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2010年8月

「きみのかみさま」と"Dear Friend" 2

 長倉洋海の写真集"Dear Friend"を思い出したのだ。
アフガニスタンなど紛争地で撮影された写真で知られる長倉
だが、その対象は一貫している。そこに暮らす人だ。
そして、故マスードを撮ったものも、名も知らない一平卒や
道端で遊ぶ子どもたちを撮ったものも、等しく同じ地平で眺
められているのだということに気づく。
そんなことを思いながら書棚の古本から゛Dear Friend゛を
引っ張り出してみた。副題はー紛争地の子どもたちーとなっ
ていて、1980年から90年にかけてアフリカや中東、アジア
各地で撮られた子どもたちが綴られている。中には北京の路
地裏や釜ヶ崎のものもあって、敢て「紛争地」としたのには
何か意図があってのことなのか…とも勘ぐりたくなる。Dear_friend

いずれにしても、それらの写真には「きみのかみさま」に
通じる視線があるのだ。どの写真にも、その一枚が切り取ら
れた背景が凝縮されていて、あまりにも多くの物語が潜んで
いるのだということが強く感じられる。
何度見ても見飽きる事が無い素晴らしい写真集だ。
そしてどの一枚にも「かみさま」が在る。
残念ながら運動靴に神様は宿らない。
 前にも言ったように何もしないよりは遥かに意義があるが、
やっぱり始めにやるべきことは運動靴のプレゼントじゃない
なあ、と思う。その前に、元マラソンランナーには一緒に裸
足で走って欲しかった。
「きみのかみさま」の最後のページには、こう記されている。
 ちいさなキスをおくります。
 こんどあったら かえしてね。

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「きみのかみさま」と"Dear Friend"

 年に何回かスワヒリ語の翻訳という仕事がある。
テレビ番組の取材VTRを見ながら、収録された会話や
インタビューなどを翻訳する。字幕スーパーや吹き替え
コメントの原稿の元を作るというもの。
先日、そんな仕事が入った。まだ放送されていないので
詳しくは言えないが、有名な元マラソン選手がチャリテ
ィーでやっている活動の紹介で、使われない運動靴を集
めてアフリカの貧しい子どもたちにプレゼントする話だ。
(といえば分かるか)もう何年か前からやっているので、
ああ、あれね…と気付く人もいるだろう。
貧しい人に手を差し伸べることは悪いことではないが、
これに似たような事を目にする度に、ある種の違和感を
覚えて仕方がないのだった。
 富める者が貧しい者へ手を差し伸べる。有り余る物資
を足りない所へ回す。それはスワヒリ語の諺に言う「水
は高い所から低い所に流れる」の理念にも合っている。
ただどうも、その富める者の視線が何とも嫌なのだ。
決して上から目線ではなくても違和感を拭えない。
単純に可哀想だとかいうものと違う思いを持っていると
いうことも分かる。ただただ善意でやっているのだとい
うことも分かる。でもそこには、驕れる先進国人である
自分達の贖罪に似たような感情と同時に、与えられた側
に、嬉しいでしょう、有り難いと思うでしょう、と感謝
されることを期待するような、ある種の自己満足も感じ
られてしょうがない。本人が、そうと意識しないにして
も、どうしても同じ地平に立っているという感じがしな
い。というか、同じ地平に立とうとすればするほど、二
つの世界のギャップばかりが引き立ってしまう。
そんな感じで、この違和感をうまく言葉に出来ないでい
ると、最近出版された一冊の絵本があることを知った。
西原理恵子の「きみのかみさま」(角川書店)だ。
 西原の絵は、これまでちゃんと見たことがなかった。
チラッと眺めたことのある「毎日かあさん」くらいしか
知らないから、よくあるヘタウマの部類だろう…程度に
しか思っていなかった。人となりについては、テレビの
番組になった前夫とのドラマで知った「大変な体験をし
た漫画家」といった浅薄なものだけだ。
「きみのかみさま」は、たまたま目にしたテレビの書籍
紹介で知り、興味を持って本屋で手に取ってみた。
思わず引き込まれて、買わずにはいられなくなった。
恐らく西原が訪れたことのあるアジアの国々で見たで
あろう子どもたちの暮らす姿。
さらりと描いているように見えながら、実に深い!
二つの世界のギャップをあるがままに捉え、「低いほう」
の世界に暮らす子どもの視線で描かれている暮らしの一
こま。また、絵が良いのだ。
人は、何かどこか天の一角からじっと見据えられている
ように感じる時があるものだ。そんなことを、以前私も
自分の暮らしと照らし合わせて記述したことがある。
なるほど、子どもが感じる「かみさま」という視点があ
ったか!
Photo
 特定の宗教ではなくて、呼び方が何であれ「世界全体
と生き物や暮らしを司るなにものか」の存在は、誰もが
どこか心の片隅に持つものだと思う。
それが「きみのかみさま」として描かれている。
西原の描く子どもたちの目が凄い。黒い丸がポンとベタ
で塗られている。そこには微笑みも涙も何もかもを吸い
込むブラックホールのような深さがある。
読みながら、ある写真集との共通点について考えた。

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懐かしいひと〜つげ義春〜

  立川の古い商業ビルのイベントコーナーで古書展が開かれて
いたので立ち寄ってみた。「恒例」とあったので、毎年この時期
に開いているのだろう。平台にずらっと並ぶのは、本当に古書と
呼びたくなるような、変色した書籍の数々。
昭和の匂いふんぷんのビルに相応しい、古本屋の佇まいなのだ。
昨今のブックオフのような、古物リサイクルショップではない。
本という知識の記録メディアが時代を越えた存在感をみせる。
古本は知識と記憶の海だ。
 なかでも目に付いた一冊に思わず手が伸びた。二見書房刊の
サラ文庫・昭和漫画傑作集の一冊。
「懐かしいひと〜つげ義春〜」昭和51年6月30日初版発行で、
売られていたのは同年7月28日に再版されたもの。その何編か
はオリジナルを学生時代に読んでいる。サブカルチャー(当時
はアンダーグラウンド=アングラ、と呼んだ)文化の前線だっ
た漫画雑誌「ガロ」に初出掲載された筈。懐かしい本、なのだ。
薄いセロファン紙で丁寧にカバーが施されているのも、昔なが
らの古本屋の礼儀のようなものだ。今時そんな扱いを示す本好
きは少ない。
Photo
 このIT全盛の時代。電子bookが台頭しようかという時代に、
昭和のアナログ臭にまみれた古書の只中で、懐かしさと安堵感
に浸ってしまう自分がいる。自分は取り残されようとしている
のか?いやいやここにこそIT時代のカウンターカルチャーが在
るのだと言う事が出来るのか?
つげ義春の漫画の主人公に、分断される自分の影が見えるよう
な気がするのだ。

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スカイツリーを見に行く 

1  いつか行こうと思っていた建設途中の東京スカイツリー。
暑さが少々和らいだので、根津のほうに行く用事の後で足を伸
ばして、ようやく出かけてみた。
 まずは浅草。吾妻橋の袂から桜橋方向へ隅田川縁を歩く。
どこからも聳えるタワーが見える。完成時の三分のニ程の高さ
であれ程の偉容なのだから、あれが完成すれば相当に目を惹く
筈だ。どこにも、今しか見ることのできない建設途中の姿を見
ておこうという人たちがいた。
タワーの建設現場近く、京成業平橋駅近くまで行くと、携帯電
話のカメラやコンパクト・デジカメ、一眼レフなどで写真を撮
っている人など、辺りはタワーを仰ぎ見る人で溢れていた。
地元の人も、私のように遠くから来た人も外国人もいた。
私には、どれもが縋るような眼差しに思えた。
St2
東京の下町で、部分的には時代に取り残されたような一角も残
る地域に聳えるデジタルタワー。皆が何かを求める目つきだ。
しかしそれは自分で何かをしようという求めではなくて、あの
空の上から自分達を変えてくれそうな何かを待つ、受動的なも
ののように感じた。
 東京タワーが戦後の高度成長に向けての象徴となったように、
東京スカイツリーは、今の不況スパイラルをなんとかして欲し
い(「…したい」ではない)ところに、今の状況の閉塞感があ
るようだ。
映画「三丁目の夕日」に東京タワー建設が時代背景のシンボル
として使われて以後、二つのテレビ塔は対比して語られること
が多い。でも今はノスタルジーで見ていてはいけないだろう。
アナログからデジタルへ。それは単なる世代交代ではなく、
生まれ変わることではないだろうか。
St3
21世紀文明に突入したこと。新しい価値観と生き方を選択し、
突き進むしかない時代を象徴するものがあのスカイツリーなの
だと、私は感じた。

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高齢化社会の歪みについて 

 「消えた高齢者」についての報道が続いている。どれもが
家族や地域社会の崩壊とか無縁社会化を元凶と指摘している。
そこに人口構成の高齢化が拍車を掛け、高齢者の孤立が孤独
を生み出したとする。加えて独居老人人口の増加がある。
 先月、私が体験した十二指腸潰瘍からの出血による貧血の
時、あのまま意識を失ってしまっていたならば自分も孤独死
の主体になっていたかもしれない。
今の住居には息子も住所を置いている。しかしいつもは都内
の彼女のアパートに居て、月に何度か、着替えや様子見に顔
を出すだけだ。もうすぐ26歳になるが、ラッパーを気取って
時々クラブでMCをやったりしながらアルバイトで食い繋いで
いる。奴がどこで何をしているのか詳しくは把握していない。
日常の断片はmixiの日記から暮らしの断片を覗き見るくらい
しか出来ていない。
振り返れば自分も、あの年齢では親父とうまく意思疎通など
出来ていなかった。それは今の自分達親子のことを考えれば
思い至る。たまに酒を酌み交わすようなことはあるが、まだ
お互いに或る孤独を抱えたまま、伝えたい事と聴きたい事を
素直にやり取りできない掻痒感が拭えない。
 息子と私の間に介在するメディアは、携帯電話というデジ
タル通信機器だけなのかもしれない。しかし、同じような通
信環境にあるのに、もっと遠く離れたアメリカに暮らし、た
まにしか連絡を取り合えていない娘とのほうが意思疎通が出
来ている感じがあるのはどういうことか?
それは技術的なものではなくて、精神的なメディアが紐帯と
してあるからではないかと感じている。そのあたりについて
は改めて書く事にしよう。
 さてさて「消えた高齢者」に戻って、いくらなんでも20年
も30年も行方が分からないとか、会う事も無ければ連絡もし
ないということは、かなり意図的にそうしなければあり得な
いことだ。私は、あれらのケースの殆どは年金目当ての確信
犯だと睨んでいる。
 以前、今の日本の民度の低さについて書いたことがあるが、
ほんとうにこの日本は崩壊している。
マスコミや識者と言われる輩は『崩壊の危機』などと曖昧な
表現をしているが、年金にしても国の借金財政にしても、長
寿大国日本神話も、既に崩壊しているのだとはっきり言える。
その元凶は政治家の質の低下であるし、そうした政治家を生
み育てた国民の質の低下だ。
 選挙権には下限があるが上限が無いのはどうしてだ?
提案がある。下限を下げて上限を設け、18歳以上80歳まで
にしてはどうだ!どうせ選挙に出かけるのは暇を持て余し、
付和雷同したがる浅薄なジジババが大勢を占めているのだ。
だから馬鹿げた選挙結果が出る。まともな意見を持つ老人は
ごく一部でしかない。80歳以上でそんな人は、ノウハウを
活かしてロビー活動をやればいい。
 そして選挙には成立の審査基準を設け、全選挙人人口の中
から、18から30歳、31から40歳、41から50歳、51から
60歳、61から70歳、71から80歳の各年代別に有権者の40
パーセント以上の投票率がなければ無効とする。有効投票率
を得るまでは再選挙を繰り返す。
それくらいしなければ、この国は再生しない。 

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グラウンド・ゼロのあるべき姿は… 

 グラウンド・ゼロにモスクが建設されることになる。
NYの歴史的建造物保存委員会は至極民主的な英断を下し、
ブルームバーグ市長は公平で良識的なコメントを発した。
911以後に原理主義的傾向の目立つアメリカにあって、
ようやく本来のアメリカらしさを顕示する動きだ。
モスク建設が、どうして「家族を失った遺族の感情を逆
撫でする」だ!
経済界と政界に影響力のある一部の狂信的なキリスト教
原理主義者の声に惑わされてはいけない。
しかも、私見では911テロが本当にイスラム過激派だけ
が企み実行したものかさえ、未だ確証は無い。私が感じ
る所では、必ずやアメリカ政府、しかも軍部や国防省も
CIAも巻き込んだ、極めて緻密に計画された謀略である
可能性の方が高い。その中心にはチェイニーが居ると、
私は睨んでいる。
 いずれにしても、どうしてイスラムがこのような偏見
と差別の元に晒されなければならないのだ!
オバマも自分の出自にイスラムとの強い繋がりがある事
を誇らないのか?胸を張ってBarak Fussein Obamaを
名乗るべきなのだ。だいたいフセインの部分だけを伏せ
てみたところで、バラクもイスラム的な名前で、オバマ
はケニアのルオー族に伝わる部族名だ。ルオー族は内陸
のヴィクトリア湖周辺を中心に暮らしていてイスラムを
信奉する人たちも多い。マジョリティであるキリスト教
徒たちと平和に共存している。
 出来ればグラウンド・ゼロにはモスクと隣り合わせで
キリスト教の教会(何派が相応しいんだ?)や仏教の寺
やユダヤ教のシナゴーグなどなど、世界の代表的な宗教
の礼拝所が建設され、宗教を越え人種も国家も超えて、
横並びで祈ることが出来るようになれば素晴らしい。

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万年筆と上野オークラ劇場 

 日曜の午後。久しぶりに上野あたりをぶらついた。
不忍池には蓮の花がきれいな桃色(ピンクとは呼びたくない
色だ)の花びらが開いていた。
池の回りにはいつもの屋台。ちょっと高い。すると古物の
露天が店を開いていた。目を惹いたのは一本の万年筆。
「マンネンヒツ」という言い方、良いねえ。万年は使えな
いけど、英語で言うfountain penという呼び方も良い。
泉のようにインキが出てくるのだ。
アナログ人間の私は、文章はなるべく手書きがいい。しか
も万年筆で書きたいのだ。今使っている2本はSHEAFFER
とドイツ製でメーカー名のない安物。しかしどちらも書き
味は良いが太さや重さがもうひとつなのだ。
空き缶に無造作に突っ込まれているなかにメタリックな黒
光を放つ太めの一本があった。手に取るとなかなかの重さ。
WECLE japanとある。握りにゴムが巻いてあって握り具合
抜群。ペン先はイリジウムだ。500円!即買い。
Photo
 気分を良くしてピンク映画専門館の大蔵劇場があった事
を思い出す。まだあるのだろうか?ちょっと通ってみよう。
と、新しいビルが目に入った。なんと新装改築したようだ。
しかもオープン(8/4)直前イベントで女性限定上映会が
開かれていた。残念!入れてもらえない。
 しかし大蔵映画がまだ残存していたとは!
アフリカに行く前、当時住んでいた荻窪の映画館で、時々
見ていたものだ。芸術系ではATGで、純文学文芸系は日活
ロマンポルノ。そして大衆文芸系の新東宝と大蔵映画。
ピンク系の映画ばかりを上映する館は今も僅かにあること
は知っている。でも最盛期には全国展開していたオークラ
劇場は、一つまたひとつと閉館していった。なのに、この
DVDのAVが量産されるこの時代に新装オープンだとは。
Photo_2
最近は旧作を回しているだけなのかと思っていたけど、
パンフを貰ったら、新作もちゃんとリリースされている。
ピンク映画カルチャーマガジン「PINK HOLIC」なるもの
も発刊されているようだ。よし、今度見に行ってみよう!
帰宅してインキを入れた万年筆。書き味抜群!
 今度ピンク映画を見たら、この万年筆を使って感想を
書こう。デジタル時代のアナログ映画に相応しい。

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街のjazz live〜思わぬ掘り出し物〜 

 最寄りの駅前広場で、夏恒例のジャズliveの催しがあった。
今年で22回目だとのこと。暇だし、ちょっと気になる演奏者
が出るとパンフにあったので、土曜の夕方行ってみた。
Jazz
元は演歌歌手で、ブルースやジャズのフィーリングで日本語
の歌を歌う「ひろな」という歌手を聴いた。
歌は巧いと思う。バックはキーボードとガット・ギター。
まあjazzyといば言えるけど、あえてジャンルで括る必要は
無いだろう。最近流行りの「また君に恋してる」なんていう
曲も歌ったけど、まだ坂本冬美に縛られてしまっていて、枠
を超えていないと感じた。言葉を大切に歌う事を信条にして
いるという。大事に歌っていることは分かるけど、自分なり
の解釈があると良くなるんじゃないかと思う。でも良い歌い
手です。こういう人はvocalistとかartist(この呼び方は大
嫌い)とは呼びたくはない。
そして演歌の本質は所謂world musicに通底する、その民族
に固有の背景を持つリズムやメロディ、コブシがあるという
ことで、そういう意味でjazzやbluesとクロスオーバーしない
筈が無いのだ。自信を持って、もっとガンガンやって欲しい
ヒロナちゃん!
Jazz_session
 もう一組、2管のクインテットに女性フルート奏者が加わ
ったバンドが出た。これはトランペットの生音を聴くためで、
それ以上の期待はなかったけど、メンバーに思いがけない人
がいた。パンフレットにはacane(p)としかクレジットされて
いなかったけど、「松本あかね」と紹介されてアレっと思っ
たのだ。確か19歳の学生の時に「フィニアスに恋して」と
いうアルバムを出していた。Phinius Newborn Jr.を彷佛と
させるとまでは言い難いけど、以前FMで耳にして、リリカ
ルが音が印象的だったのでCD屋で探したことがある。
その後アメリカ人のドラムとベースが入った"Playing New
York"というタイトルのニューヨーク録音盤も出した筈だ。
クインテットのメンバーたちのそこそこな演奏の中では、
やっぱり光るものがあった。
上原ひろみのようなダイナミックさや縦横無尽のイマジネー
ションは無いけど、女性らしいソフトでリリカルなピアノは
聴いていて心地いい。ネットで調べるとけっこうあちこちで
演奏しているようなので、近いうちにソロを聴きに行ってみ
よう。まだ23歳だって!

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