買える程の小銭を掌に乗せる事に
していた。
そんな歩道に座っている者や、信号待ちの車から施しを得る
者など、街には多くの物乞いたちが居た。それでも近年では
アフリカにもそうした人たちの姿は減ってきている。
相対的に物乞いする人の数が減ってきたとは思えない。
久方振りに近年訪れたケニアのナイロビでも、マダガスカル
のアンタナナリボでもエチオピアのアディスアベバでも、物
乞いの姿は著しく減っていた。というよりも、殆ど見かけな
くなっている。外見的には都市化と近代化が進む一方で貧富
の差が拡大し、不況が広まっているというのにだ。
彼らはどこかに囲い込まれているのだろうか?「臭いものに
蓋」という考えが、相互扶助を美徳とし続けてきたアフリカ
社会をも取り込んでしまったのだろうか?
 しかし東京で、というか現今の日本で物乞いを見たのは初
めてだ。日本では私の記憶の限り、子ども時代に見たと思う。
戦後20年も経った時代のこと。橋のたもとで傷痍軍人に混じ
って座る母子だった。誰もが逼迫した暮らしに追われ、政府
は国力の回復に手いっぱいの時代のことだ。
しかし今は在る所には物も金も有余っているのに、手を差し
伸べる隣人もなければ社会自体が弱者に冷淡で、マスコミが
もてはやすようなチャリティは成立しても、路上の物乞いは
成立しないような日本なのだ。
その後、立川に行く度に街のあちこちであの物乞いを探して
いるが、どこへ行ったのかまだ見かけたことはない。

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