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馬頭観音の時代を振り返る

 いつもは駅周辺までをコースを変えながら歩くようにしている。
壊れかけた自転車の具合を確かめるためもあって、ちょっと遠出
をしてみた。しばらく行かない間に街の様子が変わっているもの
だ。去年の夏から1年ほども足を向けなかったあたりに向かった。
 道路が幅広く改修されている。山が整地造成されて住宅が建っ
ている。新しく喫茶店ができている。そんな路傍に古い地蔵が残
されているのが目に入った。
馬頭観音を示す石碑があるが、観音像そのものは無い。顔面が崩
れた地蔵らしきものが立っている。馬頭観音はヒンドゥー教の
ヴィシュヌ神のことで、衆生の無智や煩悩を食い尽くして救済し
てくれるという。憤怒の形相をしているのだそうだ。ただ、路傍
の石像としては動物供養などのため街道脇などに置かれたらしい。
そういえばそこはかつて鎌倉街道と呼ばれた道路なのだ。
Photo  地蔵の傍に建てられた石碑には弘化三年とある。天保と嘉永の
間、1846年だ。1842年にイギリスがアヘン戦争に勝利して中国
進出の足がかりを作った後の事。アメリカも後へ続けと、その足
場固めのために江戸幕府にアプローチしていた時期なのだ。
この1846年、アメリカの東インド艦隊の提督、ジェームス・
ビッドルが2艘の軍艦を連れて浦賀に来航して開国を求めたと
いう。この街道筋にもそんな出来事が人の口から口へ伝わったの
かもしれない。ペリーの来航はその7年後だ。太平洋戦争に負け
る前からすでに、日本はそうしてアメリカの軍門にひれ伏してい
たんだなあ。鎌倉街道の馬頭観音から、沖縄の普天間問題にも繋
がる日米関係に思いを馳せてしまった。

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