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大つけ麺博とアイヌ・フェスティバル 3

 こだわりのラーメンに求められているのは、科学的なものを
排してより自然な状態で作り出される原材料を使う。速成の大
量生産ではなく、身の丈に合った量を日々消費される分だけ、
無駄を出さないようにコツコツと作る、という姿勢だ。
行列のできる人気ラーメン店で、科学調味料や量産品を使うこ
とを公言する例は無い。逆に自然素材を手間ひまかけて作りあ
げるのが王道だ。その日の仕込み分のスープや麺が無くなれば
店じまい、ということもある。またオーガニックのもう一つの
意味に「生きているものを形成する要素」があって、敷衍して
「自然のままに在ること。それが体に溶け込んでゆき、体その
ものとなること」というように考えられる。
たかがラーメンに…ではあるけれど、この病んだ現在の裏で、
何とかして不自然な物事から揺り戻しを掛けたい、という意識
が働いているのではないか。
 低価格(その裏には低賃金がある)を競い、大量消費(その
裏には大量廃棄がある)によって利益を得ようという風潮が大
手を振る世のなかで、そんな動向に対するカウンター・カルチ
ャーと言うと大袈裟だろうか。
ラーメン店に長い行列を作る私達は、ゆっくりと時間を使いな
がら豪華でも豪奢でもない「贅沢」に浸っている。アイヌのト
ンコリ演奏に感じる「オーガニック」に、こだわりラーメンの
「贅沢」と通じるものがあると私が感じるのはそんな部分だ。
誰だって(と私は思うが)100円でも50円でも安いジーパンを
求めたいわけじゃない。財布が赦すなら、料金を度外視して自
分が好むデザインや素材のものを手にしたいと考えるのは当然
じゃないか。でもそれは叶わない。ラーメンならば全国各地に
特色とこだわりを持った作り手がいる。どこかに自分の好みに
近いものを味わうことのできる店があるだろう。
一本の木を選ぶところから始めた自作のトンコリ。歩むように
奏でられる弦の余韻は、私にとって最上のスープを口にしたと
きの感覚に似ている感じがする。

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