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千々にくだけて

 遅ればせながらリービ英夫の小説「千々にくだけて」を読んだ。
彼は日本語と英語、日本人とアメリカ人、見ていた人と当事者、
或る文化と他の文化、あるいは親と子などという対置されるもの
の間の実存を小説化した。
小説化のきっかけは、奇しくも日本からアメリカへ里帰りした時
の乗り継ぎ中間地点で遭遇した9・11事件だ。二つの国の間、カ
ナダでのどちらにも属さない宙ぶらりんで過ごした体験が触媒と
なり主人公は千々にくだける自分を意識する。
人には誰も、並立や対立する二つあるいはそれ以上の幾つかの拠
り所のような場所や事柄、人や言葉などがあるはずだ。そしてお
およその人は、それと意識することなくその間で揺れ動きながら
精神的な日々を過ごす。
9・11事件はイデオロギー対立の間での揺れが過激なかたちで暴
発したということだと思う。
 思えば私がアフリカから帰国するに至った経緯も、東西冷戦の
終息や世界各地での強制的な民主化の流れの影響に位置づけられ
るアフリカ各地での内紛・内戦、そして湾岸戦争がひき起こした
ケニアの観光産業への打撃などを抜きには考えられない。
それらが原因で元妻の一家はすでに全員故国を離れて暮らしてい
るし、帰国した私の離婚や子供たちが日本とアメリカに別離して
いる遠因もそこにあると言ってもいい。
 実は私にはあの9・11事件はかなりのショックだった。という
のも1980年代にすでに人類の未来に悲観的な展望しか感じてい
なかった私は、気持ちの底にガラガラポンのカタストロフィを期
待した部分があった。だから一時喧伝されたノストラダムスの大
予言にあった『1999年7の月』に意外な出来事が起こるのではと
空を見上げていたのだ。しかし『恐怖の大王』が2001年9の月に
航空機として降って来るとは誰も想像していなかったに違いない。
あれ以来私のなかで何かが起きていて、未だに生活の端々でふと
発作のように沸き上がり、喉のイガイガのように引っ掛かり続け
ている。

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