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2008年12月

野蛮と言うこと 2

野蛮ということ 2

 時の大統領は、このポコット族と同系列の部族なのだった。
つまり自分の恥とする未開の部分を揶揄されただけ、というの
が番組を見た大統領の感想であり、そのように人を馬鹿にした
番組を作って放送した日本のテレビ業界とそれを見て楽しんだ
日本人へ怒ってしまったのだ。
この事件は地元のテレビで繰り返し取り上げられたし、新聞の
キャンペーン記事となった。どんな人物がどのように関係した
のか、どういういきさつで撮影が進められたのか等が掘り起こ
されて、関係者は法廷に呼び出された。関与した旅行会社に勤
めていた日本人はその後、職を失って帰国を余儀なくされた。
以後ケニア政府は撮影許可発行にいよいよ神経質になり、観光
の目玉であるマサイ族を含めた「未開」なものの一切を露出禁
止としてしまったのである。
それまでは国立公園を訪れる旅行客のためのアトラクションと
して人気を呼んでいたマサイ村訪問のオプションも不可となり、
撮影に同行する役人へは、こうしたものが被写体となることを
阻止するよう強い指令が出されていた。事態を憂慮した在ナイ
ロビの日本大使館はテレビ取材を扱う日本人業者へ、いつどこ
の局(制作会社)がどのような内容の取材に来るのかを事前に
報告するよう勧告した。

 さて話をトゥルカナに戻すと、浜で私たちを呼んでいたのは
制服警官なのだった。かなり激昂して目を血走らせ、片手を腰
の手錠にかけていた。
「来い、早くこっちへ来い。貴様ら、何をしているつもりだ!」
近付くにつれて叫んでいる内容も、はっきりと聞こえた。浜へ
着くと警官は睨み付けながらカメラを指さしている。私はカメ
ラマンに刺激的な言動をとらないように耳打ちした。平の巡査
でも、いや、だからこそ権力を盾に何をしでかすかわからない
のだ。
「貴様らを逮捕する。機材は押収だ!」と凄む理由を「ポコッ
ト事件」を知る私と情報省氏は察していた。浜辺の子ども達を
撮っていたのを見ていた誰かが告げ口をしたというのが真相ら
しかった。しかしお目付役の情報省氏も、あの場面が問題にな
るとは判断していなかったし、とりあえず巡査を落ち着かせる
ためにロッジへ招き入れ、彼には高級すぎて普段は飲めないビ
ールなどを振舞ってなだめることにした。
子ども達はみんな逆光のシルエットでしか写っていないこと、
広い浜辺の情景のなかの場面であることなどを納得させようと
したが、大統領令であることを理由に頑として受け入れようと
しないのだった。
 こういう場合金で片を付けるのが一般的な対処法なのだが、
このケースは金で握り潰すことは不可能だ。相手は後に責任を
問われることになるだろう自分の立場を賭して職務を遂行しよ
うとしているからだ。
ああだこうだこ激興する警官の姿に、テラスの隅に陣取って昼
間から飲んでいた4〜5人のグループが興味を惹かれたらしく、
こちらへやって来た。
すると警官が気を付けをして敬礼をした。まだ若いのに居丈高
な態度で情報省氏に向かって「どうしたのかね?」と聞く。
トゥルカナ郡の郡知事だと自己紹介した。地方の司法行政の頂
点に立つ最高権威だ。高等教育を受けたことは言動の端々に伺
える。こいつを丸め込めば問題は解決だ、と情報省氏と私は彼
を説得にかかった。
 最終的には、問題の場面をモニターに再生して見てもらい、
知事に判断させることにした。問題ありということであればそ
の部分を消去することを了承した。知事は特に問題になるとは
見ていなかったが、万が一のためにその部分約2分程のシーンの
消去を命じて一件は落着した。
 他にもいくつかの国で逮捕されたり、拘束されかけたりとい
う経験をした。多くは権力を背景にしたインネンの類だった。
まだそのほうが可愛げがあった。しかしこうした文明観や理念
にからむと問題は単純ではなくなる。 
 「未開」や「野蛮」を求める者と恥じる者、そしてそれを取
り締まる権力の「野蛮」。
私の目にはそんな図式が浮かび上がってくるのだった。

 

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野蛮ということ

ケニアでの撮影裏話をもうひとつ

野蛮と言うこと 1

 ケニアの北西部、トゥルカナ湖での取材で印象に残る出来事
が思い出される。
世界各地の風物をカバーするスケールの大きな紀行ドキュメン
タリー番組のシリーズがあった。その撮影でのことだった。
 トゥルカナ湖はエチオピアに接する南北に細長い湖で、周辺
では先史人類の骨格化石が発掘された。考古学に興味のある者
なら誰もが知っている東北岸のコービ・フォラがその発掘調査
の行われた場所で、そこにはケニア国立博物館によって管理さ
れている研究施設があって資料や出土品のレプリカが展示され
ていたりする。
 湖周辺に暮らすトゥルカナ族という人たちがいる。この部族
は既に近代化=西欧化の波に流されていきつつあるアフリカ人
たちの間から「遅れている」と蔑まれている「伝統文化を強く
残している」人達である。その生活様式は、いまだにアフリカ
に秘境や未開を求めるテレビ業界のカメラの餌食となりやすい、
ということを念頭に置いて読み進んで頂きたい。
 或る午後、浜辺で列をなして跳びはねながら唄を歌っている
少年達に出くわした。彼らは近所のトゥルカナ族の漁師の子ど
も達で、目聡いカメラマンは相手に意識される前にいち早く望
遠でその情景を収めた。逆光気味に波のきらめきを活かして、
アフリカらしいのどかな風景として捉えていたはずだ。
それから私たちはボートで浜を離れ、水鳥や岸辺の風景を湖側
から撮影した。そうしているうちに、浜で何やらこちらに向か
って叫んでいる大人がいることに気付いた。気にせずに撮影を
続けていると同行の情報省氏が眉を曇らせ「ちょっと戻ろう」
と言いだした。情報省氏というのは撮影許可の条件として帯同
を義務づけられた政府の役人だ。海外からの撮影に同行して都
合の悪い物事を記録されないよう監視するのがその役目で、普
段は国営放送のディレクターやプロデユーサーだったりする。
情報省氏は浜の男が誰で、叫び声が何を伝えているのか理解し
たらしく、撮影を止めて三脚からカメラを降ろさせたのだった。

 話を続ける前に、説明を要するひとつの事件があったことを
知らせておかなければならない。ケニアの新聞やテレビを賑わ
せた「ポコット事件」として知られている。
 私は全く関与していなかったのだが、或る日本のテレビ番組
でケニアのポコット族という、やはり「未開」の人達を描いた
番組があった。ちょうど南部アフリカのカラハリ砂漠に暮らす
ブッシュマン(これは欧米人がつけた蔑称だということで、今
はサン族と呼ぶようにされている)をメインキャラクターに仕
立てた南アフリカの会社が制作した映画  ゛The God Must
be Crazy″(封切り当時の邦題は「ブッシュマン」)が人
気を呼んだ後のことで、その映画の主人公を演じたニカウさん
という人が日本へ招かれてテレビに出たりするということがあ
った直後のことだ。
 そのニカウさん人気をあてこんで、同じような「未開人」で
マサイ族ほどには知られていないポコット族に目を付けた奴が
いたようだ。同じポコット族でも背広を着ている者もいればフ
ンドシひとつの者もいる。山の中の村に暮らすフンドシを正装
としている夫婦を一組、初めての首都ナイロビへ連れ出した。
そして飛行機に乗せてロンドン経由で東京まで連れてきて、彼
等の伝統衣装で空港に降り立たせ、電車に乗せたり高層マンシ
ョンに住ませたり、ありとあらゆる「文明体験」をさせてその
反応を見せ物にしたのであった。
 勿論、表向きは「未開人」の感想と意見に現代文明への警鐘
や反省を読みとる、というものであることは見え透いている。
しかし視聴率競争がすべてのテレビ業界にあっては、その言動
に腹を抱えて笑うという部分こそが「売り」であることもまた
間違いのない事なのだった。
 さて、この番組の放送後に、収録したビデオが駐日大使から
大統領へと送られたところから、これは「事件」へと拡大した。
大統領が烈火の如く怒ってしまったのだ。

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象を追う 2

象を追う 2

 ナイロビ国立公園の一隅に、ケニア各地で密猟で母を失った
子象達を収容して育て、後に野生に帰していこうという活動を
している施設がある。私たちもアンボセリ国立公園へ入る前に
その「象の孤児院」で取材をしていた。
研究者が提案した。エドの場合は密漁の犠牲ではないようだが、
こうした活動がテレビで紹介されることはめったに無い機会な
ので、エドを捕獲してナイロビへ運び、その一部始終を撮影し
てはどうだろうというのだ。これに飛びつかないディレクター
はいない。象の生態を紹介するだけの番組が一転して心を動か
すドキュメンタリーへと発展する可能性が出てきたのだ。
公園関係者に顔の利く研究者はテキパキと話をつけ、レンジャ
ーを何人も動員しナイロビから特製の檻を運び獣医を呼んでエ
ドの捕獲作戦が行われた。
この一連のいきさつは「子象エドの物語」と題してまとまられ、
局内で何かの賞を貰ったと聞いている。時は象の保護、象牙の
商取引き反対運動が展開されて日本の印鑑業界が槍玉にあげら
れていた時期のことだった。
 そしてエミリーの行方である。エドがナイロビへ送られて孤
児院での新たな生活の始まりを撮影した後、私達は東ツァボ国
立公園へ向かった。そこにはナイロビの孤児院で成長した象を
自然へと戻すためのリハビリ施設があった。
何年か先にエドが送られるであろう場所がどんなところなのか、
どのようなリハビリが行われているのかを取材するためだった。
しかもその東ツアボ国立公園はかつて密猟の中心であったこと
もあり、その現状や密猟取り締まりの実際も同時に見ることが
出来た。
そんな撮影をあらかた消化しようというある日、公園事務所の
無線に私たち宛のメッセージが届いた。それはアンボセリの研
究者からのもので、あのエドの母親エミリーの屍が見つかった
という。
 その日午後遅く、私たちはアンボセリへと車を飛ばした。
ロッジに着いたのは夜中の11時過ぎだった。翌朝早く研究者の
案内でエミリーの亡骸と対面した。私たちが宿泊していたロッ
ジ野すぐ裏手、直線距離で1キロと離れていない場所だった。
ロッジのゴミ捨て場が近くにあった。観光客の目に付かない森
の裏に掘られた大きな穴にゴミが捨てられては埋められていた。
その隅にカラカラに乾いた表皮も無惨な姿野エミリーの亡骸が
あった。どうして見落としてしまったのか、何故誰も気が付か
なかったのか不思議なくらいの場所にそれは横たわっていた。
ゴミ棄て場を漁ったらしく、残飯と一緒にビニール袋やビール
やコーラなどの栓、瓶のかけらなどを飲み込んでしまったこと
が死因として考えられると研究者が力無く言った。
ハゲタカやハイエナに処理されたらしい腹の部分の地面にはそ
うしたものが散乱していた。そういえば取材中の或る夕方、ロ
ッジのゴミ場を漁りに行く場面に出会ったことを思い出した。
美しくないし、野生動物の生態の記録にはふさわしくないとい
うことで撮影しなかった。
思いもかけないとはこういう場合を言うのだと実感した。環境
に考慮を欠いた観光ロッジの、いい加減な廃棄物処理が原因だ
ったのだ。
 密猟者にやられたというより以上に考えさせられる結末だっ
た。ちなみに番組の中では屍の映像は使いながらも、その死因
を明らかにするコメントは付けられていなかった。
そのロッジはもちろん今も観光客を集め続け、公園は環境破壊
が進み、周辺には土着の遊牧民マサイ族に加えて他の土地から
入植してきた農耕民が畑を耕し、象を含めた野生動物たちとの
争いが問題となっている。

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象を追う 

アフリカでやっていた撮影コーディネーションの仕事の裏話を
2回に分けて紹介します。

象を追う 1

 ケニアで私がコーディネーションを担当した番組に、象の交
信手段である低周波発声とその意味や、そうしたコミュニケー
ションに基づいた社会構造を描くというものがあった。
長年にわたって研究している動物学者の協力を得て、事前の調
査と打ち合わせも進み、キリマンジャロ山の裾野に拡がるアン
ボセリ国立公園に棲息する多くの象のグループのなかからひと
つのグループ(ファミリー)を選んで追うことになった。
 象は近親の血族の母系社会を型作っていて、そのファミリー
もエコーと名付けられたリーダーメスを中心にその妹たちと、
それぞれの子ども達によって構成されていた。そのなかの一頭、
エミリーの子どもにエドという生後3ヶ月の幼いオスがいた。
活発でやんちゃなエドの行動と仕草はカメラの格好の対象とし
て魅力的でもあった。私たちはエコーファミリーを追いながら
多くの印象的な出来事を記録し、価値ある映像を収めることが
できた。そして一ヶ月の取材も3週間目を迎えた頃、そのファ
ミリーに予期せぬ異変が起こった。
 「このあたりでエミリーが密猟に遭ってしまう、なんて事件
が起これば万全のストーリーだね」などと冗談を言っていた矢
先のことだった。私は風をひいてしまい熱を出して、その日は
朝から休んでいたのだが、陽が暮れて戻ってきたディレクター
とカメラマンが私にこんな冗談を言った。
「うまくコーディネートしてくれましたね。今日は一日エミリ
ーの姿が見えなくてエドが心細い様子でしたよ」
その時は誰も本気で心配することはなかった。翌日から復帰し
た私もファミリーの様子を見てみたがやはりエミリーは見あた
らず、一頭取り残されたエドが母乳を求めて叔母にあたるメス
たちへ忍び寄る姿が痛ましかった。いくら近親でも幼い子を持
つメスは自分の子以外には決して乳を与えない。寄るな、と鼻
で追いやられたり足蹴にされたりする。
 日を追うにつれてエミリーの失踪は確定的となった。観光客
が多く監視も厳しいアンボセリ国立公園では象牙目当ての密猟
は考え難い。研究者が推測するには公園周辺のマサイ族の村の
近くへ行って槍で突かれたとか、何かの事故で怪我をして動け
なくなってしまったか、いずれにしても既にどこかで死んでい
るとしか考えられないという。
母象が乳幼児を放ったまま何日も居なくなることはあり得ず、
しかし死んでしまったにしてもあまりにも突然で、一体どうな
ってしまったのかとても不思議なのだった。
 私たちは遠くまで車を出したり、出会う人ごとにマサイと象
の騒動がなかったか、どこかで怪我をしていたり倒れている象
を見かけなかったかと尋ねて回った。誰からもこれといった情
報は得られず、超軽量飛行機をチャーターして空からの捜索に
も乗り出したが、どうしてもエミリーとおぼしき姿を見つける
ことは出来なかった。
 母親の居ない3ヶ月の赤ちゃん象エドは、まだ草だけを食べ
ては生きてゆけない。象は数年間もの間、母乳を必要とする。
ましてや生後僅か3ヶ月のエドでは、母乳無しでは長くても数
週間の命だろうと研究者は言う。子供思いの象の社会でも、ど
のメスもわが子ではないエドを育てるようなことはしない。
まだ成獣となっていない年若いメスが一頭心配そうに付き添っ
ていたが生存のカギである母乳を与えることはできない。エド
は日に日に痩せてゆき、そのままでは死以外にエドに残された
運命は無いのだった。

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アメリカに居る娘

 私には前妻との間に出来た娘が居て、今年19歳になって
6月にハイスクールを卒業し今はミネソタ大学で医学を勉強
している。
その娘とは度々メールのチャットで会話を交わす。ナイロビ
生まれで6歳で日本へ、やっと日本語に慣れてきた頃の10歳
からアメリカに移り住んでいるので今や日本語は忘れてしま
っていて、簡単な挨拶程度しか話せない。
つい最近チャットしていると、ある人が話したがっていると
言う。3人でチャットに話が弾んだ。ボーイフレンドだった。
アルバニア国籍だと言うが実際はセルビア/モンテネグロ、
一時ニュースを賑わせたコソボ自治州のプリシュチナの出身。
一時ミネソタで学んでいた頃、同じイスラムの会合で知り合
ったという。今はプリシュチナの実家にいるという。写真は
娘からメールで送ってきたものを見せられ、その存在は知ら
されていたので驚きはしなかったが、コソボの人だとは知ら
なかった。なかなかしっかりした若者だ。
 6月に娘の卒業式のためにアメリカに行ったが、アメリカ
中北部ミネソタ州の地方都市、ロチェスターの高校といえば
元は白人しかいなかったかと思われるが、アフリカ系(ソマ
リア=私の娘もこの中に入っている、スーダンなど)アジア
系(カンボジア、ベトナム、チベット、韓国など)の生徒も
多く驚いてしまった。彼等の多くはこの10年くらいで移民と
してやってきた人たちなのだ。
娘やそのボーイフレンドも含めて、こうして多くの人たちが
国境を越えて動き、混じりあっていることを実感する。
 こうした世界の現状を見ると、今の世界恐慌の波及は止め
ることのできないことだと納得いく。人も経済ももう国境で
区切られる状況ではない。今や、世界的な視野に立つ本当の
意味でのグローバリズムと、地球規模の共生感覚がなければ
政治も経済もうまくいくはずが無い。そしてそうした感覚が
最も欠如しているのが、この日本だと強く感じている。

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リサイクル 2

リサイクル 2

 人間という奴は、目先の生活のためには後先を考えずにとて
も愚かなことをやってのけるものだ。禿げ山に雨が降ると、山
崩れや洪水を引き起こして人や生物を飲み込み、汚水溜まりを
出現させ疫病を発生させる。自然界は一度バランスが壊れると
積み木が崩れるように破壊を連鎖させる。
ケニアでも以前はわずかな野生動物しか居なかった森やサバン
ナに人が入って畑を作り集落が出来たために、土地が急速に荒
れ始めて砂漠化に向かった場所がいくつもある。そのスピード
の何と早いことか。私が過ごした10数年の間にも、そのよう
にしてまるで違った風景に変わってしまった場所は多い。
 ケニアの首都ナイロビの国際空港は街の中心から車で僅か
20分程だった。初めて行った頃は、途中の道路ではよくキリ
ンやシマウマの群れに道を譲ったものだ。それが今では道路の
左右は工場となり集合住宅街が出来て、あののどかな出来事は
まさに思い出でしかない。去年久しぶりに訪ねたときは、幹線
道路のモンバサロードは一日中渋滞が続き、ひどいときは空港
から町まで1時間ほども掛かってしまう。
雨季の後にはウシカモシカの大群で埋め尽くされたナイロビ・
ナショナルパークも今では四周を柵に囲まれて動物の移動が
困難になり、かつてのような動物相は見られない。
 工業化や機械化が浸透しているいないにかかわらず人の住む
ところにはどこでも、そんな現象が形を変えて存在する。
どうしてあんな所まで人が暮らさなければならないのかと思え
るほどの人里離れた山々。その頂の痩せ衰えた土地までが細々
と耕されたエチオピアの辺境。枯れ木一本残らないまでも刈り
尽くされ、赤肌をさらして放置され浸食に任されたマダガスカ
ル高地の山。そこに暮らす人々は決して楽な一生を送るのでは
ない。
機械を使う農業など夢にも思わず、昔ながらに木の棒の先に付
いた鋤一本を使って耕作を続け、水を汲むには山の下の小川か
らバケツを頭に乗せて何度も往復しなければならない。それで
も現金なくしては生きてゆけず、子供を育て教育することも出
来ず、何も悪いことをしていないのに環境破壊の片棒を担がさ
れている。アフリカの上空を飛ぶとそのような光景が目を惹く
ばかりで、人間というものは地球を蝕む寄生虫だなあと実感せ
ずにはいられない。 
 荒廃して行く自然と社会。その元凶は人間そのものの生と欲
望が産み出したというわけだ。1時間歩くよりは車に乗れば楽
ができるとか、薪で手間をかけて火をおこすよりは電気やガス
のスイッチひとつで火が点くとか、電子レンジでチンすればあ
っという間に食べ物が用意できるとか、そんな楽な方向へとば
かり向かおうとする人間の気持ちは魔物だ。
そして一度知った「文化生活」に慣れた者は、もう元の生活は
耐え難いと感じるようになり決して引き返そうとはしない。
 今の日本では気持ちに占める欲望の比重が大きくなっていて
それを満たすための金儲けが終夜営業を促し、深夜族を助長
し、さらに犯罪の増加につながり、それが回り回って経済を混
乱に導いている。そしてこうしたことに方向性を持たせるべき
政治家の不在が事態をさらに困難にさせている。
 この悪弊の連鎖がリサイクル情況を呈している。
 人の心の荒廃は積極的な未来志向をくじけさせ、思考能力を
低下させ、威勢ばかりよくて内容のない言葉を操るリーダーを
推し抱かせてしまった。資本主義経済の存続のためには弱者
が淘汰されることも辞さず、冷血にも負け組の首を刎ねて生き
残ることを良しとして憚らない鉄仮面。そんな人物と心中でも
しようというのか、日本人。
 私はアフリカで、人間の生活が変わっていく様子、社会が変
わり人間性が変わって悪循環のサイクルが回り始めてゆく場面
を見てきている。そして今ここ日本で、そのなれの果ての社会
に直面している。

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リサイクル 1

リサイクル 1

 マスコミの罪だと思うが、だいたい日本人はリサイクルとい
う言葉を履き違えている。「再生」というふうに置き換えられ
ているようだけど、本当は「転用・転生」に近い筈だ。
その意味では古本屋、古着屋、フリーマーケットやオークショ
ンなんかがリサイクルの典型だろう。
 アフリカで使われている自動車のことについて触れたい。
アフリカ人の凄いところは、ちゃんとしたパーツが手に入らな
いような車でも、どこかのパーツを持ってきて工夫を施して転
用の利くものに変えたり、少々無理をしても使用に耐えるよう
に組み込んでしまう臨機応変の発想にある。まさに転がして利
用して生き返らせるリサイクルだ。
 日本人の好きなリサイクルは、使用済みのものをもう一度原
材料の状態にまで戻したり、再利用可能な成分だけを取り出し
て別のものに作り替えるとかいったもので、科学力を使う資源
の再生産のことだ。だから研究費やそのための機械の開発制作
とかが必要だし、再利用の過程で莫大な費用と余計なエネルギ
ーを使ってしまう。
 そういうふうにしてまた経済の環のなかに取り込まれるし、
結果的には再生産過程での石油などのエネルギー資源の消費が
必要なためにリサイクル効果がマイナスになっていたりする。
 本来、リサイクルは金をかけずに転用・転生させることに
その本質があるのであって、そうじゃなければ意味がない。
原材料として還元させることにどれだけの価値があるという
のか?そんなことなら、少々高くついても、もっと丈夫で長持
ちして何回も繰り返し使える物を最初から作ればいい。
更にはそれよりも、なるべくならもうこれ以上自然資源をあん
まり消費しないでも済む、継続的な自給自足可能なライフスタ
イルと、それを無理なく実践出来る生き方の根本についてこそ
考えるべきじゃないのか。
 私はアフリカで人間の営みの持つ、地球に対してとても残忍
な部分を数多く目にしてきた。自然や生き物に対して傲岸で
尊大な行為は、意識的にも無意識的にもいろいろな場所で進行
中だ。例えばタンザニアでは隣のブルンジとルワンダからの難
民流入のために一日で人口が何百倍にもなったような町があっ
て、そこの山林が薪のための伐採であれよという間に禿げ山に
なってしまうようなことがあった。火をおこすための薪は人間
生活にとって必要不可欠だけど、これをして必要悪と片づけて
いいのだろうか?同じようにマラウイの首都では街路樹さえ切
り倒されて薪として道端で売られていた。

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放し飼いの精神病院へ

放し飼いの精神病院へ

 駅で電車を待ちながら13年ぶりに帰国したときのことを思い
出した。
遮断機の黒黄模様の棒を前に何人もの人が立っていた。
チンチン、チンチン、チンチン、チンチン、その音はもう何十
回続いていたのだろう。電車が右から左へ通り、左から右に
行き過ぎてもまた次の電車が来るらしく、いつまでたっても踏
切は開こうとしない。待つ人の群が3人、5人と増えてゆく。
苛立った若い男が通せんぼの棒をくぐって走り抜ける。
傲慢なおばさんが棒を押し上げて自転車を引いて渡る。
それを見ながら「なんて奴らだ」と思い、「俺もやろうかな」
と思い、「やれやれ」と思いながら、まだ多くの人たちがじっ
と待っていた。そうして電車が5つほど右左へ通り過ぎてやっ
と遮断機が上がると、人がいっせいに行き交い始める。
 それを見ていたカミさんが「柵の戸を開けてもらった山羊の
群れみたい」と言った。
 私は13年ぶりにアフリカからこの国に還って来ていた。
そして今、帰国して13年が過ぎてしまった。

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最近の気分

最近の気分

 最近の政治や世相時事を目にして滅入った気分が続いていて、
あまり何か書く気が起こらなかった。
 よく言われるけれど、一体私たちはどこに向かっているのだ
ろうか?
26年前、アフリカへ向かおうとしていた私には「このままでは
世界の未来に希望はなくなる!」という思いがあった。テレビ
業界に居た私は、お笑いブームに嫌気が差し、闇雲に右肩上が
りを望んで経済至上へと向かいつつあった日本に対するカウン
ターカルチャーを探してアフリカに行った。
 アフリカで目にしたのは、変化の無い日々の暮らしの中で助
け合いながら与えられた生を生き、限られた環境の中で精いっ
ぱいに一生を終えてゆく人たちの姿だった。
 13年間をアフリカで過ごし、帰国して13年が過ぎた今、世
界は26年前よりもずっと悪い状況にあるし未来はとてつもな
く絶望的だ。
こんな時こそ何を指針として生きてゆくべきかが問われてい
るのに、今の日本にはそうしたことを声を大にして発する人
物は少ない。
 なんとも座り心地の悪い気分の日が続いている。

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変わってしまった日本人

変わってしまった日本人(プロローグ)

皆はなぜ、経済至上の資本主義に破綻が訪れたことに今頃になっ
て気が付いたような振りをしているのだろう?
この世に存在するいかなる物も、永遠に成長を続けることが無い
ということは誰もが知っている筈だ。一体どうして経済が成長を
続けるという前提が成り立つのか、説明できる人がいたら会って
みたいものだ。
どうして経済成長は常に前月や前年度よりも上回って当たり前…
のような考え方がまかり通るのだろう?
持てる者と持たない者がせめぎあう世界にあって、アフリカで目
の当たりにしてきた光景はまさに弱肉強食の世界だった。しかし
そこにあるのはまた、自分に与えられた力と機会を精いっぱいに
使って、しかも高望みをせずに結果にたいして常に感謝をもって
日常を送るごく普通の人たちの姿でもあった。
いつから、どうしてこの日本人は不平不満や分をわきまえない態
度ばかりを示すようになってしまったのか?
13年間のアフリカ生活の間に劇的に変わってしまっていた日本人
の姿を、思い出すにまかせて少しずつ書き記していってみること
にしたい。

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