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2010年6月

サッカーと選挙

 国民の賢さを試される選挙が近付いている。今回は参院
だから、実質的な国民生活への影響は少ない?のだろう。
ただ、ここでもう少し民主党主導を認めるのかどうか審判
的な意味合いはあるに違いない。そして意外と、サッカー
WCでの勝敗はこの選挙に影響をもたらすのではないかと
思っている。
これまでの政治への失望が根強いとはいえ、代替が無いと
いう状況から見ると、乗り換える選択肢はない。
そこへ、あれ程期待薄かったチームの一点突破のドラマは、
或いはまだ何かやってくれるかもしれないというダメモト
的な発想で、民主党へ一縷の望みに転化しそうな気配を感
じる。
 ところで、どうして選挙は「候補を通す」という選び方
しか出来ないようになっているのだろう?こいつだけには
議員になんかなって欲しくない、という人物が何人も居る
のに、そうした意見が反映されないのはおかしい。
議員定数も、定員数を下回ってもいいので上限制として、
人口に比例して算出した最低得票数を確保出来なかった候
補者は、すべからく落選させた方がいい。多過ぎる議員数
を埋めるために不要な当選者が出来るのは無用だし、税金
の無駄だ。
 信憑性の薄い世論調査によると、民意はコロコロと変わ
っているようだし、代表の首のすげ替えとかで一喜一憂し
てしまう愚衆なのだ。もしまたサムライニッポンが勝って
しまう事にでもなって投票率が上がるようなことになった
ならば、勢いで民主に票が集まる事だってあり得る。
考えも無しに付和雷同しがちなのが、このIT時代において
も変わらない日本人のメンタリティなのだから。
 集団的バイオリズムのポジティブ・バイブ波に乗ったの
がサムライニッポンだとすると、それとはまた別の多分に
人為的な社会的混濁と、二者択一の波に呑み込まれている
のが今の日本ではないか。
そうした意味でサムライニッポンはかなり賢いと、私は
思う。

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サッカー応援と民の意識〜賢い生き方?

 物事には波がある。WCのサッカー、日本代表チームが
予選ラウンドを通過したのは、その波にうまく乗ることが
できたからだろう。
選手のインタビューで唯一印象に残ったのはトゥーリオの
「下手は下手なりのやり方がある。ドロ臭く…」という
言葉だった。また、解説の誰かが言った「我慢してチャン
スを待つ…」だった。オカダの手腕を評価するような動き
もあるようだが、私はそうは思わない。唯一評価できるの
は、馬鹿にされようが目標を高く掲げたことと、直前にな
ってフォーメーションを変えたというニ点に尽きる。
後は選手たちが時期良く波を捉えたということだろう。
 鳩山ボンは、メンタリティと手法は置いておくとして、
その基本理念においては、まああんまり外れてはいなかっ
たんじゃないかなあと思う。続く管ボウヤも真面目にとり
くもうという態度に関しては同類だと思う。自民はあまり
にも不真面目過ぎたね。でも、二人とも波に乗っていない
し、やり方がおかしいのが難点なのだろう。
自民党は完全に波に飲み込まれて沈みつつあるが、民主党
は今のところ何とか木の葉のように波間に浮いてはいるも
のの、このままでは自民船と同じ運命だろうなあ。
 さて「衆愚ニッポン」での生き方って何だろうと考えた
時、「馬鹿は馬鹿なりに我慢して時期を待つ」共産党のよ
うな態度は意外にしぶとい。でもそれが「賢い生き方」な
のかどうか?今の暮らしに必要な「賢さ」って何だろう?

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サッカー応援と民の意識から

 WC第二戦でオランダと良い試合をしたということで、
マスコミはこぞってサムライ・ニッポンとオカダの応援を
煽り立てている。
開幕前にあれだけ悲観論が横行し、オカダを非難していた
のが急転直下の趣だ。これは全く、今の日本の政治に対す
る態度と共通しているなあ。
 ちょっと閑話休題。オカダという人を私はあまり評価し
ていないし好きではないが、それとは別に「こいつは駄目
だ」と思ったシーンがあった。それはいつもの采配下手が
露見した場面ではなくて、WC代表メンバー発表の時だ。
選手を名字だけで呼び上げるオカダ監督をニュース映像で
見ながら、あの男は一体どういうメンタリティをしている
のかと訝しく思ったものだ。自分もプレイヤーだったのに
よくあんな言動が出来たものだ!?ちゃんとフルネームで
所属チーム名を付けて呼び上げるのが礼儀だろう!
人望の無い人なんだろうなあ、と得心した次第。
 戻って、日本の政治をめぐる意識との共通点。
閉塞感と儚い希望。日々の出来事の表層にツッコミを入れ、
『民意』を煽るマスコミ。そのように伝え知らされた事象
と、ちょっとした変化に一喜一憂している国民。
衆愚政治と愚民からの収奪を生業とする巨大企業集団。
「愚衆」だなあ。民意が低いなあ。
 とは言え自分もその一員としては、そう嘆いているだけ
ではいけない。
自戒を込めて「賢い」生き方に目を向けてみよう。

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アフリカン・ドラム 2

 アフリカン・フェスタは、元は4月の後半の土日にかけて
日比谷公園で開かれてきた催しだ。1993年から始ったアフ
リカ開発会議(TICAD)との関連で、アフリカ文化理解のため
の外務省主催イベントとして1998年から毎年開催。今年で
13回目だ。2008年の第4回会議が横浜で開かれたことに因
んで、その年以来、横浜の赤煉瓦倉庫周辺の広場に会場を移
した。その前から横浜では民間の旅行関係企業主催の観光促
進事業としてアフリカ文化紹介イベントが行われていたが、
2008年以後は外務省主催に一本化されている。
アフリカ各国の大使館や援助団体NGOなどがブースを出し、
アフリカ料理やビールなどの出店が出る。私の関心のメイン
はステージで聞く事の出来るグループの音楽だ。特に今回は
サブステージの少人数グループを間近で聞いてみようと思っ
ていた。
アフリカのパーカッションが輻湊するときのグルーブは凄い。
お互いの音に即応しながら展開するというのはジャズの原型
だと思う。久しぶりにそのグルーブを体感してみたくなった
のだ。友人は二日間通いつめるという。
P1020715  セネガル出身のラティール・シーが中心となって編成され
た4人に、途中からもう一人加わった。リズムの交錯のなか
で各々がお互いに反応し合いながら音の会話を展開する。
そこには孤立や疎外は無い。ああ、これなんだ、と思う。
友人や、その仲間たちがハマってしまったのはここなんだろ
う。あの一体感と高揚は脳幹に訴える。
 ちょうどサッカーのワールドカップが南アフリカで開催さ
れている。馬鹿なマスコミが日本チーム、岡田ジャパンの応
援を煽っているが、多くのファンは期待薄で、逆にシラケて
いるような感じだ。だいたい監督本人がどうも煮え切らない
し、選手たちにも一体感が感じられない。政治もまた、新首
相に支持率が上がったというが、これもまた選択肢無しとい
う状況が生んだ現象で、ここにも一体感は無い。
今頃になって60年安保と樺美智子さんの死を振り返るような
マスコミの動きも、なんだか遅ればせながら…という印象だ。
もう一度、何万と言う学生が国会へデモをかけたり、識者と
言われる人たちが真剣に、安保と日米関係に切り込むのかと
いえば、そうは思われない。民意に一体感が無い。
 セネガルの人たちが醸し出すリズムのなかで、そんなこと
を感じていた。

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アフリカン・ドラム 1

 アフリカのスワヒリ語学校時代を通して知り合った友人が
数年前からdjembeをやっている。数年振りに会いに行った。
 代々木公園はdjembe愛好家(としか言い様がなさそうな人
たち、セミプロや時にはアフリカ人の奏者も交る)が集う場
として知られていたが、先のオリンピック誘致運動に伴って
都の「美化」推進による粛正対象のひとつにされたらしい。
他の音を出す活動やホームレスたちと一緒に暫くの間、公園
から掃き出されていたという。それが誘致に失敗してくれた
お陰で、今年になると大きな音を出しても規制されなくなっ
たとかで、また最近は週末に集まっては練習やセッションを
やっているのだという。
 近年のdjembeに代表されるアフリカン・ドラムやダンス
人気が盛り上がっている。首都や大都市周辺だけでなく日本
中にサークルがあって活動していることは知っていた。
その人気の裏には何があるんだろうと、ずっと考えていた。
 好天のせいもあるのか、金曜午後とはいえ、代々木公園に
は意外と多くの人が居た。横たわる人、語る人、歌う人、本
を読む人、ギターを弾く人、ランニングをする人、犬の散歩
をさせる人…案外と一人の人は少ない。
いつもは土日に集まるとかで、友人の仲間は姿を見せなかっ
たので、彼は一人でdjembeを叩いた。かなり年季を積んだ
ことの判る音だ。相当入れこんできたことが伺える。
少し叩かせてもらったけど、やはり良い音を出すまでには
それなりの修練が必要だと判る。でも自分ではやってみよう
という気にはなれない。聞くのは好きでも、自分はリズム系
楽器には食指が動かないのだ。それは個々の性向というか生
物としての出自や系譜なんかに左右されるのだろう。
P1020713  ところで彼は、以前と少し雰囲気が変わった。
前は少し閉じている部分があって、しかし今はなんだか解放
された感じで、どうも「丸くなった」感じなのだった。
それはなんだろうと思いながら、翌日のイベント、横浜の
赤煉瓦倉庫前広場で開かれるアフリカン・フェスタでもう
一度会うことにした。
ステージで幾つかの音楽を聞く事ができて、そのうちの、
セネガル人のパーカッション・グループを聞くのが目的だ。

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カラスのいる風景

 新宿の山手線、線路際にゴミの集積場所がある。その近くの会
社に務めていた頃、昼休みの時間つぶしにブラブラする道として
時々通っていた。そこを久しぶりに歩いてみた。
終日の午後早い時間。集積所に布の塊がポツンとある。取り残さ
れたものなのかと思って良く見るとそれは布団で、重ね着に身を
包んだ蓬髪の男が横たわっている。一見してホームレスだ。
脇を通過する山手線、ビルの谷間の青空、一羽のカラスが見守る
ように近くの柵から見下ろしていた。
 もう20数年前、初めて子どもが産まれた時、ナイロビの蒼い
空の一点から「これからお前はどう生きてゆくのか」と問いかけ
られているような思いがしたことを、ふっと思い出したりした。
Photo

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馬頭観音の時代を振り返る

 いつもは駅周辺までをコースを変えながら歩くようにしている。
壊れかけた自転車の具合を確かめるためもあって、ちょっと遠出
をしてみた。しばらく行かない間に街の様子が変わっているもの
だ。去年の夏から1年ほども足を向けなかったあたりに向かった。
 道路が幅広く改修されている。山が整地造成されて住宅が建っ
ている。新しく喫茶店ができている。そんな路傍に古い地蔵が残
されているのが目に入った。
馬頭観音を示す石碑があるが、観音像そのものは無い。顔面が崩
れた地蔵らしきものが立っている。馬頭観音はヒンドゥー教の
ヴィシュヌ神のことで、衆生の無智や煩悩を食い尽くして救済し
てくれるという。憤怒の形相をしているのだそうだ。ただ、路傍
の石像としては動物供養などのため街道脇などに置かれたらしい。
そういえばそこはかつて鎌倉街道と呼ばれた道路なのだ。
Photo  地蔵の傍に建てられた石碑には弘化三年とある。天保と嘉永の
間、1846年だ。1842年にイギリスがアヘン戦争に勝利して中国
進出の足がかりを作った後の事。アメリカも後へ続けと、その足
場固めのために江戸幕府にアプローチしていた時期なのだ。
この1846年、アメリカの東インド艦隊の提督、ジェームス・
ビッドルが2艘の軍艦を連れて浦賀に来航して開国を求めたと
いう。この街道筋にもそんな出来事が人の口から口へ伝わったの
かもしれない。ペリーの来航はその7年後だ。太平洋戦争に負け
る前からすでに、日本はそうしてアメリカの軍門にひれ伏してい
たんだなあ。鎌倉街道の馬頭観音から、沖縄の普天間問題にも繋
がる日米関係に思いを馳せてしまった。

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タルトコって誰?

 急転直下逃げ出したハトヤマに変わる与党党首/首相候補とし
て出てきた管と樽床について一言。
四球や死球続きで2死満塁に近い状況では、急場を凌ぐリリーフ
としては、まあこいつかと思われるのが管だろう。でも、いや待
てとブルペンにもう一人出てきたのは2軍のピッチャーで、名前
も知られていないタルトコという。
これって完全に民主党内の茶番だわな。時間がないけど対立無し
に首のすげ替えだったら、また自民と同じになるし、本命のリリ
ーフは参院選の後までとっておいて、とりあえず格好だけつけて
おこうということじゃないか。
タルトコなんて地元の人以外の他府県の国民には殆ど知られては
いないじゃないの。ひょっとすると素晴らしい政治をするかも知
れないけど、閣僚経験も無く(野党の一兵卒じゃ仕方ないか)知
名度もない人を、明日から首相として信頼し、サミットに送り込
む事は出来ないだろう。それは凡百の民主党員にだって判りきっ
ている。馬鹿なマスコミも、評論家やコメンテーターと呼ばれる
輩も誰もそんなことは言わない。
あーあ、本当にこの国はドツボの底に来た。

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ハローワークの親子

 相変わらず期待少なくもハローワークに足を運んでいる。
紹介を待ちながら世相ウオッチングしていると、いろんな事が見
えてくる。
すぐ横で相談を受けていたのは3歳程の娘を連れた中年男だった。
後ろ向きなので顔が見えないが、漏れ聞こえる会話から49歳だと
いうことが判る。晩婚だったのだろうか?なかなか子宝に恵まれ
ないなかでようやく授かった子どもなのだろうか?初婚ではない
のかも知れない。なにやらドラマがありそうだ。
幼い子どもがありながらどういう経緯で職を失ったのだろう?
なぜ幼女を連れているのだ?妻が働いているということなのだろ
うか?
…さまざまな想像が沸き上がる。HWは現在の日本社会の縮図だ
なあとつくずく思う。
 49歳の男は経理事務の求人に応募したいようで、経験があるの
だという事を言っている。ノーネクタイのスーツ姿は、すぐにで
も面接に駆け付けられるための準備だろう。鞄にはネクタイが忍
ばせてあるに違いない。
お父さんの膝に抱かれていた娘は動きたい盛りらしく、じっとし
ていない。滑り降りて周辺を駆け回っている。父親が職を失った
ということも知らないのだろう。人が沢山いることに興奮してい
るのだろうか、楽しそうにはしゃいでいる。
そこに妻がやってきた。なんだ居るじゃないか。何をしていたの
だろう?ちょっとだぶついた体型。30代半ばと見える。これから
娘を病院に連れて行く、みたいなことを言っているのが耳に入る。
そこで私の番号が呼ばれた。

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