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「きみのかみさま」と"Dear Friend"

 年に何回かスワヒリ語の翻訳という仕事がある。
テレビ番組の取材VTRを見ながら、収録された会話や
インタビューなどを翻訳する。字幕スーパーや吹き替え
コメントの原稿の元を作るというもの。
先日、そんな仕事が入った。まだ放送されていないので
詳しくは言えないが、有名な元マラソン選手がチャリテ
ィーでやっている活動の紹介で、使われない運動靴を集
めてアフリカの貧しい子どもたちにプレゼントする話だ。
(といえば分かるか)もう何年か前からやっているので、
ああ、あれね…と気付く人もいるだろう。
貧しい人に手を差し伸べることは悪いことではないが、
これに似たような事を目にする度に、ある種の違和感を
覚えて仕方がないのだった。
 富める者が貧しい者へ手を差し伸べる。有り余る物資
を足りない所へ回す。それはスワヒリ語の諺に言う「水
は高い所から低い所に流れる」の理念にも合っている。
ただどうも、その富める者の視線が何とも嫌なのだ。
決して上から目線ではなくても違和感を拭えない。
単純に可哀想だとかいうものと違う思いを持っていると
いうことも分かる。ただただ善意でやっているのだとい
うことも分かる。でもそこには、驕れる先進国人である
自分達の贖罪に似たような感情と同時に、与えられた側
に、嬉しいでしょう、有り難いと思うでしょう、と感謝
されることを期待するような、ある種の自己満足も感じ
られてしょうがない。本人が、そうと意識しないにして
も、どうしても同じ地平に立っているという感じがしな
い。というか、同じ地平に立とうとすればするほど、二
つの世界のギャップばかりが引き立ってしまう。
そんな感じで、この違和感をうまく言葉に出来ないでい
ると、最近出版された一冊の絵本があることを知った。
西原理恵子の「きみのかみさま」(角川書店)だ。
 西原の絵は、これまでちゃんと見たことがなかった。
チラッと眺めたことのある「毎日かあさん」くらいしか
知らないから、よくあるヘタウマの部類だろう…程度に
しか思っていなかった。人となりについては、テレビの
番組になった前夫とのドラマで知った「大変な体験をし
た漫画家」といった浅薄なものだけだ。
「きみのかみさま」は、たまたま目にしたテレビの書籍
紹介で知り、興味を持って本屋で手に取ってみた。
思わず引き込まれて、買わずにはいられなくなった。
恐らく西原が訪れたことのあるアジアの国々で見たで
あろう子どもたちの暮らす姿。
さらりと描いているように見えながら、実に深い!
二つの世界のギャップをあるがままに捉え、「低いほう」
の世界に暮らす子どもの視線で描かれている暮らしの一
こま。また、絵が良いのだ。
人は、何かどこか天の一角からじっと見据えられている
ように感じる時があるものだ。そんなことを、以前私も
自分の暮らしと照らし合わせて記述したことがある。
なるほど、子どもが感じる「かみさま」という視点があ
ったか!
Photo
 特定の宗教ではなくて、呼び方が何であれ「世界全体
と生き物や暮らしを司るなにものか」の存在は、誰もが
どこか心の片隅に持つものだと思う。
それが「きみのかみさま」として描かれている。
西原の描く子どもたちの目が凄い。黒い丸がポンとベタ
で塗られている。そこには微笑みも涙も何もかもを吸い
込むブラックホールのような深さがある。
読みながら、ある写真集との共通点について考えた。

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