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2009年5月

千々にくだけて

 遅ればせながらリービ英夫の小説「千々にくだけて」を読んだ。
彼は日本語と英語、日本人とアメリカ人、見ていた人と当事者、
或る文化と他の文化、あるいは親と子などという対置されるもの
の間の実存を小説化した。
小説化のきっかけは、奇しくも日本からアメリカへ里帰りした時
の乗り継ぎ中間地点で遭遇した9・11事件だ。二つの国の間、カ
ナダでのどちらにも属さない宙ぶらりんで過ごした体験が触媒と
なり主人公は千々にくだける自分を意識する。
人には誰も、並立や対立する二つあるいはそれ以上の幾つかの拠
り所のような場所や事柄、人や言葉などがあるはずだ。そしてお
およその人は、それと意識することなくその間で揺れ動きながら
精神的な日々を過ごす。
9・11事件はイデオロギー対立の間での揺れが過激なかたちで暴
発したということだと思う。
 思えば私がアフリカから帰国するに至った経緯も、東西冷戦の
終息や世界各地での強制的な民主化の流れの影響に位置づけられ
るアフリカ各地での内紛・内戦、そして湾岸戦争がひき起こした
ケニアの観光産業への打撃などを抜きには考えられない。
それらが原因で元妻の一家はすでに全員故国を離れて暮らしてい
るし、帰国した私の離婚や子供たちが日本とアメリカに別離して
いる遠因もそこにあると言ってもいい。
 実は私にはあの9・11事件はかなりのショックだった。という
のも1980年代にすでに人類の未来に悲観的な展望しか感じてい
なかった私は、気持ちの底にガラガラポンのカタストロフィを期
待した部分があった。だから一時喧伝されたノストラダムスの大
予言にあった『1999年7の月』に意外な出来事が起こるのではと
空を見上げていたのだ。しかし『恐怖の大王』が2001年9の月に
航空機として降って来るとは誰も想像していなかったに違いない。
あれ以来私のなかで何かが起きていて、未だに生活の端々でふと
発作のように沸き上がり、喉のイガイガのように引っ掛かり続け
ている。

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党首討論から

 期待する事は全くなかったが、相変わらずだ。
まず「討論」として成立していない。これは一般国民なら誰もが
そう思うはずだ。こうしたことはこれまでも変わらない出来事で
事は党首討論だけでなく、おしなべて政治家の言論はだいたいが
質問に真っ向から返答しない事を正当なレトリックと考えるのが
奴らのなかでの常識になっているらしい。
それは記者会見などにも見られる事で、はぐらかしの答弁が多く
質疑と応答が成立しないのでは何を聞いても仕方ない。
それに、質問する方も答弁を逆手に取って突っ込んだりグイグイ
と押し込むような核心的な質問をせずに、おざなりにご機嫌取り
のようなお伺いで済ませているテイタラクだ。
 少なくとも党の首領とされている人物ならば、はぐらかされた
ならば鋭く質問に引き戻すくらいの気概と討論技術くらいは持っ
ているべきだ。その前に質問そのものが政治姿勢なら政治姿勢、
具体的な施策なら施策を問うといったように限定的に問わない
のだからはぐらかされてしまうのだ。
このあたりにも政治家としての民度の低さが露呈している。
 多くの税金が無駄に使われていて、その大きな部分が公益法人
と呼ばれる天下り温存のための不要な財団によって吸い取られて
いるという事は既に周知のことだ。
私も幾つものそうした財団に足を踏み入れた事があった。永田町
や虎ノ門界隈の立派なビルに大きなスペースを持っていて、しか
し職員は疎ら。忙しい気配もなく何をしているのか?と初めて訪
れる者さえ呆れ返るはずだ。
毎日100人以上の人が自殺するこの日本で、利益を産み出す事も
無い公務員(勿論議員なども含む)に何故ボーナスが与えられる
のか!20%カットだって?ふざけるな、無しにするべきだろう。
議員全員クビにして暫くハローワーク通いさせてみたいものだ。
自分の国の現実を知らない、知ろうとしない党首が雁首揃えても
時間の無駄だし、どんな未来が見えて来るというのだ。
皆んな、もっと怒ろうぜ!

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民度について 3

 東京近郊を走る電車の中でのことだ。私が暮らす市は福祉に
厚いことを標榜していて、いくつかの精神障害者のための施設
がある。そうした障害者がバスや電車に乗っている姿は珍しい
ことではない。なにやらブツブツと喋り続けていたり、突発的
に奇声を発して奇矯な行動をとっている人と遭遇することもあ
る。そんな人物がそんなに混んではいない昼間の電車に乗って
きた。元妻が座席に座り、私はその前に立って吊り革に掴まっ
ていた。
20代前半かと思われる青年が「次は××〜、ウヘッ!」などと
やや興奮した感じで車内アナウンスを真似ながら車内を移動し
ていった。
それを目にした元妻が目を見開いて注目している。一方で他の
乗客はなるべく関わりを避けようという態度も露にソッポを向
いたり無視したりを決め込んで、車内にはある種の緊張が漂っ
た。それを察知した元妻が私に言った。
「なんで皆知らんぷりしてるの? あの人は精神障害者でしょ
う。突然倒れたりすることあるよね。もし何か起きたらみんな
は助けてあげたりしないのかな?」彼女は青年が他人に無闇に
危害を加えるような人物ではないし、逆に注目と介助が求めら
れる必要があることを理解していた。それをまるで黴菌かのよ
うに避けて目をつぶる人の態度に怒りと失望を隠さなかった。
 一時私は安売りで知られる或る大型店舗のセキュリティ
(要するに万引きとか顧客からのクレーム対応要員)のアルバ
イトをしていたことがある。そのとき理不尽なクレームの多さ
にたまげた。
例えば自分で壊したサングラスを買ったばかりだということで
取り替えろ(粗悪品を売り付けたとのクレーム)と凄み、しか
もレシートは捨てたとほざく。とか、安い米を買っておきなが
ら、食べたら不味かったと言って返品する、などなど。
とにかくあきれかえってしまうようなクレームに、日本人はこ
こまで落ちてしまったかと暗澹とならざるを得なかったのだ。
 こんな国民が跋扈する今の日本はそんなものなのだろう。
果たしてマタビシ共和国とアメリカ追従で民主政治らしきもの
を標榜している日本のどちらが民度が上なのか、分かったかと
思う。

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民度について 2

 首都キンシャサの大通りを歩いている時、ジャンダルム(憲
兵)の制服を着た二人連れに呼び止められたことがある。
こちらがあまりフランス語を解さないと知ると、たどたどしい
英語で「我々はポリスだ。身分証明書を見せろ」と言う。
言わずと知れた恐喝の手口だ。現職かどうかは別として、なん
らかのランクの憲兵であることは間違いなさそうではあった。
胸にはGendarmerieと記したピンバッジも付けている。
とりあえずパスポートを取り出して、しかし手渡さずに写真の
あるページを開いて見せて日本人の旅行者であることを告げ、
反応を見る。果たして「よく見せろ」と引ったくろうとするの
をうまくかわしてNON!と突っぱねた。急に顔を強張らせた男
が芝居気たっぷりに「じゃあステーションに来てもらうしかな
いな」と凄む。要はそうしてお目溢しを請わせて袖の下を巻き
上げようという魂胆なのだ。リンガラ語で「袖の下」のことを
「マタビシ」と言う。旧ザイールは別名「マタビシ共和国」と
呼ばれた程に物事がマタビシによって動いていた。
でどうしたかというと、私はノラクラと話をしながら歩き続け、
近くにあった外国人が利用する三ツ星の観光ホテルの前まで行
くとロビーに飛び込んで難を逃れた。衛兵に警護され外国の要
人も宿泊するホテルまでは追ってこないのだ。
 当時のザイール(コンゴ民主共和国と名を変え、民主化が進
行中であるとされる現在でも多分)では、こうした行為が日常
茶飯事である。これに似た恐喝じみた行為は都市部でも地方で
も同国内の至る所で経験した。ただ、こうしたことから「民度」
が低いとは私は判断しない。
彼らはその時の彼らの尺度のなかで自らの文化度を保っている
と言えるし、しっかりと生きる手立てとなっているのだ。それ
が彼らの等身大の「民度」だと思う。決してバッカじゃないの
というような感想など浮かんでは来ないし、そのしたたかさと
ダメモト精神に富んだ積極性には脱帽さえする。
 一方で地方都市の郊外で風景撮影をしている時に、20人ほど
の軍隊に取り囲まれ、有無を言わさず司令部に連行された事が
ある。カメラを向けていた風景のなかに軍の駐屯地が入ってい
るということがその理由だった。軍の施設や駅とか港湾などが
撮影禁止とされている事は多々ある。駐屯地があると知ってい
ればこちらも注意したけれど、あいにく知らなかった。
結局どうなったかと言えば、司令官に事情を説明し、撮影した
ビデオを再生して検閲してもらった。他のシーンも記録されて
いるテープをそのまま没収されては溜まらないので、その場で
問題の部分だけを消去して見せた。司令官は教養のある人物で、
私達の申し出を了解して釈放してもらった。ちなみにマタビシ
は一切渡さず、要求もされなかった。
なんの異論もない、文明国の国民の態度ではないか。
 ところが、帰国して間も無い頃の日本で「バッカじゃないの」
と言いたくなる体験をすることになったのだ。

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民度について 1

 2大政党時代などというけれどその違いは殆ど無い。選挙はズ
ルズルと引き延ばされ、定額給付金などに目くらましされて馬鹿
な国民は与党とバカ首相支持を復活させているそうだ。
どうせ同じなら一度政権交代もあって良いかとも思うが、民主党
だけでは無理なので野党連合も期待できないとすると大連立とい
う茶番が待っているだけか。
政治家も選挙民も含めて民度が低すぎる! そこに尽きる。
 アフリカから戻って「民度」について考えることが屢々ある。
というのも日本人の民度の低さに愕然とすることが多いからで、
そんな思いはアフリカに暮らしていた頃には感じたことが無い。
たとえ1日に200円くらいの現金収入しかないような人でも、
道で困っている人がいれば声を掛け、何かの役に立とうとする。
差し出すものが無ければ行動で、家族や親族だけではなく周辺
住民やら見知らぬ人へも思い遣ることは誰かから特段に教えら
れる事ではない。
 経済的・物質的に貧しいことが民度の低さと繋がらないこと
位はだいたいの人には理解出来ていると思う。それはアフリカ
だけでなく世界の多くの地域の実例が物語っているわけだ。
日本人の国民全体としての平均的な人間性の低さはどうしよう
もないレベルにまで低下していると気付いている人は多い筈な
のに、そう指摘し声を挙げる人は少ない。
文化のなかに根付いた民度の表れの実例として、旧ザイールの
例を具体的に挙げていってみようと思う。

 独裁者として名高いモブツ大統領の時代、旧ザイールは政府
自体からしてモブツを頂点とする大ヤクザ組織みたいなものだ
った。合法/非合法を取り混ぜながら国民や企業などから金品を
収奪することで富を得、国が運営されていた。

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「北緯14度」補足

 自分でも少し言い足りない感じがあったので補足です。
私が知る限りでは「アフリカ通」を自認する人物というのが居
て、そうした人は得てして独善的に自身のアフリカ観を唯一無二
とする人が多い。そしてそうした人の多くが自身のアフリカ観を
他人にひけらかし押し付けたがる。でもそんな人の多くが長期に
しても短期にしても生活者としてのアフリカ観ではなくて通過者
としての視点からしかアフリカで派生する物事を見ていないこと
が多いし、視点がずれていることが多い。
絲山秋子のセネガル紀行「北緯14度」に記されている事柄には、
そうした一過性の観察者の視点ではないということが感じられる
のだ。それは何かと言うと、一面だけを見て全てを知ったかのよ
うな態度を取らない身の置き方がひとつ。世界の出来事や仕組み
は薄っぺらなものではなく、輻湊した多重構造のなかで展開され
ていて、そうした世の中で様々な偶然や必然が織り成すドラマこ
そが地球の生き物の世界なのだという認識がもうひとつ。
事は「アフリカ通」に限らず、少なくとも芸術家と呼ばれる人物
ならばそうした意識は不可欠ではないか。その思いを「北緯14
度」が思い起こさせてくれた。
 私がアフリカについて書く時、果たして言いたいことを理解し
てくれるのか、理解してもらえなくても興味を持って読んでくれ
るのか疑わしい。ましてやその数には全く期待が持てない。
ただ期待を繋ぐ事ができるのはその量ではなく質だということだ
ろう。世の中では何が起きていて何が必要なのか、それさえ掴ん
でいれば大きく外す事は無いんじゃないか。
友人知人以外にも反応コメントを頂いた。そのような反応がある
ということが、少なくとも私のブログ継続の力になっている。

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異形の人

 銀行に行ったらATMの順番を待つ列に何となく雰囲気が怪し
い男が立っていた。私から二人前に立つ中年男。少し白髪混じり
の短髪で眼鏡。背格好も体格も、知り合いのある人物に似通って
いたので、まずその人かと思って目を惹いたのだ。でもなんだか
どうも様子が怪しい感じがしてしまう。Tシャツ。背にはリュッ
クを担いでいた。そのリュックのポケットのジッパーが開いてい
て中が見えているのが気になるが、それが怪しさの元ではない。
腰にトレーナーを巻いている。天気が良いので暑くなったのだろ
う。エッと思う。これか!腰のトレーナーの下から黒いストッキ
ングに包まれた足が見えた。膝上10センチ、ジーンズ地のミニス
カートを履いている。トレーナーはそれをあまり印象付けないた
めの小道具か? まあ男がスカートを履いたりストッキングを履
くことがいけない訳ではないが、こうした人が目に付く世の中と
はどういうことかと考える。
 新宿の駅周辺でも女装する若い男を何度か目にした。彼はちょ
っと知られた存在らしく、そんなに多くの耳目を集めてはいない
様子で、道行く衆人は「ああ、またあいつか」という反応だった
ことにも驚いた。ニューハーフなどを含めて化粧したりして女を
装う人というのは内面の外形化を行っているわけだが、あのよう
な男は顔や体型は全く通常の男そのもので、ただ女性用の服装を
纏うことに楽しみを味わっているだけらしい。機会があったら
思うところなど話を聞いてみたいものだ。
でも考えてみるとこの国の長とされる人物もそのとりまきも、身
なりだけはそれ相応ではあるものの、その精神構造はあの銀行に
居た男などと同様に思い知れないものがある。誰でも知っている
女性雑誌の表紙モデルを自分だけが知っているなどと思い込み、
記者クラブで得々としている脳天気さは何だ。
あいつこそが異形の人の長にしか見えないが、思うところを聞い
てみる気にもなれない底の浅さは如何ともできないのだ。
 ようやく小沢一郎が降りたが、民主党も選ばれるべき長を欠い
て予定調和的人選茶番が始まっている。彼らもまた異形の一種で
はないか。どうしてこうもあのような人たちばかりが増えている
のだろう。

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「北緯14度」

 絲山秋子のセネガル紀行「北緯14度」を読んだ。「沖で待つ」
という小説で芥川賞を取ったことのある作家だ。新聞の書評に出
ていたことがあって、セネガルへの旅を書き下ろしたということ
で気になっていた。書店で立ち読みして以来、なんだか男性的な
語り口が印象に残ってもいた。
セネガルのパーカッションの神様と呼ばれる人物の大ファンだと
いうのがセネガル行きのきっかけだといい、彼に会うことが一つ
の目的となっているが、それにはサラッとしか触れられてはいな
い。では2か月以上なにをしていたのかというと、ダカールに腰
を落ち着けてあれこれ動き回ることはない。現地に暮らす3人の
日本人と、親しくなった何人かのセネガル人たちとの関わりの様
子が描かれているだけなのに、私の知るアフリカの断面がなんと
もうまく捉えられている。
絲山秋子という人は固定観念の少ない人なのだろうなと言う事が
わかる。初めてのセネガル訪問でアフリカのエッセンスを掴んだ
ようだ。そしてきっとまた、この人はセネガルを再訪するに違い
ない。

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「グラン トリノ」とアメリカの現在 2

 全世界的規模で人の混交が進んでいる現在の世界で、異文
化社会のなかに移り暮らすということがどういうことなのか
を知るよい機会がある。ここ数年開催されるようになった東
京難民映画祭という催しがそれだ。そこで紹介される作品は
劇映画にしても記録映画にしても、UNHCRが規定する難民
だけでなく様々な形の移民の姿を映したものだ。
「グラン トリノ」でCイーストウッドが最も表現したかっ
た事は移民問題ではなく、個人的な美学に根ざした、もっと
普遍的な人間存在の尊厳の筈だ。ただ、それを現在のアメリ
カの社会状況のなかに置いた時、あのようなストーリーとし
て描くことに最も納得いったということだろう。
そこに監督としての彼の社会に向ける視線と良心を感じる。
それはオバマ大統領を産んだ現在のアメリカの救いにも通じ
ているのではないだろうか。
私は映画を社会的文脈で見る質の人間なので、ついそうした
見方をしてしまうのだ。
 今日、娘からメールが届いた。娘が家を出て大学の寮に暮
らすようになって以来、母親が寂しさのあまりアルコール依
存に走っているようだ。折からの不況でパートタイムの仕事
も週に2〜3日しか出勤が出来ないらしい。ソマリア人コミュ
ニティのなかで暮らしていてさえそうした孤立感は否めない
ということだ。それは自殺が増え続けるこの日本にも共通す
る、或る世界的な現象と無縁ではないような気がする。
それでも何か肯定的な方向性の一つに、「グラン トリノ」
の主人公が選んだような行動もあり得るのではないかなと思
うことはできる。「赦す」ことができることとできないこと、
それを分つものは個人の美学や国家、民族を越えたものでは
ないかという気がする。

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「グラン トリノ」とアメリカの現在 1

 話題の映画「グラン トリノ」を見た。
Cイーストウッド監督作は好きではあるけど、映画論を展開
するほどの知識と技量は無い。その辺は最新の文學界5月号
で蓮實重彦、青山真治、阿部和重による対談が余すところ無
く述べているので譲ります。
ここでは私にしか語る事の出来ないだろうテーマである、現
在のアメリカとあの映画について思うところを書いてみる。
 それにしてもまあよく書かれた脚本だと感心した。
舞台はデトロイトあたりのようだが、見ているうちに私の娘
たちが暮らすミネソタの様子を思い浮かべずにはいられなか
った。というのもラオス人コミュニティは知らないが、私が
見聞きした限りでも新規の移民コミュニティと建国以来から
のアメリカ人たちとの関係抜きには、現在のアメリカを語る
ことが出来ないからで、そのあたりのニュアンスが実に良く
浮き彫りにされていたからだ。
例えばミネアポリス郊外にソマリア人が多く暮らす地区がい
くつも出来ていて、元妻の妹一家が母親とともに暮らす一角
などはまるで「グラン トリノ」の舞台となっている住宅街
そのものだった。小じんまりと簡素な一軒家が並ぶ多くは、
この数年で入居してきた移民たちに席巻されていた。
 そうしたなかで起こりうる一つのエピソードとして、映画
「グラン トリノ」のストーリーはとても説得力がある。
主人公は朝鮮戦争従軍の元軍人でフォードの自動車組み立て
工をリタイアした一人暮らしの老人。息子はどうやら不動産
関係らしく、トヨタ車に乗っている。私の元妻も長男も娘も
使っているのは日本車だ。乗用車の主流は値段の安い車なら
韓国のHYUNDAEあたりであって、アメ車では対抗車種の少
ないピックアップくらいしか目につくことは無い。
車はさておいて、私が過去3回訪ねたミネソタの状況から察
しても、最も心配していたのは新興移民同士または旧来のア
メリカ市民(人種を問わず)との関係だった。
 それは去年、娘の高校卒業式の時に目にした光景とも関連
する。今後の展開によっては希望へとも絶望へとも変わり得
るもので、それはアメリカに限った問題ではない。

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