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2009年9月

記憶の転写、科学とオカルト 3

 今こうして文章を書く私をとりまく沢山の記録媒体がある。
PCのCPUやメモリー、FDにCDにUSBフラッシュ・メモリー、
MDやDVDなどのディスクや磁気テープの数々、銀行のキャッ
シュ・カードはじめ様々な磁気カードなどなど、私に関する多
様な情報が記録された物たち。
そして私の脳にしか記録されていない生後これまでの体験の記
憶や知識情報。遺伝子によって伝達されるという個体の履歴情
報…とすると私の子どもたちもまた生きた記録媒体だと考えて
いいのだろうか。
科学的に作り出された記録機器や媒体は、タンパク質と核酸の
働きを擬似化したものであり、それらを統合する脳を模造した
ものがコンピュータなのだと改めて思う。
 映画「2001年宇宙の旅」に現れるモノリス。あの黒い塊は
アカシック・レコードを留める記録媒体か?
そういえばイスラムの聖地メッカにあるカアバ神殿には、月か
らの隕石だと言われる黒曜石が鎮座しているし、オーストラリ
アのウルル(エアーズ・ロックの呼称で知られる)やマダガス
カルの巨岩ボネドバップもまた地元住民の歴史を刻む聖地とし
て知られている。
ウルルを訪ねた事はないがボネドバップは眺めたことがある。
北の方角から一本道を進むとゆるやかな起伏が広がる平原に
忽然と現れる巨岩は壮観で、遠くから見ても近くに立っても
何故か厳かな気持ちが湧く。風の感触や空気感が違う。
そうした感覚や印象は、聖地であるとかまつわる話を知ってい
るから感じてしまうものだろうか。それはその地に漂うアウラ
(W.ベンヤミンが「複製技術時代の芸術」で述べた、優れた
芸術作品を前にして人が経験する畏怖や崇敬の感覚)があると
するならば、多分そうだとしか言いようが無い。
物や場所に閉じ込められた記憶があって、それに感応するとい
うメカニズムがあるのではないか?それは科学力によって人工
的に作られる以前に、自然の創造力がもたらすものだ。
とすれば、自然に存在する様々な物にも何らかの履歴が記録さ
れていたとしてもおかしくはないか。私達はそれに気付かない
だけで、それを取り出したり再現するための解凍方法を知らな
いだけなのかもしれない。

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記憶の転写、科学とオカルト 2

 ある種の石が古来から信仰や聖地と関連づけて崇められたり、
ヒーリング効果や薬効が指摘され利用されて来たという、あの
パワーストーンだ。私の住む市にも幾つものパワーストンを加
工したアクセサリーの専門店があるしデパートにもコーナーが
あったり、いろいろな効力があるという数珠が売られていたり
する。
スポーツ選手がよく首にかけているネックレスは、磁気や鉱石
の影響力で血流を促進するとか筋肉のストレスを緩和するため
だということはよく知られている。昔から磁気が肩こりに効く
ことは言われていた。
ある種の鉱物になんらかの力があるということは歴史的・因習
的に実践されてきた事柄で、科学的にも根拠が無いとは言えな
いわけだ。昔はそれほど商売にならなかっただろうに、科学技
術が発達した今だからこそ、その効果と魅力を感じる人が増え、
商売として成立しているのだろう。
 さて、IT機器の中枢をなす原材が希少鉱物だというのは象徴
的だ。アフリカで産出するレアメタルは最新のIT機器に必要不
可欠ということで、これらをめぐっての政治的・軍事的攻防は
よく知られている。
 ナミビアのヒンバ族の村を訪ねた時、ヒンバ文化を研究して
いる文化人類学者が同行して墓地へ行った。砂漠を浅く掘って
遺体が埋葬された墓は水晶の小石で覆われていた。水晶は清め
の力を持ち、死んだ者の記憶をとどめるともされる。
そういえば古来から洋の東西や民族・文化を問わず墓には墓石
が欠かせない。記憶と記録のメモリアルストーン。
生物の脳に記憶が蓄積できるならば、爪の先ほどのチップに膨
大な情報を記録させる事が可能ならば、ひょっとすると路傍の
石にでさえ何らかの方法で記録を閉じ込めることは不可能では
ないのではないか…と考えてしまうのは笑い話だろうか?

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記憶の転写、科学とオカルト 1

 ほんの数十年前まではFaxでさえ画期的な通信技術だった。
アフリカに行く前、会社ではtelexを使っていた。今では絶滅し
てしまったと思われる電話回線を使って文字情報を送る機械だ。
テーブル付きのタイプライターみたいな機械で、回線を繋いで
キーを叩けば文字情報が相手側の機械のプリンターに印字され
た。双方で同時にチャットも可能だったが、電話料金が高額だ
った当時、特に海外とのやり取りではあらかじめ原稿を作って
おいて後で一気に送るのが常だった。
原稿を作るには、タイピングで文面を書く時に印字とは別に紙
のテープに記録を取っておいて、後でそのテープを使って送信
する。テープには文字(アルファベットだけ)に対応するパン
チ穴が開けられていて、送信するにはセットしたテープを走ら
せてパンチ穴を読み取らせるという仕組みだ。
念を押すが文字はアルファベットだけだ。それがtelexの国際
スタンダードで、日本文でもローマ字式に表記するしかない
ので日本人同士でもそのように通信をしていた。
ケニアの旅行会社でも国内外の文書伝達にはtelexを使ってい
て、faxが発展し普及し始めたのは1990年頃だった。
私は日本で買った小型の物を旅行客の手荷物に忍ばせて持っ
て来てもらった。1989年のことで、当時はナイロビで買おう
ものなら数十万円もする超高価な機械だったのだ。
あれよと言う間にfaxは普及したが、今やアフリカでもPCや携
帯電話は欠かせない通信機器となっていることは、考えてみる
と凄いことだ。
 そんなふうにIT技術が発展して自分も日常的に使っているの
に、未だにちゃんと理解出来ていない事柄がいくつかある。
そのひとつはIT機器の記録メディアなどのことで、あの小さな
物体が一体どういうメカニズムで映像や文字や音を含む情報を
記録するのだろう、というような疑問だ。
映像では銀塩写真ならば、どうにか記録メカニズムは納得でき
る。カメラ内部に光学的に映し出された映像が、ネガやポジの
銀盤に焼きつけられるというのは物理的な現象としてなんとか
理解出来る。けれど、デジタルカメラとなるとそのメカニズム
はどうしても理解できない。
まず、映像情報を0と1にデジタル変換するというのは具体的に
どんな作業なのか?そしてその記号化された情報をどんな回路
を通してどのように記録メディアに蓄えるのか?
それは科学力をもってしか出来ないことなのだろうか?
ふと、何故かパワーストーンについて考えた。

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イマジンとソマリア 2

ということで、ソマリア(プントランド)では海賊行為は商
行為であって産業なのだ。そして収拾のつかない南部では、
武器を使った強奪もまた商行為となっている。そこで宗教へ
の回帰によって規律を取り戻そうとした一派が、イスラムの
シャリア(戒律に則った法律)を厳格に守るよう強制しよう
とした。
そのお陰で一時的にある程度の平和的が訪れていた時期もあ
ったのは事実だ。ところがそこに過激な急進派が加わって
様々な思惑が錯綜し、新たな権力抗争に発展していった。
アル・カイーダとの関連が指摘され、軍事訓練の基地がある
とさえ言われてアフガン攻撃と同時期にソマリア攻撃さえ取
沙汰された。これには疑問があるが、ソマリアの貧困につけ
込んで何らかのかたちでそうした勢力が影響を与えて続けて
いる事は間違いないだろう。
だからクリントン米国務長官へのテロ計画のような話も真実味
をもって出てくるのだ。
 もう今やソマリアには、地勢学的な国境も人々の意識の上で
の国境も無くなっている。それは国際的な認識とも言って過言
ではないと思う。幸か不幸か自然資源が無いとされているので、
砂漠しかないソマリアには近隣国も乗り込もうとはしていない。
もし石油埋蔵の可能性でもあれば、過去の失敗の挽回とばかり
イラク同様にアメリカに占領されていたかもしれない。
 国境が無い国。考えてみれば、これはジョン・レノンのイマ
ジンの世界に近いのではないか…と、ふと思う。
この世に天国などない。でも殺しあいと宗教を除けば、所有欲
と飢餓を除けば、そこはもう地獄じゃないのではないか。
でも私達にはそれができない。ソマリアでもイスラエルでも
アフガニスタンでもイラクでもアメリカでも日本でも、誰も
想像力と実行力を発揮する事ができない。

magine there's no heaven
it's easy if you try
no hell below us
above up only sky
imagine all the people
living for today...

Imagine there's no countries
it isn't hard to do
nothing to kill or die for
no religion too
imagine life in peace...

Imagine no possessions
I wonder if you can
no need for greed or hunger
a brotherhood of man
Imagine all the people
sharing all the world...

you may say I'm a dreamer
but I'm not the only one
I hope someday you'll join us
and the world will be as one

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イマジンとソマリア 1

 ケニアの新聞NATION紙のweb版を日常的にチェックしてい
る。トップ記事に、先のヒラリー・クリントン米国務長官が訪
問した際にテロリストによる爆破計画があったと出ていた。
テロリストは混乱が続く隣国ソマリアから侵入するはずだった
が、ケニアとアメリカの諜報機関が連携して未然に防いだのだ
そうだ。計画を企てたのはお決まりのアル・カイーダとの関係
が指摘されているソマリア内に勢力を持つイスラム過激派だと
いう。
 今度はセイシェルからソマリアへ向かう予定のチャーター機
が経由のナイロビ、ジョモ・ケニヤッタ国際空港で留め置かれ
ているという記事だ。乗客はソマリア人の海賊(piratesとしか
記されていない)だそうで詳しくは書かれていないが、文面か
ら推測するとセイシェルに拠点を置くソマリア人海賊のようだ。
セイシェルは昔、海賊が基地を置いた地として知られている。
彼らが何者で、どのような経緯で移動しているのかは明らかで
はなく、飛行機はケニアの会社のものでケニアでチャーターさ
れたものだということだけが書かれている。
記事によると関係3国の間で何やら調整が続いているらしい。
どちらの記事も何がどの程度真相を伝えているのか分からない。
往々にしてケニアの新聞は最も知りたい詳細を欠くことが多く、
ソースが不明で信憑性が疑わしいことがある。
そうしたらBBCのweb版アフリカニュースに関連記事が出て
いた。その記事によるとソマリア中部のプントランド(国際的
には承認されていないが、北部のソマリランド同様に独立を宣
言している。ソマリア海賊の拠点があるのはこの地域)で人質
になったセイシェル人がいて、身代金の代わりにセイシェルで
捕獲されたソマリア人海賊との交換を要求されたらしい。その
交換で解放されたのがナイロビで止められているということの
ようだ。
 国境と国名という形骸だけを残して実質の国を無くしたソマ
リアについてはこれまでにも何度か書いた。
政府が無くても国民の生活は続く。生活のためには経済活動が
必要で、国内産業が壊滅状態では国境の外に活路を見つけるし
か手立てが無い事は理解出来る。
元々がアラビアの国へのヤギや駱駝の輸出とかヨーロッパ(主
にイタリア。デルモンテ社は有名)へのバナナやオレンジなど
の貿易で外貨を得る以外には、出稼ぎでなんとか暮らしを維持
していた国なのだ。
地勢的には、インド洋岸の帆船を使った季節風貿易の中継地と
しての存在くらいしか対外的な価値は無い。
ソマリアの海賊問題の根はこのあたりにある。
 元々はソマリアの中にあっても更に資源や産業に乏しかった
のがプントランドだ。ソマリア内戦が激化する前から反政府活
動が潜在し、元の中央政府から迫害や攻撃を受けてきたという
歴史もある。そのプントランドが地の利を活かして思い立った
のが海賊産業だと言う事ができる。

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ゴキブリを殺す

 冷夏の終わり、風呂場にゴキブリが現れた。いつもは台所あ
たりに出るのに何故風呂場なのか? 涼しいせいか、なんだか
勢いのない動きで水を抜いた浴槽の壁を這っていた。
私は生理的にあの昆虫が苦手で、見つけたら退治してしまう。
殺虫剤をかけたり棒状にした新聞紙で叩き潰したりする。
浴槽の元気の無いゴキブリに殺虫剤を噴射した。元々活発では
ないので一発で下に落ちた。ステンレスの上に仰向けになって
もがいているところにとどめの噴射をして、まだ動いているう
ちに新聞紙で掬い取ってコンビニの袋に押し込んだ。そのまま
縛って出て来られないようにすると、ゴミ袋に押し込んだ。
 本を読んでいたら蚊が一匹、視界を過った。カーテンに止ま
っているのを見つけてそうっと近付き、両掌を思いきり叩きつ
けて潰した。掌に黒いシミとなった蚊の遺体と赤い私の血が残
って、水で洗い流した。
 ほんとうは無為な殺生はしたくない。ゴキブリや蚊としてこ
の世界に生まれただけで、何故いきなり人間に抹殺されなけれ
ばならないのだろうか?
私が殺しておいて、そんな事を考える。
ある種の病菌を持っていることがあるとして害虫とされている
が、この害虫という言い方も人間の勝手による言いがかりでし
かない。そんな言い方をすれば人間だって地球の害獣だ。
 動物であれ昆虫であれ植物であれ生物は、さらに言えば菌類
とかvirusなどでさえ、この世界に存在する意味を担って生まれ
てきたものだ。そして全ての存在は何らかのかたちで相互にリ
ンクし合っていることを考えると、たまたま私という人間の目
の前に現れたことにも何かの意味があったのだろう。
 アフリカで目にして来た弱肉強食の野生動物の世界。それは
食物連鎖のサイクルというメカニズムにとって必要不可欠なも
のだけど、人間が意味も無くいきなり他の生物を抹殺すること
にはどんな意味があるのか。そしてそれが対人間として行われ
た(行われている)としたら…
 「冬の兵士」(岩波書店刊、反戦イラク帰還兵の会著)を
読む。副題はイラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実。
公聴会で証言された数々の出来事は、私がゴキブリに対して
行った行為以上に色々な事を考えさせる。

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ラマダン 2

 特に小中学生だった子どもたちにとって、断食を実践するた
めには日本が好意的な環境だとはとても言えなかった。
逆に偏見や疎外を生んでいたに違いない。
 当時小学校4年生の息子の場合、担任の先生に説明して理解
を得、給食をスキップさせてもらった。その間息子は図書室で
過ごしたと言う。でも何でも右に倣えを刷り込まれてきた日本
の民衆意識からは奇異で不思議な行動だったのだと思う。
 給食で言えば、イスラムの規範のひとつである豚肉の禁忌と
いうこともそうした要素の一つだ。私は給食メニューが出た時
点でチェックしておき、先生に伝えて豚肉を使った食べ物を省
いて食べさせてもらえるように頼んでいた。
 私はそれらをどれだけ厳格に守るかということよりも、規範
に則って暮らしを律するという事の意味を理解し、それを守ろ
うとする意志を育んで欲しかったから実践は本人に任せていた。
どの程度実践されていたかは知らないし、知るつもりもない。
また先生がどのように子どもに分かるように説明したのか知ら
ないし、他の子どもたちがどう受け止めたかも分からない。
多くを語ってきていない息子の心の内外で、それがどう波及し
たのかも知らない。
 直接にはラマダンとは結びつかないかもしれないが、息子は
度々他の子どもと喧嘩したり、不機嫌になって帰って来る日が
あった。そうした出来事と、ラマダンに象徴される異文化や宗
教、人の生き方の多様性に対する日本の対応性の未熟さは、か
なり濃くリンクしているに違いない。
 妻が日本を去って以来、私の暮らしの中でイスラム的規範を
守ることがおざなりになっていって今に至る。
イスラムは禁忌に縛られているとか、何ごとも厳しく強要する
厳格で激しい宗教ではないかと思われているかもしれない。
詳しいことは宗教学者に任せるとして、私の知る限りで一般的
なイスラム(おしなべて宗教はみんなそうではないか?)の原
理は自己との対峙と世界との調和だと思っている。
そして生き方や行動を律するのは自分自身であって、その自分
を磨く精神活動が宗教行為だろうと考える。
 私は5つの柱を盲目的に守ることのできない、かなりいい加
減なムスレムだが、果たして自分を律することができているだ
ろうか?
半月が反射する光を眺めながら自問していた。

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ラマダン 1

 数日前の夜、外に出てみると月が見えた。晴天の夜空の真ん
中に、きれいな半円形の月が明るくホワリと上がっていた。
そして、そういえばラマダンのちょうど中間なのだということ
に気付いた。
 ラマダンというのはイスラム暦(太陰暦)9月の呼び名で、
日本式に「長月」と呼ぶようなものだ。この月はイスラムの
5つの柱(信仰のために守るべき規範。信仰の告白「シャハー
ダ」1日5回の礼拝「サラート」ラマダン月に行う断食「サウ
ム」貧しい者への喜捨「ザカート」メッカ巡礼「ハッジ」の5
つの行いのこと)のひとつ断食を行うことになっている。
新月から新月の間の1か月間続けられる。
誤解している人が多いようだが、ラマダンという語が断食を
意味しているのではない。
 元妻がイスラム教徒だったので、結婚前に私も改宗した。
ナイロビのスンニ派モスクでイマム(宗教的指導者のような者。
イスラムには職業としての神職者は居ない)の唱える言葉
「アッラーの他に神はなく、ムハンマドはアッラーの使途であ
る」をアラビア語で3回繰り返し復唱した後、イスラム名を与
えられて信徒の仲間入りをした。
 まあそんな訳で、以後はアフリカでも日本でも私の家族は
イスラムの行動規範に則った日常生活を基本としたので、たま
の礼拝(礼拝には必ず告白を伴う)と年に1回の断食は出来る
だけ行っていた。とりわけ断食は元妻が腕を振るって料理をす
るので訪問客も多く、ナイロビに居る限りは殆ど行っていた。
 断食なのに料理の腕を振るうと言うとアレッと思う方が多い
だろう。断食をするのは日の出の2時間前から日没までのこと
で、その間は水は勿論タバコも口にしない。しかし日没後は先
ずジュースやコーヒー、紅茶などの飲み物と軽食を口にする。
その後で夕方の礼拝を済ませると改めてきっちりと夕食を摂る
ことになるのだ。この夕食をフィトルと呼んで、一日の断食達
成の喜びを共有するために、本来は旅人や通行人とかも呼び込
んで歓迎することになっている。 
今では見ず知らずの人をフィトルに誘うことは殆ど無いが、親
族とか友人、ご近所などが訪ねあって食事をすることはよくあ
ることだ。訪問者の多かった我が家では、各種の飲み物や軽食
に始まって炊き込みご飯や肉料理にデザートまで、家族分の3
倍ほどの量を毎日準備していたものだ。
 昼間に断食していたからといってバカ食いできはしない。
ラマダンの意義は体調を整え、自然や他の生物に感謝し、欲望
のコントロールを意識するなかで、生活パターンを整えて心と
体をリセットすることにある、と私は理解している。
家族が揃っていた頃は、日本でも可能な限り実践を心掛けたけ
れど、なかなか理解され難いことではあった。

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脳がフリーズ 2

 それは日中に起きた。一緒にソファに腰をおろして話をして
いたら、妻が突然顔を斜め上に向け、天井を睨むような目つき
で「キキキキ」と吃るような声を発し始めた。
はじめは何かふざけているのかと思った。直前まで普通に話を
していたのが、ほんの数秒のうちに発症したのだからビックリ
しないわけにはいかない。歯を食いしばって体を硬直させるの
で、そのままソファに横たわらせて声を掛けながら落ち着くの
を待った。計った訳ではないので実際にどのくらいの時間続い
たのか分からないが、長かったような短かったような時間が、
たぶん10分ほど経過して回復した。
意識を取り戻した妻に聞くと、ほんとうにプツンと意識が途切
れるのだと言う。体の緊張が和らいでいくと眠りから覚めたよ
うに、私はどこに居たのだろう?という感じで意識が戻った。
その間の記憶も感覚も完全に欠落していたが、発作前の状況の
記憶は残っていた。そしてとても疲れるらしかった。
夢を見ていた感覚も無く、臨死体験などとは全く違うらしい。
 投薬を続けるうちに発作の間隔は3か月、4か月、7か月と少
しずつ伸びてゆき、アメリカでの最初の発症から約1年7か月
を最後に症状は止まった。その後妻はアメリカに移って、すで
に投薬を止めて10年以上になる。発作はそれ以後出ていない。
 あれは何だったんだろうか? 
 深い部分の精神状態を示すサインだったんではないか。異文
化にフィットしないこと、そのストレスが脳のフリーズとなっ
て現れたのかもしれない、と考えることもある。
妻は最終的に日本に馴染まず、こんな国には居続けたくないと
出て行った。
 最初にアメリカで発症したのは、日本へ移動する途中という
宙ぶらりん状態がピークに達した頃だった。間もなくまた全く
違う文化である日本に行くということで、何らかのストレスが
溜まっていたのかも知れないし、もしかするとそのままアメリ
カに暮らし続けたかったのかもしれない。
 呼び寄せる前に訪ねた時に見たミネソタの田舎町の暮らしは
基本的な生活環境としてはナイロビ大差がなかった。親族の多
くが移住したあの町での暮らしの方がだろうし、まだ偏見や差
別が存在するとはいえ、世界中からの移民によって作られた多
民族国家のほうが自分の居場所を見付け易いに違いない。
だから彼女は日本は嫌いだと言い続け、最終的に自分から選ん
でアメリカに移住したのだが、あのまま日本に暮らし続けてい
たとするなら、また発作が再発したかも知れないとも思う。
 今はMacとMSのWindowsを使い分けているが、何かの拍子
にどちらも稀にフリーズする。そんな時ふと元妻の発作のこと
を思い出す。今日もフリーズせずに過ごせただろうか。

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