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2010年9月

アディーチェの印象

 国際ペンクラブの東京大会が開かれた。
そのプログラムのひとつである文学フォーラムで、作品の
朗読と作家のスピーチが組まれていて、招待作家の一人に
アディーチェが入っていた。今私が最も注目している作家
の一人で、以前このブログでコメントしたことのあるナイ
ジェリア出身の若手女流作家だ。
その代表作「半分のぼった黄色い太陽」で、自身は体験し
ていないビアフラ戦争の時代を設定した背景、朗読で紹介
される短編集「アメリカにいる、きみ」で描かれている
アメリカ移民たちや現代のナイジェリア問題に対する思い
を聞いてみたくて行ってみた。
 この夏、この国でもいつものように終戦記念(はっきりと
敗戦記念と呼ぶべきだと私は思う)の記事や番組がマスコミ
から発信されたが、その論調の多くは直接体験者の減少によ
って風化しつつあるとされる問題への危惧だった。
確かに私あたりが、日本が戦争の当事者だったという実感を
持つ最後の世代に属するだろう。勿論、直接体験者は私の親
の世代ということになる。60〜70年代の安保反対闘争に奔
走したのは、その中間である戦中生まれの世代だ。
 アディーチェは1977年生まれで、1967〜70年に起きた
ビアフラ戦争に関しては戦後世代だ。祖父を難民キャンプで
亡くし、両親は戦禍に巻き込まれて大変な苦労を経験したと
いう。アディーチェが生まれた後も戦争の爪痕は強く残って
いたし、親族や近隣の年長者たちの話は彼女の追体験として
蓄積されていった。
ナイジェリアは1960年の独立以来、政争と軍事クーデター
が繰り返され、数年毎に文民政治と軍政が入れ替わってきた
国だ。イギリスの植民地として統治されていた時代に形作ら
れた体制。250以上あるという部族間に刷り込まれた階層。
北部のイスラムと南部のキリスト教という宗教対立に加えて
石油をめぐる資源争奪が絡んだ権力闘争。
それらが一気に噴出したのがビアフラ戦争だった。
 そうした背景の中で生まれ育ったアディーチェが、どこから
来てどこへ向かうのか…を追い求めるなかで、あの過酷な戦争
はどうしても描かないわけにはいかなかったのだ。
 今回の大会のテーマは、環境と文学「いま、何を書くか」。
このテーマはアディーチェにとって、まさに書くという行為の
神髄に違いない。そしてそれは読者にとっては「いま、どう生
きるか」という問いとして跳ね返ってくる。
だからこそビアフラ戦争の背景を知らない者にも、多様な世界
で起きている人間の営みの断片としての説得力を持つ。
アディーチェの小説は単なるアフリカやアフリカ人の物語では
ないし、アメリカのアフリカ人の物語でもない。そこには普遍
的な人間の姿が描かれているのだ。
…そんなことを感じさせてもらえたスピーチだった。
アフリカ人らしい恥じらいと同時に、強い存在感を発散させる
魅力的な作家だ。美人ですよ。

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物乞い再来

 しばらく見なかった物乞いが現れた。
初めて見た日からおよそ一週間経った夕方。同じ場所だった。
携帯で写真を撮ってから近くを通ってみると、足元のプラス
チックボウルに十円玉ばかりが10枚ほど入っていた。
施しをした人がいるのか!呼び水として入れておくには多過ぎ
るし、それなら100円玉も混ぜておいたほうがいいだろう。
どんな人がどんな風に施しをするのか?
2
 一旦通り過ぎて引き返し、遠目に様子を窺うことにした。
通行人のほとんどは敢えて近くを行き過ぎる気配も無い。ひょ
っとしたら、そうした反応を含めた社会環境パフォーマンスな
のかも知れない。あるいはどこかからモニターしていて、何ら
かの統計でも取っているのか?なんて考え始めた頃、男は突然
コートを取って顔を出し、ボウルの小銭をポケットに入れた。
短髪に白いものが混じっている。あの頭は1〜2週間前に散髪し
たに違いない。こざっぱりしていて、私の知るホームレスの雰
囲気は感じられない。しかしパフォーマーでもなさそうだ。
これといった特徴の無い中肉中背の中年男で、黒のTシャツに
ブルージーンズ。着古したものとはいえ、汚れてはいない。
頭から被っていた薄汚れたコートは物乞い用の衣装なのか?
座っていた時にはコートの陰に隠されていたが、大きなショル
ダーバッグを持っていて、ボウルとコートを突っ込むと、辺り
を見回してさっと立ち上がった。
そして重そうなバッグを肩に掛けると、しっかりとした足取り
で歩き始めた。恥じらう様子もなく、大道芸人が芸を終えて店
じまいをする感じだ。営業終了ということか?
 少し間を置いて後を追った。向かった先はビルの谷間の遊歩
道に置かれたベンチで、荷物を置くと座って涼をとっている。
あの場所に何時間座っていたのだろうか?昼食時に通った時は
見なかったから、それほど長時間ではないだろう。そうして彼
が物乞いで得るお金は生活の足しになる程は無い。多分それは
始めから分かっているに違いない。
何故彼は物乞いをするのか?それは本人に聞いてみないことに
は分からないが、今の日本で物乞いが成立するのか…という命
題を投げかけていることだけは確かだ。
 遊歩道の向こうから太鼓のリズムが聞こえていた。若い男が
一人、アフリカの太鼓、ジェンベの練習をしている。まだ拙い
音から、初心者の域を出ない事がよくわかる。しかし、もしあ
の若者が足下に空き缶でも置いておけば、小銭くらい投げ入れ
る通行人がいるかもしれないとは想像出来る。
物乞いに小銭を与えた人は誰か?どんな思いだったのか?
…それはなかなか想像し難い。
一息ついた物乞いは、重そうなバッグを肩にかけるとビルの
谷間に姿を消した。

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物乞い現る

 立川駅近くの歩道に物乞いがいた。夕方、駅へ急ぐ人群れ
の脇でじっと動かない男。遠目にはホームレスがへたばって
いるのかと見えた。
猛暑日の連続記録を更新した日だ。この暑さのなか、薄手の
汚れたコートをしっかり着込み、頭からすっぽりと体を覆っ
てうずくまっていた。顔が見えないので年格好は分からない
が、体つきからは老年の様子が感じられない。
顔を隠しているのは恥じらいからなのだろうか?
 頭を垂れる男の足元にプラスチックのボウルが置いてある
が十円玉一つ入っていなかった。通行人は脇目で眺めながら
足早に通り過ぎてゆく。施しをするという行為においても、
その男と関わりを持ちたくは無いのだ。半径2メートルには
誰も近寄る素振りを見せない。
 かつてアフリカでは、町に出ると物乞いの姿を目にしない
ことは少なかった。ナイロビの下町。整然とビルの並ぶ通り
と植民地時代の面影が残る地区の境にある一角を根城にする
物乞いが居た。小児まひなのだろう両足が細く、湾曲してい
て、いつも歩道に直に座り込んでいた。しかも象皮病で膝か
ら下が肥大して細かくひび割れていた。顔は厳いおじさんだ
ったが、いつもにこやかに挨拶して明るいのだ。
見かける度に食パン半斤が買える程の小銭を掌に乗せる事に
していた。
そんな歩道に座っている者や、信号待ちの車から施しを得る
者など、街には多くの物乞いたちが居た。それでも近年では
アフリカにもそうした人たちの姿は減ってきている。
相対的に物乞いする人の数が減ってきたとは思えない。
久方振りに近年訪れたケニアのナイロビでも、マダガスカル
のアンタナナリボでもエチオピアのアディスアベバでも、物
乞いの姿は著しく減っていた。というよりも、殆ど見かけな
くなっている。外見的には都市化と近代化が進む一方で貧富
の差が拡大し、不況が広まっているというのにだ。
彼らはどこかに囲い込まれているのだろうか?「臭いものに
蓋」という考えが、相互扶助を美徳とし続けてきたアフリカ
社会をも取り込んでしまったのだろうか?
 しかし東京で、というか現今の日本で物乞いを見たのは初
めてだ。日本では私の記憶の限り、子ども時代に見たと思う。
戦後20年も経った時代のこと。橋のたもとで傷痍軍人に混じ
って座る母子だった。誰もが逼迫した暮らしに追われ、政府
は国力の回復に手いっぱいの時代のことだ。
しかし今は在る所には物も金も有余っているのに、手を差し
伸べる隣人もなければ社会自体が弱者に冷淡で、マスコミが
もてはやすようなチャリティは成立しても、路上の物乞いは
成立しないような日本なのだ。
その後、立川に行く度に街のあちこちであの物乞いを探して
いるが、どこへ行ったのかまだ見かけたことはない。

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Herbie Hancock "THE IMAGINE PROJECT" 

 CDショップのHMV渋谷店が閉店したとのこと。
ちなみにHMVはHis Master's Voiceの略称だ。あの、蓄音機
の前で耳を傾けるフォックス・テリア犬(名前はニッパー)の
姿で知られる歴史ある英国企業だ。その日本法人の第一号店が
渋谷店だったということだ。
HMVは全国展開の規模を少しずつ縮小してきていて、新聞など
では近年のネット販売の影響によるCD販売不況が原因だと分析
しているようだ。
或る意味ではそうなのだろうが、ちょっと違うのでは?と思う。
というのも、主に若い人たちに利用されているネットからのダ
ウンロードは曲単位の販売で、一過性の流行に左右されるファ
ッションの一部のようなポピュラー音楽に関してだけ当てはま
るものだと思うからだ。
私を含めて年季のはいった音楽愛好家は、音楽家のトータルな
表現形態としてのアルバムにこそCD(言わずと知れた、元々は
LPレコード)の存在意義があるのだと信じている。
そんなCDとの出会いの場としてCD店が必要なのだ。単なる商
品のやり取りをする商店ではない。これは書店と書籍の関係に
もあてはまるだろう。
 というわけで、渋谷店ではない或るHMVに立ち寄ったとき、
jazzコーナーの新譜で目を惹いた一枚があった。
Ip
Herbie Hancockの "THE IMAGINE PROJECT" 
おおっ!ハービー健在なり。視聴するとピアノが溌溂としてい
て怜悧なタッチは以前と変わらない。今年で70歳になる。
アルバムタイトルで分かるように、取り上げている曲にはロッ
クの名曲が並び、いずれもボーカルが入ったクロスオーバー的
な音作りになっている。競演にはジャズ畑よりもロックやR&B
(最近の日本で言うスタイリッシュなものではない真性のリズム
&ブルース)そしてラップにカントリー畑の人たち。そしてア
フリカやブラジル、インドなど世界各地の音楽家やグループが
参加している。
「このアルバムは世界の様々な国で、国際的な音楽家により
複数の言語で録音された。それは世界規模の協調が、尊い平和
を切り開く力と美を示すということを知らしめるためだ」と
彼自身の言葉で記されている。齢を重ねてなお進化し続ける
ハービーなのだ。
 もし私があのHMVに立ち寄る事がなかったら、こんな素晴
らしい音楽との出会いが生まれなかったことは確かだ。

 

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