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2009年12月

意識の変化

 最近、世界の一部では「足るを知る」とか「自足を継続する」
とかいうことを意識し、そうした暮らしを求め、実践しようと
いう意識や動きが出ている。
現状の世界があまりにも際どいところに来ていることが、地球
規模で人の意識を変えるべきだという「地球の意志」のような
ものとなって表れ始めたのではないかな、と思う。
COP15なんてまるで意味の無い集会でしかないし、先進国vs
途上国という対峙のなかで責任のなすりつけなどやっている場
合じゃないことは自明だ。
アフリカの諺に「水は高い所から低い所に流れる」というもの
がある。世界は総合的なバランスのなかで保たれているのだか
ら、富も物質も平準化するのが基本に違いない。あらゆる欲を
捨てて他者を敬い、均しく暮らしを持続させる。そんな簡単な
ことが出来るかどうかが、今、私達に突き付けられている。
 2009年はChangeという言葉が世界を回った。あれは意志
表明の始まりだったと思う。今、その言葉を発した本人の言動
には疑問ばかりで、彼の存在意義は多分あのメッセージを世界
に伝えるという、そのひとつにあったのだろう。
そして本当の変化は、2010年の私達の行動に掛かっている。 

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一息ついたら、もう年の瀬だった

 バカみたいなバラエティ番組のおかげで、この1週間のうちに
3日も徹夜作業をやらされた。ディレクターならば編集作業など
でそんなこともあるけど、今回は海外との連絡の仕事だ。
仕事の仕方がメチャクチャなスタッフが集まっている会社だ。
まあバラエティという番組の作りはそんなもので、粗製濫造を絵
に描いたようなものなのだ。分かってはいても、そんな番組作り
からはずっと離れたところに居たので、改めてそんなテレビ業界
に呆れ返る。
 でもこの仕事のお陰で何とか年が越せるのだから、あまり文句
は言えない。まだ暫くは大変な暮らしが続く。

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最近

この1週間で1日置きに徹夜という、ひどい状況でヘロヘロ。
グログ更新の時間がありません。
この顛末は、また記します。

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「インパラの朝」と開高 健ノンフィクション賞 2

 旅を続けるうちに、著者は悪ぶった行動で難局を切り抜けてい
った。例えば、国境を越えるために同じ国へ向かう旅人と結婚し
たと言う記述がある。でもこれは単にビザを貰うために夫婦です
と自己申告して国境通過のときに行動を共にしただけのことだ。
結婚と呼ぶべきではないし、それこそアフリカでも、この日本に
でもそんな方便以上に、本当に結婚することで人生の転換を図る
具体例は枚挙に暇がない。
さらにもっともっと様々なパターンの生のリアリティ溢れる実話
をいくらでも知っている。著者が何度も結婚とか夫などと記述し
ている様は、なんとも可愛らしいばかりで、そこにはさらに厳し
い生の現実を想像しようとする態度も切迫性も無い。
 南アフリカでのバスターミナルから乗り場への往復のクダリな
ど、まるで途上国初体験のヒヨコのようだ。アメリカで教育を受
けた事があるらしいので、英語は上手いのだろう。多分アメリカ
なまりの英語をまくしたてながら、妙に優しくなったり悪ぶった
りという態度をとる姿が想像出来て微笑ましい。日本人に限らず
似たような人物は私も実際に目にしたことがある。
 著者の旅の終わりはヨーロッパだ。旅の途上で知り合った人た
ち(多分西欧の人たちか)と再会して、自分達の途上国への思い
を確認しあったのだろう。
 やっぱり何か違う。開高健ノンフクション賞に相応しいのだろ
うか?でも受賞作として出版されている。ということで、私はこ
の賞の意義と価値を疑う。開高さんならば、あんな書き方を認め
もしなければ、評価もしないはずだと確信する。
小学館と選考委員たち!今の女性持ち上げの風潮で、あの著作が
売れると考えたのならば、売れないよ。一部のラジオや新聞なん
かで著者のインタビューが行われているが、私が見聞した限りで
は、旅人の英知の感じられない人物だとしか映らなかった。

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「インパラの朝」と開高 健ノンフィクション賞 1

 第7回開高 健ノンフィクション賞受賞作「インパラの朝」を
アメリカ出張の往復を利用して読んでみた。
実は同賞には以前応募したことがあるし、注目は続けている。で
も前回あたりから選考に疑問があった。選考委員に起因するのか
選考基準そのものに起因するのかわからないが、私が信ずる開高
賞に値するものか?と思ってしまう。
開高の洞察とツッコミ、深みと軽さ、広い視野と細部への視点、
そうしたものの片鱗は、開高賞作には欠かせない筈だ。
 さて「インパラの朝」という著作。私には旅の断面と時々の印
象を小間切れにした羅列で、エチュードの域を出ていない。
各章は、そこから語られるべき何かのタネの状態で放り投げられ
ているし、文章はなにやら悪ぶった感じばかりがする。かなり意
識して作った文体のようだが、30代始めの女性の文章としては自
然さに欠け、描かれているその行動と同じく、一人よがりのツッ
パリだなあとしか思えないのだ。
 そして一番気になる点は著者の思考回路だった。サラリと読め
ば旅の始めと終わりでは著者の物の見方が変わっていったかのよ
うに感じるかもしれない。実際そのような記述もある。世界の声
無き人たちの声を聞き、姿を見るために同じ地平に立とうという
のが旅のモチーフで、著者は少しずつ視点を変えていったとされ
ている。でも結局は最初から最後まで、大上段に構えた世界との
対峙の仕方は変わっていないし、彼女の持つ先進国vs途上国、富
者vs貧者といったカテゴライズされた固定観念の図式に変化はな
いのだ。
 私は13年間アフリカに暮らし、恐らくただ日本に暮らし続けて
いたら経験するだろうことの数倍以上の様々な体験を重ねた。
それでも私はいまだに「アフリカとは**だ」とかいう物言いは
出来ない。それほどに世界は多様性があって、私の見聞きしてき
た物事は、アフリカの持つ一部でしかないと思うからだ。

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アメリカで 3

 生まれて初めてサーカスを実際に見た。面白かった。シルク・
ド・ソレイユのようなモダンなショーじゃない、映画などでお馴
染みの昔ながらのものだ。ピエロとか猛獣使いとかが出て来る。
アメリカはほんの一部を除いて、暮らし振りも人の意識もかなり
保守的だと感じていたが、ほんとうに実感する。
一言で言えば「壮大な田舎」なのだ。自由で楽しく暮らすことが
第一で、子どもの頃に見ていたテレビ番組「うちのママは世界一」
とか「じゃじゃ馬億万長者」とかに描かれていたような、屈託な
い人たちなのだ。ちょうどサンクスギビングの祝日で、テレビで
は安売りと買い物に押し掛ける人の様子が繰り返し流されていた。
街はもうクリスマスの飾り付けだ。それでも世界的な不況の風は
なんとなく淀んでいる。

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アメリカで 2

 ドイツからの移民を祖先に持つサーカス一家、その末裔を訪ね
るのが今回の仕事だった。奇しくも私と同じ年生まれの座長は、
命綱無しの綱渡りでおじいさんが事故死したプエルトリコで、同
じパフォーマンスを行ってリベンジを果たした人物。見た目は私
よりもずっと若い。日々緊張のなかで体調維持に努め、今も現役
で頑張る彼の姿は刺激になった。そして自由と束縛を嫌うアメリ
カの良き伝統を大事にし続ける彼の言葉と態度は好感が持てるも
のだった。

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アメリカで 1

 仕事で急にアメリカ3泊4日の出張に出て不在でした。
今回はメジャーリーグ、レッズの本拠地Cincinnati。
アメリカの地方都市ならではの佇いだ。要するにダウンタウン
を除くとビル街も無く、高い広い空がポンと広がる典型的な風景。
そこでサーカス一座を訪ねた。

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