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2009年4月

ハローワークとこの国のかたち

 ほんとうに妙なネーミングをしたものだ。呼び方を変えたと
ころでやっている事や体制が変わった訳ではないくせに。でも
職業安定所と言っても、実質的には職業の供給を安定させるた
めのものでは無いから、内容に見合ったことをやってくれたら
良いのだが…
職が無いのは分かっているが、時間があるので時々最寄りのハ
ローワークに行く。朝から人でごった返している。データベー
スの検索でも30〜40人待ちは当たり前で、比較的人が減る午
後遅めでも20人くらいは待つ必要がある。しかも求職者の半数
は20〜30歳代の若者で、今や中高年層のほうが少ない。
しかも50歳代前半という私の年齢は中途半端で、高齢者対策の
高年層には引っかからず、一般求人の対象としては年をくい過
ぎているのだ。法律上は年齢でハンディをつけてはいけないと
いうことになってはいるが、実際は年齢が高い者ほど敬遠され
ることは目に見えている。
 ここへ来てアホ首相と与党の支持率が上がってきたなどと馬
鹿なマスコミが喧伝しているから、世の中はますますドツボに
はまってゆく。あいつは初めから任期一杯しがみつくと思って
いたが、間違えない。民主党も同じ穴のムジナなのでどうしよ
うもない。
赤字国債11兆円分を発行して総額14兆円の補正予算を通すそ
うだ。国債と言うのは発行すれば売れるようになっているらし
いが、それって金を刷っているってことではないの?
歳出が歳入より遥かに大きい状態が続いて、この国は追加発行
の国債で賄ってきているんですよね。これって既に経済が破綻
している状態でしょう。年金にしても健康保険にしても、もう
すでに完全に破綻しているのに、マスコミさえ「いずれは…」
とか「このままでは…」という言い方しかしないのはおかしい。
今の日本に必要なのはクーデターか大革命以外に処方のしよう
がないところに来てしまっている。
いまさら世襲議員を制限するとか言うのもおかしい。世襲は勿
論駄目だが、今選挙しても立候補する者が同じ馬鹿ばかりなら
選びようが無い。候補者には誰も適任者が居ないことを表明す
る手立ては無いのだろうか? 国民に首相や大臣のリコール権
を持たせる事は出来ないのだろうか?
その前にできることとして、議員数を半分にし公務員の天下り
先である不必要な財団を一掃し、議員も大臣も総入れ替えする
くらい可能ではないのか?
そして一番駄目なのは、このテイタラクを容認してきたニッポ
ンの愚衆たちだ。

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インド映画が映す現実 3

 概してハッピーエンディングの結末が多いインドの娯楽映画
は、なかなか思うように生き辛い大衆(人口的には最も多い下
層社会の人たち)の思いや夢を代弁しているという部分もある。
描かれる内容には上流も下層も含めて様々なシチュエーション
があるが、私が特に好んだのは下層社会の生き様を活写したも
のだ。
そんななかにはスラムの生活や人身売買などを背景にした作品
もあって、しかもエンディングは必ずしもハッピーではないも
のもある。
 もうひとつ印象的だった作に、都市化で開発対象にされたス
ラムの住人が狡猾な国会議員の策略で非道な立ち退きに遭うと
いうのがあった。主人公はスラム出身の若者グループ(今の日
本では所謂ヤンキーと呼ばれるような素行の、行政に睨まれて
いる連中)の一人だ。最初は国会議員の口車に乗って金のため
に裏工作の片棒を担いでいたがやがてその不正に気付き反対運
動を展開する。結局は大きな力にはどうしようもなく、強制撤
去が行われて更地になった土地には高層ビルが立ち並ぶ。
そうしたエピソードの末に、主人公は仲間を集めてビル群に爆
薬を仕掛けて破壊する…という夢を見るが、それは打ちひしが
れた彼の想像上のシーンで、現実は新たに出来た高層ビル群で
ありその周辺に押しやられた下層民の変わらぬ暮らしなのだっ
た。
 昨今の低迷するハリウッド映画界にあって必要なのは、CG
や特撮などを駆使して制作費が嵩む荒唐無稽な内容よりも、も
っと現実を見据える製作態度なのではないだろうか。
「スラムドッグ ミリオネア」にしても「送り人」にしても、
そうした視点へ気付かせてくれる一石となればいい。

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インド映画が映す現実 2

  映画館は満席に近かった。客の大半はエイジアンで、週末という
こともあって家族連れなどで賑わっていた。隣のおばさんもそう
した家族連れの一人で、子供を含む4〜5人が一緒だった。40代
中頃だろうか。映画鑑賞はシーンにつられて歓声や怒号、爆笑と
ともに進行する。アフリカ人も同じように感情移入しながら見て
いるので、うるさいといったらない。
思えば私の幼少期には日本でも場面ごとに一喜一憂し、声をあげ
たりしながら画面に見入る大衆の光景があったことを思い出して
懐かしかった。隣のおばさんも危険が迫ると声をあげたり、主人
公の生い立ちに涙したりと憚る事無く感情をあらわにしながら映
画を楽しんでいた。その印象が強くて、いまだに鮮明に思い出す
事ができるのだ。
 私はインドと言えばケニアと日本の往復の途中でストップオー
バーした旧ムンバイでの見聞しか無い。それをもって「これが
インドなんだ」と思わせるような体験とは言い難いかも知れない
が、少なくともアフリカで見聞した固有名詞を伴うインド社会の
具体例に照らし合わせてのインド社会の内実を考慮しても、イン
ドの現実社会は厳しいものだと言えると思う。
それは一般的な日本人の暮らしからは到底知る事の出来ないもの
で、非常に厳しい現実なのだ。その一端は先の「スラムドッグ 
ミリオネア」にも描かれてはいるが、それでも本当のリアリティ
には触れていないと思われる。私が見てきた何百本かのインド娯
楽映画にさえ、もっと非情な現実が描かれた作品は幾つもあった
し、さらに厳しい結末で終わるようなストーリーもあったのだ。

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インド映画が映す現実 1

 「スラムドッグ ミリオネア」について、あの程度の映画以上
の素晴らしいインド映画はいくつもある、と書いた。そのあたり
について書いてみたい。
インドは映画大国で、年に700本とか800本(もっと?)という
数の作品が製作されていることは、かなり知られていることと思
う。インド映画といえば話題になるムンバイの映画界(旧ボンベ
イなので、もじってBollywoodなどとも呼ばれていることも知ら
れているかと思う)だが、各地でそれぞれの主要言語を使った作
品も勿論沢山製作されている。
インド映画は一般的に長編が多く、途中休憩を挟んで3時間くら
いある。主流は歌あり踊りありの娯楽作品で、そうした要素も含
めて尺が長くなっているようだ。そしてテーマの多くは家族や兄
弟の人間関係、家系や部族とか宗教、貧富の差や学歴差などだ。
それらのテーマにインド社会が抱える問題と習慣や文化が色濃く
反映されている。私は日本の文化人が好むサタジット・レイなど
の、なんというか、インド文化映画(文芸作品?)は見たことが
無いが、不法コピーされてアフリカのレンタル屋に出回っている
ような娯楽作にこそ、インドの現実が活写されていると思う。
 元妻と初めてのデートで行った下町のインド人経営の映画館で
見たのも、そうしたインドの娯楽映画のひとつだった。そのスト
ーリーは今も覚えている。
本来は良家の子として生まれた男が、赤ん坊の頃にあるいきさつ
で下賤な家庭に育てられ、長じてギャングの長となる。日本でい
う鼠小僧のような儀賊で、不当に富んだ者から金品を奪い貧しい
もの弱いものへ施すような男だ。色々あって最後は、非道な搾取
で財を成した或る金持ちを狙うが、その家庭こそが彼が生まれた
一族であることや自分の出生と育った秘密を知る。また彼は白血
病に冒されていて余命幾許も無い…などという展開だ。
簡単に言えば小林旭や石原裕次郎主演の昔の日活アクション映画
のようなストーリではあるのだが、映像や挿話の端々に「これが
インドなんだ」と思わせるシーンがあって、言葉は分からなくて
も3時間は長くなかった。
そして一番印象的だったのが、隣に座って見ていたエイジアンの
おばさんの反応だった。

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スラムドッグとインド映画

 話題の「スラムドッグ ミリオネア」を見に行った。
良い映画であることは確かだが、アカデミー賞ものかなあ…と
思う。評されているようにインドを舞台にしたハリウッド映画
だし、ストーリーも想定の範囲から逸れることなく大団円を迎
える。あの程度の映画なら、あまたのインド映画には遥かに素
晴らしいものが幾つもある。
私は実は、日本人としてはかなりの数のインド映画を見てきて
いる。だからクイズプレゼンテーター役のアニル・カプールを
見てとても懐かしい思いをした。日本で言えば田村3兄弟のよ
うな俳優一家のカプール3兄弟の末弟で、インド映画のアクシ
ョンヒーローだ。冒頭近くに出て来るアミタブ・バッチャンは
さらにひと世代前のヒーローで、日本で言えば石原裕次郎のよ
うな存在だ。確か国会議員になって政界に進出したはずだ。
 何故私がインド映画通になったかと言うと、それはアフリカ
暮らしと関連している。前妻は大のインド映画ファンで、子供
の頃からインド映画を見て育ったらしい。そのせいで、別に習
った訳でもないのにウルドウ語を理解するまでになったという。
東南部アフリカには多くのインド/パキスタン系移民(一般的
にエイジアン=アジア人と呼ばれる)人口があることは知られ
ている。以前は映画館の館主はだいたいそのようなエイジアン
で、上映される映画もインド映画中心にプログラムが組まれて
いた。私の居た頃には既に町のあちこちにレンタルビデオ屋が
あって、毎週何本もの新作が次々に入荷され、前妻はなじみの
レンタル屋に通っては新作チェックをしていたのだ。
ということで私もいつの間にかインド映画を見るようになった
のだ。
次はインド映画について書いてみることにする。

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アフリカからのニュース

 BBCのアフリカ発のニュースをいつもweb版でチェックして
いる。いつもながらの政治や事件とは違うものがあったので紹
介してみよう。
 よく犬が人に噛みついてもニュースにならないが人が犬に噛
みつけばニュースになると言われる。そんな例だ。
「必死の人間、蛇を噛む」と言うリードに目が惹かれた。
ケニアのインド洋岸、リゾート地として知られるマリンディの
近郊、サバキという村で起きたという。
茂みを歩いていたニャウンベという男が、何やら柔らかいもの
を踏み付けたなと思ったら、それは全長4メートルにもなろう
というニシキヘビだったらしい。気が付いたときには足を絡め
られていて、体ごと巻き付かれてしまっていたようだ。
その格闘のなかで男は蛇のしっぽに噛み付いたが自分の下唇を
傷つけただけ。蛇の頭をシャツでくるんで噛みつかれることだ
けは逃れたものの、蛇は男の体を木の上に引き上げていった。
そこで文明の利器が役立つ事になった。男は携帯電話を持って
いたのだ。いまやケニアではサバンナの真ん中でも通信可能な
ほど目覚ましい普及を見せている携帯通信網。ポケットの携帯
に手が届き、どうにか知人に掛ける事ができたのは幸いだった。
知人が警官を伴って駆けつけ、木の上の蛇と男をロープで引き
ずり降ろして男を助けることができたのは、事件が発生して3
時間ほども経ってのことだったという。
 こんな話があるから、アフリカからは目が離せない。

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ミックスト・ムチュズィ

 4回に分けて載せたのは「ミックスト・ムチュズィ」と題する
連作小説の一遍で、もう何年も書き継いでいるが、まだ数が揃わ
ずに発表のタイミングを失っている。
主人公はスラムに暮らす混血の少年で年齢は定まっていない。
5歳から8歳くらいを想定してはいるけど、敢て大人びた一人称で
独白というか回想めいた叙述にしている。ずっと前に読んだマル
セル・ムルージの「エンリコ」に触発されて、アフリカに暮らし
ている頃から構想は練っていたのだ。
MIXED MUCHUZIというタイトルはスワヒリ語でシチュー状の
おかず一般を指すMUCHIZIにいろんな食材をぶち込んだものと
いう意味で、そう言うだけで意図するところは察しがつくと思
われるのでこれ以上は書かない。
短編を彩るエピソードの多くは生と死、やって来る者と去る者、
得るものと失うもの…などに関わるもので、私が体験した13年
のアフリカ生活無くしては生まれない。
まとまったら何らかの形で発表するので期待してお待ち下さい。

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バスタード 4

 2本目のビールを空けるとギドは腰をあげた。まだそんなに
遅い時間じゃあなかったが、不法滞在者狩りのパトロールで、
最近この辺りには警官がウロウロしているのだ。
一目見ただけでは素性のはっきりしないギドだ。知ってる奴な
ら何ということもないが、知らない巡査に掴まったら面倒なこ
とになりかねない。奴等、何かと理由を付けて小遣いせしめよ
うとするし、へたすると有り金全部持ってかれることだってあ
る。ここいらの国じゃ、ちょっとは知られる堕落警察だ。
 ギドと連れ立ってコーナーバーを出たのはトラック仲間の一
人、アブソロムだった。港町まで荷を受け取りに行く便があっ
て、やはり翌朝早く出発することになっていた。

「ちょうどセカンドストリートを曲ってサードに抜ける路地に
入ったとこだった。俺たちは港の女と山の女の違いについて言
い合ってたとこだった。その時、後ろから『おい、そこのヨソ
モノ』って声がして、俺たちは無視して行こうとしたら『お前
ら!そこの二人』って怒鳴りやがった。ポリよ。初めっからそ
のつもりで、もう右手には警棒握ってやがってさ。俺とギドと
二人別々に道の両側に引っ張ってって、いつもの職質。見たこ
とない奴らだった。
コート着てたから胸のナンバーは隠れてた。
俺がIDカード出してる時には、向こうもそうしてるみたいだ
った。『へえ、ここの生まれになってるけど、どこのアイノコ
だ』ってポリ公の言うのが耳にはいったよ。ギドの奴ポリ公嫌
いだったからさ、すぐ声が荒れてくるんだけど、あん時はポケ
ットに大金入ってたし、ずいぶん下手に出てるって感じだった
な。ところが持ち物全部出してみろってことになってから、少
し面倒悪くなってきたんじゃないか?ついカッとしちまったら
しくてサ。ギドも『あんたもポリスのID見せろ。じゃないと
俺に指一本触らせない』って始まってヨ。
向こう見た時にゃ、もうポリ公地べたに尻餅ついて顎押さえて
たし、ギドもサード・ストリートの方に走ってた。こっちの奴
が飛んでったんで、俺もその隙にセカンドの方に逃げたよ。そ
してパンッて音が二回か三回続いたかな?
ポリ公のリボルバーのあの銃声だけど、人の命が持ってかれる
にゃ軽すぎるよナ。
こっちには追って来ないってわかって、バーから出てきたヤジ
馬なんかと一緒にもう一度路地ノゾキ込んだら、倒れたギドの
両手を二人で片っぽづつ踏んづけたまま、一人が背中にトドめ
撃ち込むのが見えた。
『このバスタード』って吐きつけながらヨ。死体は金持ってな
かったことになってる」

 帰りにセカンドとサード・ストリートの間の路地を通った。
何時間か前にはそこに死体があったことなんか誰も忘れたよう
ないつもの昼下りだった。俺は足が地面に引っ張られるような、
変な歩き方をしてたと思う。
サードに出る少し手前、雨が降るといつも水溜まりになるとこ
ろに、ザラついた大きなシミが乾き始めていた。野良犬が一匹、
その辺りを嗅いで回ったり地面を嘗めてみたりしていた。
 俺はバスタードって言葉の意味を考えていた。

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バスタード 3

 ギドは中東のどこかの出身だという何故かフランス語を話す
両親の長男で、この国で生まれた。もう20代のなかばだと思
う。父親は食料雑貨の店とトラックを一台持っていて、一時は
良い羽振りだったらしい。それが何の病気か、或る時は頭が痛
いだの足が痺れる腰が立たないだのと断続的に何日も寝込むこ
とが多くなったかと思っているうちに一夜でポロリと死んでし
まった。病院に担ぎ込む間もなかったという。
この辺りの連中の口癖で、死因はマラリアだと決めこまれ、遺
体は市営の共同墓地に埋められた。
そんなことがあったのは4年位前のことで、その時俺は生まれ
て初めて人間の死体というものに接したのだった。
「しっかり見ときな。人はねこうしてこの世を離れるんだよ」
 おっ母は俺の手を引いて死顔に別れを告げた。西欧人のよう
に色が白かった筈の男の顔が、白木の箱の中で随分と黒っぽく
見えた。それまで気が付かなかったが、かなりのワシ鼻だった
んだということがわかった。
まわりの大人達は誰も涙を見せてはいなかった。どちらかとい
うと予定の列車が出て行くのを見送っているような、そんな日
常的な感じだったし、参列者に料理が振舞われだすと何となく
浮き浮きした、田舎のお祭りのような雰囲気さえあった。
 死ぬまではそんな噂さえ出なかったギドの父親に、目を掛け
られていたという女やその子供だという連中が何人か名乗りを
あげ、そんな女を持つ男の話はいくらでもあるこの町としては
別に不思議な出来事でなく受け止められた。逆に、何故そんな
事が人知れずでいたのか…ということのほうが常識に反する事
のようだった。
なんでも随分と公平で欲得を繕しとしない宗教だそうで、ギド
の母親は夫の残したものから価値のあるものを幾つか処分して、
そんな女にも財産を分けてやったらしい。
トラックもその時に手放したもののひとつで、丁度親父の死に
目に逢えず長旅から帰ってきたギドは、そのことをとても残念
がったという。店は今も母親が切り盛りしている。
ギドのすぐ下には仕事もせずにブラブラしている弟がいて、し
かし一人前にイタリア人とアビシニア人の混血という娘をたぶ
らかすかされたかして、一児の父になっている。その子を産む
とすぐに娘は町を離れ、今はどこか北の方の町で別の男と暮ら
していると聞く。子供はギドの弟の手で、というかつまりその
子のおばあちゃんであるギドの母親の手で育てられている。甘
い顔をした良い男になりそうな奴だ。
この子とギドの3人の妹のうちの二人がまだ学校に通っていて、
19になる長女は店で母親の手伝いをしている。ギドは下の二
人の学費を出してやっているのだ。
「あいつ、いつものようにカウンターでビール受け取るとジュ
ークボックスの隣に座ってたぜ」
「それから、いつものあれな。マリー・テレザ。あいつ、あの
曲しかなかったから。ザイールの田舎町のバーであれ歌っちゃ
あ、何人も女こましてたらしいよ」
「フランス語も喋れたしな、あいつ。あの家族のなかで両親と
ちゃんとフランス語で話が出来るの、あいつだけだったもんな」
「でも、少しは読めたけど書くのはまるで駄目だったぜ」
「そりゃあお前、あいつ学校行かなかったもん。一緒に抜け出
しちゃあ、よく映画館にもぐりこんだりマリファナやったり。
でも先生、残念がってたよな。本気になりゃあ大学行けるのに
って」

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バスタード 2

 使いを頼まれて行くと店の戸は閉じられたままになってい
た。埃っぽい風が巻いていて、炎天の下で何人かの大人が曇
った顔を寄せ合っている姿も見えた。
「かわいそうに、背中から撃たれたってよ」
「相手がポリスじゃ、しようがねえナ。お袋さん、どうして
る?」
「とりあえずポリス・ステーションに行ったんだって。どん
なふに撃たれたのか、誰がやったのか、調べにさ」
「誰もかまっちゃくれないよ。30分もねばって押し問答し
て、事件簿をチラと見せられてチョン」
 …30日夜、セカンドストリートとサードストリートの間
の暗がりで不審な男を目撃。身分証明の提示を求めた後、身
体検査をしようとしたところ担当巡査を殴って逃げたため発
砲。同場所で男は死亡…

 ゆうべギドは家に来た。ちょうど居合わせたおっ母の部族
のジロっていう若者に、翌朝早く出るトラック便の出発を伝
えるためだった。ギドはそのトラックの運転手で、ジロは助
手。俗に言うターンボーイで、二つ国境を越えた内陸のゴマ
の町まで食料品を運ぶということだった。熱帯雨林の山岳を
縫う未舗装の道を行くそのルートは、比較的に雨の量の少な
い乾季の今でもうまくいって往復2週間のコースとなる。
「早く寝とけよジロ。それから、また手当ての使い込みやっ
ても今度は助けてやんないからな」二つ折りにするには厚み
のある封筒を渡しながらギドが言った。
 長旅の途中で使うべき宿代食事代は出発前に手渡される。
その一部を小遣いにしたり、居残る家族へ置いて行くのは常
識で、実際にはトラックの中とか荷台で眠るのだし、食い物
も炭をおこして自分達で作ったもので済ますので金は掛から
ないようになっている。まだ少年らしさを残すジロはそんな
金をすぐシャツや靴に変えてしまう。
「だいたい女も知らずにチャラチャラ格好ばっかつけてもダ
メよ。今度はちゃんと女当てがってやっからヨ。楽しみにな」
 あったかい懐と長旅を前にした昂りがギドをいつもより少
し明るくしているようだった。
「あんたも遊びにお金使っちゃうんじゃないよ。来月は妹た
ちの学費の払いが待ってんだから。そのポケットん中のお金、
早くお袋さんに渡しといで」
 おっ母も久しぶりに意見じみたことを言ったりする。
「それよ。俺もあんまり小金持って夜の町歩きたかぁないし。
ちょっとコーナーバーで一杯やったら、帰って寝るつもり」
 それからおっ母はいつもの遅い晩飯の支度にかかって、ギ
ドとジロも腰をあげた。

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バスタード 1

連作短編の最初の一編「バスタード」を4回に分けて載せます。

バスタード

 俺には、どこかヨーロッパの端の方とかのちっぽけな国の人間
の血が流れている。何という名の国かは、おっ母さえ知らない。
それにきっと、父親って奴の名前さえおっ母はフルネームでは知
らないに違いない。
どこかヨーロッパの東のほうから来たらしいその男とおっ母がど
こでどう出遭い、どうしたはずみで俺を産み落とすことになった
のか、そんな詮索をするのは止めといた方がいい。そうした話は
ここいらには幾らでもある事で、一時的にバラ色の人生を夢見た
若い女が自分の唯一の資本である体を使って、その魅力がどんな
に効果的かを試してみた…そんな時代の産物ということだ。
ここいらに暮らす誰もがそんな事情は知っているし、似たような
境遇の奴はこのあたりには掃いて捨てるほども居る。ことさらに
バスタードなどと呼ぶ奴も呼ばれる奴も居やしない。
隣のユスフはアラビア人との混血でユスフ・アラブって呼ばれて
るし、他にもイタリア混ざりで美人のジョセフィーナとか、父親
はドイツ人だという可愛そうなほど造作の悪いムザウがいる。他
に、実際には中国人の血は一滴も入っていないのに何故か東洋っ
ぽい顔つきのチーナなんかが俺の近所の仲間というわけだ。
 俺は、自分じゃハッキリとは言い表せないけど、すごく国籍不
明の貌をしていると思う。だいたいおっ母からして古くアラブ系
とハム系黒人の雑婚の流れを汲んでいる筈で、色は薄くて面長で
髪もそこいらの連中のようには縮れていない。
それで俺も体色はずっと白っぽいし、髪はまったくの直毛で目は
丸い。ヨーロッパの端の方といえば、その昔蒙古あたりからやっ
て来た民族の血も入っているのかも知れない。どこか東洋っぽい
ところもあるのだが、骨の造りからか、どちらかというと浅黒い
肌の白人の範疇に入れられているようだ。随分と大人っぽい顔だ
ちだと言われるのは、そうした理由からだと思う。

 俺が暮らしている地区は、町と言っても人口百万人を越えるこ
の国の首都の一隅で、この首都最大級のスラムを近くに控えてい
て、近隣の国境を接する国から出てきた連中が寄り集まって住
む、そんな所だ。
このあたりの連中は出身を拠り所に各々助け合ったりいがみあっ
たりしていて、その拠り所も時によって国だとか地方だとか、宗
教だとか階級だとか、部族や氏族とかをつるみあうための共通項
として使いわける。
うちじゃあ肉は或るインド人がやっている店でしか買わないが、
それは宗教が同じだという理由のようだし、日用雑貨なら近くの
道端のキオスクへ出掛けるが、これはそこの主人が昔おっ母の産
まれた土地に長く暮らしたことがあって、そこの地方語をしゃべ
るために違いない。でも、米や油を買っている中東人の店が何の
理由でおっ母の買い物先リストに入れられたのかは知らない。

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同窓生の集まりから

 単身赴任で東京に来ていた大学時代の友人が大阪の本社に戻る
ということで、私を含めて4人集まった。
私の場合は同じリストラでも単純な首切りだが、彼の場合は本来
の意味のre-starcturingで、組織内の統合整理だ。「リストラ」
が人員整理=首切りというように短絡化されて理解されているの
はおかしなものだ。本来は人員整理以前にstructure(構造)の
再構築が行わなければならないはずだ。
 それはそれとして、その4人の酒席で久しぶりに各地に散らば
る同窓生たちの声を聞こうということで電話した。その一人目へ
の電話がちょっとショックだった。この2月に亡くなっていたと
電話に出た母堂から聞く事になるとは。心筋梗塞だそうだ。
私は現役で大学に入った。しかも1月生まれなので同窓生の中
では最も若い。亡くなった友人は2浪していたので私より2歳
年上だが、それでもまだ50代半ば過ぎ。早すぎる。
この年になると同世代の友人にぼちぼち物故者が出てくるのは
致し方ないが、卒業後出身地に戻っていた彼とはその後会う機
会が無くまた是非会っておきたかった。数年前に学生時代を過
ごした京都に集まって同窓会を開いた(私は行けなかった)時
には昔どおりの元気な姿を見せていたと聞く。
 医療が進んだ最近の日本では、人の死は遅くやってくるもの
だと思い込みがちだが、考えればアフリカで私の身近に起こっ
たのは若い死ばかりだった。病名も判然としない病気や少しの
注意で防げたような単純な事故などであっけらかんと若い命が
失われていた。
何年も書き継いでいるアフリカを舞台にした短編連作小説に、
もうひとつ加えるべきプロットが浮かんだ。

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lost boys calling

 ずっと気になっていた、とても好きな曲がある。
Pink Floydの中心的な存在だったRoger Watersの”lost boys
calling"で、彼がソロとなって発表したアルバム、"flickering
flame"の最後に入っているoriginal demoバージョンは何回聴い
ても胸に刺さる。作曲は映画音楽で有名なイタリアのEnrico
Morriconeで、彼らしいノスタルジックな旋律がロジャーの掠
れた叫びに乗って秀逸だ。しかしその歌詞はなんとも比喩的で、
いろいろな意味に解釈が可能でなかなか訳し難く含蓄に富む。
私なりに訳してみた。

 さあ 俺を抱き止めてくれ 俺は行かなかったよ
 こんな波立つ底の死んだような静けさの中に
              お前一人を置いて行けやしない
 俺にはまだ 
      あの行ってしまった少年たちの呼び声が聞こえる
 お前達は また置いてゆかれるかと恐れるあまり
              声をあげる事も出来ず
 ただ帽子のつばに手をかけて手を振るしかなかったんだな
 そしてまた 鉄の墓碑の間を戻って行った
 モット・ストリートに海鳥の鳴き声が聞こえるようになる7月
 俺は子供を抱きかかえているだろう
 俺たちがどこかに置いてきてしまった
 あの 俺たちの子供を

 スポットライトが消え 少年たちは散りじりになった
 最後の一音は砂のなかに 墓地の静けさのなかに失われた
 俺にはまだ
      あの行ってしまった少年たちの呼び声が聞こえる 
 西が勝利するために
        男たちは出てゆかなければならなかったから
 俺たちは幼い彼らをあそこに置いて来るしかなかったんだ
 今はもう やること無く日を過ごすだけだ
 釣りに連れて行ってくれたことは無かったね 父さん
 でも今はそれは叶わない
 モット・ストリートに海鳥の鳴き声が聞こえるようになる7月
 俺は子供を抱きかかえているだろう
 俺たちがどこかに置いてきてしまった
 あの 俺たちの子供を   

これはほぼ直訳なので、"boys" "steel tomb" などが何を示すのか
は考察が必要だ。それに"the child in the man"や、"I" "you"
"we"をどのように解釈すればいいのかも課題だ。
例えば"the west was won"はどうだろう。2002年に出たアルバ
ムなので89年のベルリンの壁崩壊は少し古い。
第一次湾岸戦争も1991年だし、第二次湾岸戦争は2003年だから
始まっていない。
ちょっと政治的に考え過ぎだろうか? 前半はPink Floydの解散
に関連した意味があるのかもとも解釈できない事も無い。
でも後半は自身の生い立ちと関連していると思われる。ロジャー
の父親は第二次世界大戦に出兵しイタリアで戦死している。母親
は共産党員で自身も社会主義社だと公言して憚らない。ベルリン
の壁が取り払われた後、"the wall"と名付けたコンサートを行った
事で知られるロジャーの、さまざまな思いが凝縮されていること
は間違いなさそうだ。

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リセット

 まさに絵に描いたような春爛漫の日だった。
年に何回か箱根に行く途中にある鶴巻温泉に行くが、1年振りに
行ってみた。駅は満開の桜に彩られていて、まず視覚から心が緩
む思いがする。駅の近くに2か所ある日帰り温泉施設のいつもの
ほうへ向かったら、1月に閉店したとの貼紙があった。実はちょ
っと案じていたのだ。いつも閑散としていて露天風呂を独り占め
できるのが良かったのだが、それはまた収益が無いだろうなと危
惧させることでもあった。加えてこの不景気では致し方ないか。
もう一か所のほうに行った。駅に近く新しいがそこらのスーパー
銭湯の方が余程ちゃんとしているので、そこしか無いのならばわ
ざわざ電車代を払って行かなくても良かったようなものだが、天
然温泉ではあるのでせいぜいしっかりと浸かってきた。
一昨年の2月に痛めた右膝の痛みがひかないので、マッサージし
ながらじっくりと入ってきたら、おかげで随分楽になった。
 その帰りの電車に、またもや絵に描いたような小ギャル姿の女
子高生が一人乗ってきて驚いた。神奈川名物の超ミニスカ小ギャ
ルだ。もう最近は見かけないので一時代前のファッションかと思
っていた。よく見るとルーズソックスが随分長い。ずり下がって
いるのに膝のすぐ下までくらいある。伸ばしたらきっと太腿の上
に届きそうだった。何らかの進化形のようだった。時代は移り変
わっていたのだ。でもまだそうしたスタイルの子はごく僅かなの
だろう。他には見かけなかった。
駅では定期券を買う新入の女子高生たちが列をなしていた。
新たなページを開く若い世代の姿に、私も気持ちを新たにした。

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Positive thinking

 まだちょっと気持ちの整理がついていないのでテーマが定まら
ない。でも落ち込んでいるわけではないのでご心配なく。
私は子供たちにただ二つの事を言い続けてきた。
"be positive"と"be honest"がそれだ。そして今この二つの言葉を
自分に向けている。これまでの数々の困難を考えると、アフリカ
での困難は帰国前の一時期を除けば意外と楽観的ではあった。
それが親兄弟が居る母国に帰ってきてからのほうが案外と厳しい
状況続きだというのは、どういうことだろう?
私の仕事は明日で最後となる。15日締めなので契約上は15日まで
だが、未消化の有給休暇が7日分あるからだ。
明後日は久しぶりに温泉にでも浸って少しのんびりしてみよう。
そしてpositive thinkingにリセットだ。

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生き辛い時代 4

  今日、職安(ハローワークなどという当たり障り無い呼び方に
変えてはいるが、意味が無い)に行ってみた。実際の就職斡旋に
は全く実効力が無い事は過去の経験でよく分かっている。政府が
発表する全く意味をなさない有効求人倍率の統計を出すためにし
か機能していない。とりあえずは、来週から始まる最近の求人情
勢を知る参考になるかと思って出かけてみた。
求人の多くは介護や看護要員の募集だ。さらに私の年齢(54歳)
で可能性のある求人は望みが薄い。政府のお達しのため建前上は
年齢で制限することを禁止されていて年齢不問とはなっているも
のの、若年層でも失業者が多い今のご時世では全く無理なのだ。
 私の性向から言うと黙々と手仕事を行う職人が向いているのだ
が、この年齢からの職人技習得はどうなのだろうか?とにかく探
してみることにする。

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生き辛い時代 3

 ケニアに暮らしていた頃、毎月の電話代に相当苦労した。
それは帰国する5年ほど前から始まったことで、ソマリア内戦が
勃発して我が家に元妻の親類縁者が集うようになっていった時期
と重なる。今のように携帯電話が普及して、サバンナの只中のマ
サイ戦士までもが槍と一緒に携帯電話を持って歩いている時代と
は違い、自由に電話をかける事の出来る場所は少なかった。そこ
で我が家に人が押し寄せては電話をかけていた。そんななかで私
の電話嫌悪が深まったのだと思っていただきたい。まあそのあた
りの事情の詳しい事はまたの機会に書くとして、とにかく長電話
という行為に対して私はものすごい嫌悪感を持っている。
ましてもともと口数少なく、電話は必要最低限の伝達事項を伝え
る機器だとしか信じていない私が、電話で商品を売るという営業
活動をやっていたのだ。引きも切らずに鳴る電話を取り、様々な
人の要求に即答で受け答えしながら航空券を売る。そんな仕事の
なかで、丁度フラストレーションがピークに達しようかという時
でもあったということだろう。
 さてさて何をするか…

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生き辛い時代 2

 一度手を引いた世界にはもう戻る事は考えなかった。
テレビ業界がどれ程駄目で、馬鹿ばっかりが首を揃えているだけ
の、しかし衆愚ニッポンにとってはもの凄い大衆操作の影響力を
持つ危険な業界であることも分かっている。利用することはあっ
ても、その中に身を置くつもりは、もう無い。
これまでにも書いてきたように、アフリカとの比較文化のなかで
一矢報いたい。幸いにももう今の私には扶養してやらなければな
らない妻子は無い。みんなそれぞれに自分で自分の道を歩いてい
るわけで、とりあえず私は一人で生きて行ければいいのだ。
考え方を変えれば、格安航空券販売ほど、あんなにストレスの溜
まる仕事も無かったのだ。主に電話問い合わせに対応しての販売
業務で、はっきり言ってこれほど私に合わない業務は無かった。
これまでに人生で初めて経験する業務形態だったのだ。
第一私は、アフリカ生活の中で電話に対して非常に嫌な経験しか
覚えていないのだ。

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