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2010年7月

入院して 

 夕方、シャワーを浴びて体を拭いていたら突然、頭から血
が引いて立っていられなくなり、なんとかパンツだけ履いて
暫く頭を床に着けたまま蹲ってしまった。
冷や汗は出る、意識は朦朧となるで、たぶん15分くらいの間
じっとしていたら、なんとか持ち直した。
その一週間ほど前から便がイカスミを食べた後のように黒く
なっていた。その前に10年ほど前に患った十二指腸潰瘍の時
のような感じで胃のあたりがシクシクしていたけれど、市販
の胃腸薬を飲んだら直ったので、大丈夫かとそのままにして
おいたのが悪かったのだ。
 さてさて翌朝、かつて診てもらった胃腸病院に。血液検査
で貧血が判明。便は出血のあった証拠だという。以前、赤ち
ゃんの便の番組を作った時にそのようなことを伝えた事があ
ったので、自分でも薄々そんなことだろうとは感じていた。
血色素量が9しかなかったそうで、典型的な貧血だ。もう少
し低ければ即輸血が必要な数値だという。2月の健康診断で
は15あった数値だ。
即日検査入院ということで、エコーや胃カメラなどの結果、
やはり十二指腸潰瘍と胃壁の一部に血管が露出!という診断。
あえなくそのまま今日まで入院していたという次第。
 あんな状態になった事は生まれて初めてで、意識が薄れた
時はひょっとすると脳梗塞?などとも思ったのだった。
同世代で集まると病気の話が多くなる年頃なのだ。すでに
他界した友人知人も何人かいる。
 これまでの入院経験はアフリカが最初で、マラリアに罹っ
た時の事。今回は生涯で二度目、日本で初めての入院体験だ
った。地元のこじんまりした胃腸病院なので、あまり重篤な
患者はいない。点滴するだけなので暇だ。院内をウオッチン
グする以外にやることはない。

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SIGHT 注目の連載対談

 『リベラルに世界を読む』を旗印に掲げた季刊誌SIGHTは
渋谷陽一が編集長を務めるRocking On社発行の総合誌だ。
音楽雑誌ROCKING ONの姉妹紙として、ロック評論家である
渋谷目線での社会/時事への意見発露的誌面作りが良い。
アメリカのRolling Stone誌が時代と時勢を切る記事で注目
されることがあるように、このSIGHT誌もたまに鋭い視点を
提供してくれる。
Sight
ということで夏号vol.44を買った。特集は「みんなの党」に
ついて考えるというものだ。渋谷個人は或る程度の期待を持
っているようだが、必ずしも持ち上げているばかりじゃない。
で、私が一番面白かったのは特集じゃなくて、内田樹と高橋
源一郎による連載対談だった。『鳩山さんが首相で、本当に
よかった』と題されているが、鳩山と小沢のこと、メディア
のこと、米軍と沖縄のこと、政権交代のこと、みんなの党の
こと、参院選のこと…など、いやいやスパスパと切ってくれ
ていてスッキリ。
Photo
たまに書店で拾い読みしていただけなので、これまでに何回
続いている対談なのか分からないけど、これだけを読むに値
する。バックナンバーを探すか?
 音楽雑誌は時に鋭い記事やコラムなどを提供してくれる。
よく読むのはLATINA誌で、これは単なるラテン音楽愛好家
向けの雑誌じゃない。音楽を起点に、変貌と溶融を続けてい
る世界の出来事や文化を知らせてくれる記事で埋まっている。
MUSIC MAGAZINE誌は以前は良かったのに、数年前から特
集の組み方が変わって、特定のミュージシャン(私はアーテ
ィストなどと言う呼び方は間違っていると思うし、嫌いだ;
蛇足)やバンドの掘りさげに偏るようになって、そうしたマ
ニアック性のない私には面白くなくなった。
昔は欠かさず買っていたけど、もう何年も、創業編集長だっ
た中村とうようのコラムを書店で立ち読みする程度だ。
でも、SIGHTは次から毎号買ってみよう。
 そして今日は参院選。マスコミの争点誘導と曝け出される
ばかりの各党の無策さのせいで、若年層と無党派層がシラケ
ているような気がする。どうも投票率が低くなってほぼ現状
維持の結果になるんじゃないだろうか。
国民がはっきり意思表示しなければならない時なのに、まあ
それができないような選挙制度にも問題があるんだけど。
お先は長〜いニッポンの民主主義です。

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古屋誠一メモワールと世界報道写真展

 都内まで出る機会があったので東京都写真美術館まで足を
伸ばした。気になる写真展が開催されている。
 古屋誠一という人物はあまりよく知らないが、アラーキー
こと荒木経惟と比較して名前が挙がることのある写真家だと
いうことで見てみた。はっきり言って私には評価できない。
荒木と比較されるのは、亡くなった妻とのメモリアルな写真
表現が古屋作品のメインだからのようだが、私には荒木作品
「センチメンタルな旅」や「陽子」などの持つ「愛」が感じ
られない。古屋の、あくまでも自分のなかのメモワールにこ
だわり続ける姿勢と、そこから生まれた作品世界は閉じ過ぎ
ていて嫌いだ。ドイツやヨーロッパでは評価されているそう
だが、荒木とはとても比較出来る程ではない。
Photo
 同時に開かれている世界報道写真展2010。この写真展に
は毎年通っている。その年に何が起こり、どのように写し
取られたのか、どんな評価を得たのかがよく判る。
やっぱり今回も戦争や紛争、自然も含めた世界の混沌に材を
得たものが多い。大賞はテヘランでイタリア人写真家が撮っ
た建物の屋上の夜景。選評で「説明無しに、その写真を見た
だけでは解らない作品を選んだものか苦慮した…」みたいな
ことが記されていた。
それはあの写真に限って言うことではないと思う。報道であ
ろうと別のジャンルであろうと、キャプションやタイトル無
しに伝わるものは少ないと、常々思っていた。多くの写真は、
一般的なニュースや世界事情についての予備知識があって初
めて訴求力と意味が宿る。というか、キャプションを伴わな
い写真は成立しないのではないかと、私は思う。
 というのも、写真は常に現実に目の前に見えた対象とカメ
ラマンとの間に生じた邂逅の瞬間を捉えたものであるからだ。
少なくとも、いつどこで、どのような状況で撮られたものか
を知らずには、フレーム内に切り取られた瞬間である一枚の
写真から多くを読み取る事は困難だ。
同じ写真に別のキャプションを付けたりすれば、それは全く
違う意味と印象を与えてしまう。例えばポートレートの部の
単写真一位「拒食症のティーンエージャー」を「イラク帰還
兵」としたら、それはそれで違う写真として成立してしまう
だろう。それは許されることではないが、イメージ操作とし
て広告や政策のためにそうした効果を、戦略として敢て利用
するようなことも行われている。
 …なんていうことを改めて思いながら恵比寿の街を歩いて
いた。

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サッカーと政治状況

 WCサッカーで日本チームが善戦したとはいえ、やはり
その実力も気力も世界的レベルではまだまだ低いというこ
とがはっきりした事は事実だ。
またまた馬鹿なマスコミや一部の脳天気なファンが「岡
ちゃんゴメン」などと言って、大会開始前に貶した事を
詫びているらしいが、今も以前もオカダは名将でもなけ
れば知将でもない。実直なワンパターン踏襲者だという
だけだ。
土壇場になって変えた苦し紛れのフォーメーションが偶々
功を奏し、チームの士気が頂点に達したのとバイオリズム
の波がうまく奏功したということだ。ただしそれも決勝ト
ーナメント一回戦の対パラグアイ戦では明らかにピークの
波から降下し始めていた。僅かの決定的チャンスを外した
し、幾度かのFKで判断を誤ったし、中盤では何度もセカン
ドボールを不用意に掬われた。0/0で終わったことは幸運
で、ここいらが潮時だということでPK敗退という天の采配
が下ったのだと思う。
 で、カン監督の民主ジャパンとサポーター愚衆さんたち
になぞって振り返ると、なんだか似たような結果がほの見
えてくる。

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