« 〜アフリカの出会い系 2〜 | トップページ | 映画「チョコラ」 »

〜アフリカの女 日本の女〜

 それはそれとして、アフリカの「出会い系」だが、その背景
にあるのは貧困であることは間違いない。一方で日本の「出会
い系」利用者の背景にあるものもまた貧困だと思う。しかしそ
の「貧困」の質は全く違うものだ。同じような経済的・物質的
貧困であっても生きる事に直接拘る貧困と、生活に付帯的な事
柄に拘る貧困とでも言おうか。携帯電話代とか普段できないち
ょっとした贅沢とか遊び金欲しさの援助交際など、生きること
には直接の必要性が薄い。何故そんな事のために体を売るのか
多分アフリカの女たちには理解できないに違いない。
アフリカの女たちが求めるものは生活の実体であって、日々の
食事や生活必需品を得るための現金だ。消費社会の歯車として
生命維持には不要な消費のための消費に費やす現金を得るため
の売春(もう援交などといううやむやな言葉は使うまい)など
蔑むべきものなのだ。本来は多くの日本人にとっても、そのよ
うな事が売春のモチべーションになるなど思いもつかない事だ
った筈なのだ。
 そこでまた少し時代を遡ると、どう考えても80年代の日本で
何かが起きたのだと思われてならない。あの、女子高生のミニ
スカートが目につき始めた頃、実体の無い株式経済が富の尺度
として幅を利かせていった頃、日本人の精神に大きな陥穽が穿
たれてしまったようなのだ。その現われの一端が、女達の姿に
反映されている。そして悲しい事に、アフリカにも民主化の名
の下に経済至上の西欧型資本原理主義がIMFの肝いりで強制さ
れ、アフリカ伝統の共同体による相互扶助システムが崩壊して
いった。首都のはずれにスラムが形成されて、そのスラムから
も弾き出されるストリートボーイや、誰も面倒を見る者の無い
孤児たちを増殖させてきたのだ。
 こうした状況になって初めて、日本の女とアフリカの女とが
ひとつの尺度で見比べられるようになったのは悲しい。

|

« 〜アフリカの出会い系 2〜 | トップページ | 映画「チョコラ」 »

世相」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/529115/44095458

この記事へのトラックバック一覧です: 〜アフリカの女 日本の女〜:

« 〜アフリカの出会い系 2〜 | トップページ | 映画「チョコラ」 »